しゃーないなぁ
難病奇病や死病への私の診療「華佗診」は、まず徹底的にその病の原因を探り出すことから始めます。
西洋医学的な問診も、東洋医学的な問診も、自然医学的な問診も、霊障医学的な問診も、龍神医学的な問診も、病の根源に迫るには欠くことの出来ない診察です。
次に心身魂の氣と波動を診ます。経絡経穴やチャクラ、オーラだけでなく、心身魂の声と繋がります。脈の中で病の根源が何かを叫んでいることもあります。
脳氣功で患者さんの「今ここ」に繋がることで、過去生や未来生、平行次元に隠れている病の根源を見つけ出したり、患者さんの守護霊、守護神さんと対話しながら病の根源を教えていただくこともあります。
そして、食養生や生活養生を中心に、すぐにやるべきこととすぐにやめるべきことをお伝えしています。
この際、私の「我」をメッセージに込めないように努めています。私利私欲な「我」はもう卒業しましたが、哀れみや悲しみ、希望や慈愛の「我」がまだつい入ってしまいます。
「光の前世療法」は、病の根源に迫る最強の治療ツールです。あくまでも患者さんご自身で病の根源と病からの学びに気づいていただくことに主眼を置いていますが、死期が迫っている時などには病の根源についてお話させていただくこともあります。
光の前世療法を始めて20数年・・・最初は神託への介入は絶対にNGでしたが、10年ほど前に許可をいただき、ここ数年は積極的に神託をお伝えするように諭されています。
昨年、「龍神覚醒術」を伝授する許しをいただいたのも同じ流れです。
病の根源が食養生や生活養生で解放できる内は軽病です。
病の根源が我欲とエゴと煩悩の中にうごめく「貪欲」に潜んでいると重病です。病の神さまが「死ぬ気で向かってきなさい!」とおっしゃるとおり、死ぬ気で己の貪欲に向きあわないと解放はできません。
経病と重病の患者さんとご家族に、私は「大丈夫」を繰り返し伝えます。「大丈夫」とは、わずかながらでも病が平癒する希望がある、ということです。
「光の前世療法」や「龍神覚醒術」で、観音さまやお薬師さま、どの神さまと繋がって病のことをお尋ねしても、いつも「大丈夫」とおっしゃってくださるのは、「今、生きている=病が平癒する希望がある」という神言だからです。
神々は病平癒の可能性が消えてしまった患者さんには、決して「大丈夫」とはおっしゃいません。
今、生きているからには病が平癒する希望は必ずありますが、唯一、患者さん自らが病の根源を握りしめて放さない時に、病平癒の希望は消え去ります。
病の根源は、時に恐怖と不安、怒りと悲しみにしっかりと包まれています。それを乗り越えさえすれば、病の根源を解放して根治できるのに・・・最終ステップで頓挫して、病の苦悩の渦に消えてしまう患者さんも多いのです。
このような患者さんには何と声をかければよいのですか?
神さまが答えてくださいました。
「しゃーないなぁ」
患者さんの魂も「しゃーないなぁ」と言っています。
患者さんを支えてきた過去生、未来生、平行次元の「もうひとりの私」さんたちも「しゃーないなぁ」と言っています。
昨日まで「大丈夫」の大声援だったのが「しゃーないなぁ」の嘆息に変わります。
「しゃーないなぁ」と言えるのは、病の根源というゴールが見えていたからです。病の根源が見えないうちは「しゃーないなぁ」とは言えません。
あと一歩のところまで来ていたから・・・「しゃーないなぁ」なのです。
2020年は、この「しゃーないなぁ」の病人さんが急増するでしょう。
もう三次元世界のそこかしこが「しゃーないなぁ」ですからね。