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終わる世界の終わりなき日常――#5 具体的なもの 灰ミちゃん


新宿のゴールデン街にはジャン・ジュネというバーがある。
店名は無論、フランスの作家から取っているのだろう。女装サロンバーのような空間というのがわかりやすい説明だと思うけれど、良心的な価格設定やママである浜野さつきさんの人柄もあってか年齢やジェンダー/セクシャリティを問わず多くの人が出入りしている。
さつきさんは長くゴールデン街や二丁目の文化を知っている方で、おそらく伝え聞いたであろう街の歴史や自身の持ってきた店のこと、ゴールデン街の経営事情などを話してくれる。
これらの語りはすべて極めて具体的な体験に根差して生の実感が伴っており、聞いていてとても面白い。
このジャンジュネもまた、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に伴う東京都及び政府の自粛要請の影響で一時営業時間を大幅に縮小していた。
わたしも数回行ったことがある程度とはいえ大丈夫かなと心配していたある日、店のLINEグループに誘われた。
やはり自粛要請によってかなり店は困窮しているようで、そんな中、店の細かい営業時間の移り変わりや新しく始めたランチ営業の告知、ZOOMを使ったお客との交流をさつきさんは行っているようだった。
グループに参加しているお客もまた、デリバリーの容器を自ら用意してランチを買いに行くなど、ジャンジュネとの相互的な関係の中で、コミュニティが形成されていた。
そして、わたしにとって興味深かったのは、マスクが販売されている場所など、コロナ下を生き抜くための情報が誰ともなくグループに投下され始めたことである。
世間ではマスクや食料品を奪い合い、隣人がウイルスに感染しているのではないかと怯え、自警団のような排外的な集団も出ている中で、このような相互互助の形があるのかとわたしは素直に驚かされた。
彼ら彼女らは抽象的な理念で繋がっているわけではないし、サロンバー的な空間とはいえ客は多様で特定の属性で繋がっているわけでもない。ただ、ある空間を過ごしたことがあるという体験によってのみ繋がり、助け合っている。

きっとこの繋がりは具体的な空間と時間に、生に基づいているのだろう。

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