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参鶏湯

参鶏湯。読み方はサムゲタン。初めて食べたのはニューヨークのコリアタウン。その時一緒にいた人も、季節も、食べた時間も異様に鮮明に覚えている。雪がぱらつき、氷点下近い寒空の中、深夜に駆け込むように入った店であった。マンハッタン、ウエストサイド32丁目、マルティニークホテル横の縦長の店である。今はもうないかもしれない。

ニューヨークのKタウンは24時間営業である。いつ行っても美味しいご飯が食べられる、ヨアソビし放題の、もしくは寝ずに課題にとりくむ学生にとってはいつでも暖かい食事にありつける天国みたいな所だ。「いい店知ってるから韓国料理を食べに行こう」宣言したのは、当時付き合っていた同郷の彼氏である。おたがい昼から深夜近くまで空腹状態で課題制作に打ち込んでいたある土曜日、もうご飯を作る気力も残っておらず、近所の店は全てシャッターをおろしている、でも何か栄養のあるものが食べたい。切実な気持ちで彼の家を出ると、ピリリリと凍てつく冬の空気が肺を一気に満たして身震いした。近所は静まり返って、少しでも声を出すと世界に自分達だけとり残されたように響いて不安になる。彼と暖め合うように腕を組み、ひっそりと小走りに駅まで行き、電車に乗り込んだ。KタウンまではNトレインで一本である。

店はビルとビルの隙間にぎゅうっと押し込まれたように、奥に広がる縦長の空間で、入り口から想像するより遥に広かった。時間も時間なので客はポツポツまばらだ。日本にいた頃韓国料理といえば、焼き肉、ビビンバ、キムチであったが、そのような物を食べている他の客はいない。メニューにさっと目を通していると、彼氏にここでは参鶏湯を頼むんだよと勧められ、そのまま参鶏湯2つが注文された。メニューの写真には、見るからにやさしげな白濁色のスープが写されている。Kタウンでは、注文が終わると同時に、『パンチャン』という多い時は10種類ほどのつき出しが小さな丸い銀食器に乗ってドカドカと卓上に置かれていく。キムチやチャンジャなど定番の他、ごま油風味のおひたしや、キノコを煮たもの、煮干しなどもあり、おかわりも自由だ。さすが天国。

ビールを飲みつつ、つき出しをつまみつまみ待っていると、おばちゃんが鷹揚な感じでやってきて、熱々スープの入った大きなどんぶりを目の前にドーン、ドーンと置いていった。驚いたことに白いスープの真中に小ぶりの鶏がまるっと横たわっている。丼から立ち昇る芳香は「これは間違いないよ」と折り紙を付けてこちらを誘う。そしてスープを一口啜ってのけぞった。

う、うますぎる!

その時、寒くて、ひもじくて、カラカラだった胃袋に白濁スープは瞬間吸収され、五臓六腑ってこのことなのねと、文字通り身に染みた。鶏肉の方もしっとりしていて、軽くはしでほぐれ、中からコメやら、ジンセンやら、クコの実やらが溢れ出す。最終的にはお粥みたいになって、ペロリと完食した。食べながら、なんだかちょっと涙ぐんだと思う。ニューヨークの冬には人を寂しくさせる感じがあって、それにこのスープは温かすぎたのだ。

この時のこの彼氏、皮肉にもちょっと冷たいところのある人だった。付き合っている間、私はずっと寂しかったように思う。若さゆえ、さっさと諦めていればよかったものを、数ヶ月ごとに別れ話を持ち出しては気をひくような、自分でも辟易する挙動をとっていた。私は彼を好きで好きで好きすぎたのか、それとも振り向かないことに意地になって執着していたのか、正直に気持ちを曝け出すことができずに疲れさせたのか、気持ちを曝け出しすぎて飽きられたのか、とにかく結局はうまくいかず、4年も付き合って、彼が一足先に大学を卒業して帰国するとともに自然消滅したのだった。

それとは全然関係なく、帰国後日本でまだきちんと参鶏湯を食べたことがない。一度母と訪れた韓国で食べたのが最後である。知らなかったのだが、韓国では参鶏湯は疲労回復と夏バテ防止に良いとされ、夏場に食べられるそうである。それもいいのかもしれないが、私は出会いの印象が強すぎて、どうしても冬に食べたくなる。調べてみたら、家でもそれなりに作れるようだ。今年の冬こそは作って食べようサムゲタン。

おいしそうなレシピあったのでシェアしますね。


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