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100年続くということ

築100年を超す建物の一角で本屋をやっている。

この玉乃井という元旅館は、福岡県の津屋崎という静かな港町にあり、夕陽が美しい海のほとりにたたずんでいる。その昔、このあたりは旅館が立ち並んでいたらしいけど、いまは住宅ばかりになっている。100年前にこの建物をつくった人は、いまの町並みを想像できなかっただろう。ましてや、なんの縁もなかった若造が間借りして本屋をやることなど、わかりっこない。

100年経つというのはそういうことだ。いい未来をつくるためにいまやれることはいろいろあるんだろうけど、その結果をコントロールできるというわけではない。

未来に対して悲観的な見方が多くて危機感を煽られるけど、いまのことや自分のことでいっぱいいっぱいで、未来のことにかまっていられないのも仕方のないことだ。

だけど、この100年以上続く建物で過ごすうちにわかったことがある。

この空間にいると、いままでこの場所でいろんな人たちが積み重ねてきた物語を勝手に想像する。そのとき、100年前の人たちにとって、わたしたちはその100年後を生きているという時間の流れを実感する。そこから、わたしたちにとっての100年後が確かにやってくるのだとリアリティが湧いてくる。そして、わたしたちもいつか過去の人になるということを悟る。

世代を超えて続く大きな物語のなかにいることに気づいたとき、こんな問いが浮かんだ。

わたしたちは、100年前の人たちにも、100年後の人たちにも、胸を張れるような社会をつくっていけているだろうか?

あまり自信はないな、というのが正直なところ。

そもそも、社会のことも、社会をつくっている人間のことも、わたしたちがどんな世界で生きているかも、よくわかっていない。

わからないから、本を読む。
本のなかには、いい未来を考えるためのヒントがたくさんある。
だけど、100年前から、1000年前から、もっと昔から、いろんな人が理想の社会を考え続けてきたけど、答えは出ていない。

答えはないから、考え続けるしかない。

自分の行動が100年後どんな結果につながるかなんてどうせだれにもわからない。そんな軽やかなこころで、いいと思うことをやっていくしかない。

この本屋で、この建物で、海や夕陽を眺めながら、そんな考えごととゆっくり向き合える場所をつくっていく。
そこで過ごす時間がいい未来の種になるといいな、などと思いながら、未来を信じながら。

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