気候変動の影響を受ける尾鷲だからこそ、当事者意識をもって取り組む
三重県尾鷲市という町
三重県尾鷲市。紀伊半島の中央に位置し、人口わずか1万5千人あまりだ。三方を大台山系の山々に囲まれ、一方の海は黒潮踊る熊野灘に面する、海と山に囲まれた自然豊かな町。このように、尾鷲の大きな特徴は海と山の距離が圧倒的に近い豊かな自然に囲まれているということ。
尾鷲の人口は、中心市街地とされる旧尾鷲町に8割が集中し、その他はリアス海岸の入江の奥に集落が点在している。この浦々の集落は高齢化率が60パーセントを上回る典型的な中山間であり漁村集落だ。
尾鷲のもう一つの特徴は、雨が多い町ということ。
年間4,000ミリを超える雨が降り、2019年には10年ぶりに全国1位となる4,662ミリの年間降水量を記録した。しかし、意外なことに日照時間は概ね東京よりも長い。つまり、”一度に降る雨の量が多い”というのが尾鷲の特徴だ。このような雨は地面をたたきつけることから、「尾鷲の雨は下から降る」と表現されることもある。
それでも驚くべきことに、尾鷲では大雨による水害がほとんどない。山々の豊かな森が雨を吸収し、海へと循環させていく。尾鷲の雨は、豊かな海と山、きれいな水と空気を生み出す「恵みの雨」なのだ。
気候変動の影響を受ける漁業
今、世界中が気候変動の波に飲み込まれている。
年々上昇する気温、大型化する暴風雨、台風・・・。
「異常気象」と表現される自然環境は、通常ではないから「異常」であって、何か近年では異常が通常になっていないかとさえ思う。世界的な気候変動、異常気象、地球温暖化。いろいろな表現があるが、とにかく、世界中の自然環境が人類、いや、人間だけでなく生物にとって年々悪くなってきていることは間違いないようだ。
尾鷲では年間200種類の魚介類が水揚げされる。近海もの、底もの、磯もの、定置網・・・。尾鷲の人は水揚げされる魚を見て、「ああ、もうこの魚が揚がり出したか」と季節を感じる。四季折々、豊かな魚介類が尾鷲の港をにぎわせ、市内の魚屋では今日イチの自慢の魚を薦め、刺身はもちろん、それ以外の食べ方は何が良いかなどの会話が日常的にされている。その場に居合わせたお母さんが、その会話を聞き、「ああ、家(うち)も今日それにしよ」と言って夕食のメニューが決まっていく。実に豊かな尾鷲の日常である。
しかし、ここ数年で、海に、季節・旬がなくなりつつある。これまで獲れていた魚種が減り、漁獲量も減ってきているのだ。大きな要因の一つとして、2017年8月から始まったとされる太平洋、熊野灘沿岸を流れる黒潮の大蛇行があげられる。蛇行期間は、過去の観測では1年から2年程度、最長でも4年8か月であったものが、今ではすでに7年を超え、専門機関ではまだ当面続くと予測されている。また、尾鷲市水産農林課では、尾鷲湾内6か所、賀田湾内8か所で、過去30年間、毎月、水温、水質調査を行っているが、この2-3年は、海水温は2℃から3℃高くなっている。(※尾鷲市HP参照:https://www.city.owase.lg.jp/0000005905.html )海の環境において、この変化は相当大きい。
これほど水温が上がれば、これまで尾鷲で水揚げされていた魚はどんどん北上していく。実際、ブリはこの5年ほどで北海道のサケ網にかかるようになり、尾鷲の冬の漁獲の代表であったイセエビは東北まで遡上している。尾鷲の磯で繁茂していた海藻はどんどん磯焼け、海の砂漠化が進み、これまでの豊かな生態系が失われつつある。
尾鷲は山が強いと海は良くなる
一方、山へ目を向けると、尾鷲は1624年から植林が行われたという古文書の記録が残っており、日本で一番初めに植林をした地域とされている。尾鷲市のじつに92%が森林で、うち人工林は58%。そのほとんどがヒノキで、「尾鷲ヒノキ」というブランド名で知られている。関東大震災で尾鷲ヒノキの家は倒れなかったという強靭性が、特に関東を中心に高い評価を受け、ブランド化したものだ。
