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能登の酒蔵めぐり 数馬酒造を訪ねて

竹葉 生酛純米 奥能登。

酒屋で買うのでも同じことは起きるとは思う。でも、わざわざ八時間運転して、都会の人から見たら何もない街に来て、酒蔵で買ったこの酒は私の中でずっと色褪せずに残る。そのために酒蔵に足を運んでいたのかもしれない。



能登半島の先端、宇出津漁港のすぐ近く、運河の横に数馬酒造はある。
昨年の秋、この酒蔵を訪ねた。

2022/10/23 (土) 
6時半に久喜を出発。一路能登半島の酒蔵、数馬酒造へ向かう。圏央道に入ったところで正面に大きく富士が見えた。いつ見ても富士山は大きく、良いものだ。心がしゃんとする。朝食にのどぐろの煮付け(父が酒田で釣ってきたもの)を食べたので腹が減らず、昼食はスキップする。

簡単なトイレ休憩とコーヒー休憩を挟んだだけでずっと移動。予定通り14時くらいに数馬酒造に着き、四合瓶を3本購入。少し辺りを散歩する。

(翌日に訪ねた松波酒造もそうであったが、)酒蔵のすぐ後ろに運河が流れている。かつては、ここから出荷して船に積み込んでいたのだろう。能登半島のこの辺りは北前船の航路上にあったそうだ。ここから日本全国に良質な能登の酒が届いていたということだ。そんな運河の周りを散歩して、流れに沿って歩くとすぐ海にぶつかる。

小さな漁港である。まだ日暮れには早いからだろう、釣り人もいない。昼過ぎだから漁師も帰った。漁協組合のビルに人気はない。風すらほとんど吹いていなかった。秋の空気は冷ややかであったが、太陽の光は優しかった。そこで動いていたのは波と、運河にいる小さな蟹と、民家の屋根に止まった鷺と鳶だけであった。

しばらく波の音を聞いて、車に戻る。九十九海岸を散歩し、五色浜(妻の父が昔行ったというところ)で遠くを走る漁船を眺める。

道の駅 イカの駅でイカ焼きを食べる。16時に宿 まつだ荘にチェックインし、着替えてすぐに外浦で釣り。風がつよくてにっちもさっちもいかない。宿に戻って夕飯に地物の魚と能登牛、地酒を何種類か頂く。部屋に戻り、コンビニで買った立山を飲んで眠る。

この時に数馬酒造の直営店で買った酒を家族が送ってくれた。海を越えて、季節を二つ跨いで。

竹葉 生酛純米 奥能登
竹葉 生酛純米 奥能登

なんて綺麗な味がするんだろうか。

無色透明。香りが美しい。珠洲焼きの猪口で飲む。ざらっとした猪口の口触りから、百倍くらいスムースな酒が滑ってくる。舌に乗せた途端花が咲いて口の中に旨味が広まる。飲み込んでもしばらく舌の先は少し痺れている。歯の裏側に残った名残りすらも美味しい。

日本酒を飲む、酒蔵を思い出す、そこで会った人を思い出す、その道中を思い出す、泊まった宿を思い出す。そうしてあの時に感じた何かが戻ってくる。

九十九海岸からの景色
九十九海岸からの景色

辛く苦しい時、愛するという気持ちは深まる。むしろ、愛するという行為だけが人をその深みから救ってくれるように思う。そうしてどこかで見た景色を思い出す。思い出す景色はいつも同じではない。

今日は雲がかかっている。靄の先、小さな漁船が沖にいる。太陽は白く、ベージュの砂浜の先の波は静かに飛沫をあげることもない。
それを私は車から見ている。その人は車から少し先、砂浜の入り口に立って海を見ている。いくつかの車が横を通り過ぎていく。その度にその人と漁船は一瞬見えなくなる。
ぬるくなったコーラを飲む。ステレオを消す。波の音が聞こえる。砂の音が聞こえる。
私も車から降りる。ガードレールに腰をかけ、ただ漁船を見る。煙草はすでにやめてしまった。
また、車が通り過ぎていく。気だるそうに、グレーな顔をした車が通り過ぎていく。キャップを被り直して車に戻る。
漁船は港に向けて走る。それと並行に海岸通りを走って行く。やがて道は曲がり、海は見えなくなり、町が近づいてくる。

どこにも行けないと思っていたが、心はすぐにどこにでも行ける。心がどこかに出かけていくと、体も前に出る。
何かを待っていたが、それは待ってても来ないとわかった。だから動くしかないのである。

竹葉トラック
竹葉トラック

酒屋で買うのでも同じことは起きるとは思う。でも、わざわざ八時間運転して、都会の人から見たら何もない街に来て、酒蔵で買ったこの酒は私の中でずっと色褪せずに残る。そのために酒蔵に足を運んでいたのかもしれない。

日本に帰ったら、また能登に行きたい。釣竿とルアーを片手に。

宇出津港
宇出津港
氷見の海岸と爺
氷見の海岸と爺


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