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終わる世界の終わりなき日常——#0序  灰ミちゃん

この世界は終わろうとしている。
いいえ。正確には、わたしたちが人間として信じてきたものが今まさに、現実に、終わろうとしている。

けれど、世界が終わっても日常は続く。
あなたは、毎日壊れていく世界情勢を目にし、SNSでは排外主義に触れ、きっと職場では公で謳われるリベラリズム的理想と理不尽な上司のようなありふれた現実の生き辛さとの亀裂に苦しむだろう。
このまま反動的な暴走が続き世界が終わるのか、公に謳われる社会改良がうまく実現されることで多少はマシな時代が訪れるのか、それはわからない。

かつて、ある社会学者は「終わりなき日常を生きろ」と言った。
彼は援交やブルセラショップなどで稼ぐ少女たちをフィールドワークすることで日本社会を分析した。「夜」の領域は「昼」の領域の歪な写し鏡として存在している。
彼が分析の対象とした「援交第一世代」(1992にハイティーンだった世代)の生態はコミュニケーションがミクロに複雑化した社会において、薄汚れた世界をパターナリズムを排した自己決定によって「まったり」と生き抜くひとつの作法だった。
しかし、そのような理想は一時代にのみ当てはまるものであり、後の世代や彼女たちの未来はそう明るいものとは言えなかった。後に援交の主体は「ギャル」から「アダルトチルドレン」的な側面が強調されるものに移っていき、やがてゼロ年代には援交自体が消費者金融のようになる。

では、今はどうなっているのだろう?
世界が終わっても日常は続く。
わたしは、とある音楽大学の大学院に通いながら、学費を稼ぐため、トランスジェンダーとして幾つかの夜職や個人的な「取引」を経験している。
わたしは、現在の「一回分」の相場を知っている。出会い系サイトで使われる隠語の数々を知っている。出会い系サイトごとのアーキテクチャの差異を知っている。そういった店に所属した時の取り分を知っている。同業の性的マイノリティ同士のコミュニティや、その内部での微細な不和を知っている。

この連載で行われるのは夜職に限らずそうした「夜」の、あるいは「マイナー」な領域のおおむね経験的な記述である。
それはひとつの小さな写し鏡を描くことだ。
わたしはこの連載で社会分析を行うわけではない。わたしの専門は社会学ではない。わたしには背後の社会構造を明らかにしたり、それらに意味を与えたり、公的な価値判断をすることはできない。
わたしにできることはただ私的な世界の断片を集めてそれらを配置するだけだ。それはむしろ、音楽的とも言えるようなcompositionの所作になるだろう。
しかし、完全に私的なハーモニーはない。一般社会から遠いとされる世界は、そうであるが故に、世界の虚像を別の虚像によって逆照射する。

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