その尾鷲ヒノキの特徴は、通常の倍以上の密度で植えられる密植にある。古文書では1ヘクタールあたり6,000本から1万本を植えていたという記録もある。密植でたくさん間伐する「密植多間伐」で育てられるため、1年間の成長が小さく、年輪と年輪の間隔が狭く緻密となることから、柱となった時の曲げ強度が高いことを強みとしていた。
しかし、林業においても、全国的な価格低迷、需要減少から、山主の世代交代、相続が進む中で、尾鷲を離れた孫に相続された山林が、おじいちゃんの持っていた山がどこかわからないという問い合わせが増え、所有者不明となってしまった山が増加していることが、大きな課題となっている。山が放置され手入れが行き届かなくなると保水力が衰え、今は恵みである尾鷲の雨が、ふもとの里山にとっては脅威ともなってしまうおそれがある。
年間4,000ミリを超える雨は、市域92%を占める豊かな森林がしっかりと保水し、ミネラルを豊富に含ませて、徐々に川、海、里山へと供給してくれているから、恵みの雨なのだ。あるおばあさんは、「尾鷲は山が強いと海も良うなる。山が弱なると海もアカン」と言った。これらは、尾鷲の山と海、そして里山の密接な関係を示している表現だ。
地球規模の気候変動に尾鷲が挑む意味
海と山に囲まれた尾鷲市にとって、言うまでもなく漁業、林業はなくてはならないものだ。それは、単なる産業というくくりだけではなく、尾鷲という町を作り上げてきた、尾鷲市のアイデンティティを形成する重要な要素であり、それが尾鷲の人々の地域への愛着や誇りにもつながっているからだ。
気候変動は世界的な課題であり、地球温暖化といわれるように地球規模でのできごとである。しかし、その課題に対して、山と海と里山が近い尾鷲だからこそ、体感できる何かがある。取り組むべき価値がある。
尾鷲、日本、世界、地球、宇宙・・・。
フィールドはすべてつながっている。
今こそ新たな挑戦の時代
今からおよそ100年前に、詩人であり童話作家であり、農業者でもある宮沢賢治は、「農民芸術概論」の「序論」で、「(前段省略)世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない。自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する。(中略)新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある」と論じた。そしてその「結論」では、「われらの前途は輝きながら険峻である」とし、「永久の未完成これ完成である」とまとめている。今から100年前の論文である。
当然、今のような自然環境を見越してのことではないとは思うが、賢治が説いた新たな「世界が一の意識になり生物となる方向にある時代」とはまさに今、現代ではないのだろうか。尾鷲市は2022年に「ゼロカーボンシティ宣言」をおこなった。そして、今、気候変動を生き抜くための学校「Network School」を立ち上げようとしている。
私たちの“前途は輝きながら険峻である”。そして、“永久の未完成これ完成である”。今の私たちに選択肢は“挑戦”しかない。
Network School プロジェクトマネージャー募集サイト https://owase.localcoop.io/recruit2024
【執筆者紹介】
芝山 有朋
尾鷲市水産農林課長
尾鷲生まれ、尾鷲育ち。生家は浜の目の前で、小さいときから周りの大人は漁師が多かった。大学卒業後、平成3年4月に尾鷲市役所入庁後、平成30年、現市長の指示のもと「おわせ魅力発信担当」として2年間、尾鷲市のあらゆる魅力を全国に発信しながら事業化していく任務を行う。令和2年4月に現職である水産農林課長に着任し、以降、一次産業と環境課題解決を結びつけながら、一次産品に新たな価値を見出そうと悪戦苦闘中。令和4年3月には、「尾鷲市ゼロカーボシティ宣言」を8つの企業・団体と協定を結び行い、林業と生物多様性が両立したモデル林を作るために「尾鷲市みんなの森プロジェクト」を、「ローカルコープ構想」のもと、一般社団法人LocalCoop尾鷲ら複数の企業、団体と共に実装中。尾鷲ヤーヤ祭りが自己のアイデンティティ。