能登の酒蔵めぐり 数馬酒造を訪ねて
竹葉 生酛純米 奥能登。
能登半島の先端、宇出津漁港のすぐ近く、運河の横に数馬酒造はある。
昨年の秋、この酒蔵を訪ねた。
この時に数馬酒造の直営店で買った酒を家族が送ってくれた。海を越えて、季節を二つ跨いで。
なんて綺麗な味がするんだろうか。
無色透明。香りが美しい。珠洲焼きの猪口で飲む。ざらっとした猪口の口触りから、百倍くらいスムースな酒が滑ってくる。舌に乗せた途端花が咲いて口の中に旨味が広まる。飲み込んでもしばらく舌の先は少し痺れている。歯の裏側に残った名残りすらも美味しい。
日本酒を飲む、酒蔵を思い出す、そこで会った人を思い出す、その道中を思い出す、泊まった宿を思い出す。そうしてあの時に感じた何かが戻ってくる。
辛く苦しい時、愛するという気持ちは深まる。むしろ、愛するという行為だけが人をその深みから救ってくれるように思う。そうしてどこかで見た景色を思い出す。思い出す景色はいつも同じではない。
今日は雲がかかっている。靄の先、小さな漁船が沖にいる。太陽は白く、ベージュの砂浜の先の波は静かに飛沫をあげることもない。
それを私は車から見ている。その人は車から少し先、砂浜の入り口に立って海を見ている。いくつかの車が横を通り過ぎていく。その度にその人と漁船は一瞬見えなくなる。
ぬるくなったコーラを飲む。ステレオを消す。波の音が聞こえる。砂の音が聞こえる。
私も車から降りる。ガードレールに腰をかけ、ただ漁船を見る。煙草はすでにやめてしまった。
また、車が通り過ぎていく。気だるそうに、グレーな顔をした車が通り過ぎていく。キャップを被り直して車に戻る。
漁船は港に向けて走る。それと並行に海岸通りを走って行く。やがて道は曲がり、海は見えなくなり、町が近づいてくる。
どこにも行けないと思っていたが、心はすぐにどこにでも行ける。心がどこかに出かけていくと、体も前に出る。
何かを待っていたが、それは待ってても来ないとわかった。だから動くしかないのである。
酒屋で買うのでも同じことは起きるとは思う。でも、わざわざ八時間運転して、都会の人から見たら何もない街に来て、酒蔵で買ったこの酒は私の中でずっと色褪せずに残る。そのために酒蔵に足を運んでいたのかもしれない。
日本に帰ったら、また能登に行きたい。釣竿とルアーを片手に。
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