終わる世界の終わりなき日常——#1あきらめ 灰ミちゃん
あきらめを「あき」「きら」「らめ」に分解し光らしきものから埋めてゆく
——NHK「ジセダイタンカ」掲載連作「SAND PLAY」より
わたしたちはさまざまなあきらめに住う。生とはあきらめの仮名だ。
先日、わたしがバイトをしているミックスバーの先輩が仕事を辞めた。理由はわからない。けれど、この店に入ってさして時が経っていないわたしにもわかる程度に、彼女は一種の苛めを受けていた。
始まりは推測するしかないが、何か他のキャストとの喧嘩があったという話も耳にするし、空気感がすこし周りとずれていることに目をつけられたか、あるいは仕事上での弄りが悪化したのかもしれない。単に売れている他のキャストが彼女のことを気に入らなかったというだけの話なのかもしれない。彼女のことを馬鹿にしたり、無視したりしているキャストは多かった。
指名が多く入っているとあるキャストTは彼女を極端に嫌っていた。Tはしばしば客の前でもテーブルに着いた他のキャストを悪く言っていたが、特に彼女には強く当たっていた。すれ違いざまにぶつかると舌打ちをした。彼女は謝っていた。売れていれば何をやっていても店も口出しはしない。
ある日、Tが虐められている彼女との自撮りを店のブログに上げていた。こういった店に限らず、自撮りを加工するという行為は今や当たり前のことだけれど、そこでTは彼女の容姿をわざと悪く見えるよう加工していた。怖いなと思った。目をつけられたくないなと思った。
わたしは、Tがある日「わたしは悲しいことは嫌い」と言っているのを聞いた。Tは「嫌なことをたくさん経験した」とも言っていた。
また、Tはある日「ブスを見るとムカつく」と言っていた。「自分が1番かわいいと思っている」と言っていた。「明日また整形に行く」と言っていた。
ちなみに実際の容姿の良し悪しとは関係なく、彼女は他のキャストを悪く言う。
彼女の攻撃性はひとつの自己防衛なのだろう。悲しくならないための、自身が上に立ち続けるための。
Tのような人も、世界から悲しみがなければ良いと思ったこともあるのだろうか。だとしたら彼女はいつ、あきらめたのだろうか。自分さえ社会のゲームの中で悲しまない勝者になれば良いと思ったのだろうか。それともはじめから、そんなこと考えなかったのだろうか。
わたしは、今よりもっと美しくなりたいなと思う。美しければ他人を傷つけても良いと思っているような人に、そんなのは絶対に間違っていると言えるためにも。ある基準の中で優れていなければひとはひとの話を聞かない。だから強くなる必要がある。これもひとつのあきらめだろうか。けれど、その強さの基準を絶対化はしたくない。
わたしにはとても好きな男の子がいる。あるいは、いた。
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