発想を転換し、お年寄りも小さなお子さんも、安心して自転車で車道を走れる街づくり、道づくりが望まれます。
電車やバスなど不特定多数と密接しやすい公共交通機関を避け、自転車や徒歩などの移動手段を選ぶ方が増えているそうです。
私個人的には、一人びとりの健康のためにも、温暖化ガス削減のためにも、とても良いことだと考えています。
しかし、心配なこともあります。
それは、社会的なインフラとしての自転車の立場が、まだまだ中途半端な状況に置かれていることです。
多くの方々の尽力で、自転車は軽車両であり原則として車道を走るものであるというルールが、漸く一般の方々の知るところとなりました。しかし、そのルールが定着しているかというと、まだまだ心細い状況です。
そのような自転車の中途半端な位置付けを反映してか、自転車に乗る人の意識も中途半端なところがあります。自分たちは歩行者の仲間だという意識が蔓延しているのです。
自分たちは歩行者の仲間だから歩道を疾走してもかまわないし、信号無視や逆走など、交通ルールを守らなくてもかまわない。そう誤解している方のいかに多いことでしょう。
解決すべき課題は多くあります。
ハード面としては、自転車通行帯の確保です。
車道上に自転車通行帯を設置しようとすると、自動車の利用者から苦情がでます。車道上を走る自転車の運転が危険、自転車通行帯があると荷下ろしに支障が出る、等々。
仕方なく歩道上に自転車通行帯を設置すると、今度は歩行者が危険になります。交差点やバス停等、歩行者の導線と自転車通行帯が交錯するところができるからです。
ソフト面では、自転車利用者の意識改革です。
自分たちは歩行者の仲間だから歩道を疾走してもかまわないし、信号無視や逆走など、交通ルールを守らなくてもかまわないという意識の改革です。
そのためには自転車は車両の仲間だという意識の改革も必要ですが、それ以上に歩行者も交通ルールを守らなければいけないという意識の定着が必要だと考えます。
小学校で必ず教える信号を守りましょうという教えを、いったいどれだけの大人が守っているでしょう?お手本となる大人が守っていなければ、子供だって守るわけはありません。
最後に、私が一番気になっていることがあります。
それは道路はだれのためのものか?という疑問です。
戦後の高度経済成長期の影響から、道路は自動車の通行を最優先に考えて建設されてきました。歩行者の安全のために横断歩道を作ること、交通信号を設置することを検討するにあたり、必ず交通渋滞を招く危険があるという反対意見がでます。今日においては自動車が社会の重要なインフラとなっていますから理解できないこともありませんが、あまりにも自動車優先に過ぎないでしょうか?
自転車の車道通行を議論していると、「お年寄りや小さな子供が自転車で車道を走るのは危険だ」という意見が出ます。
確かに、現状において、お年寄りや小さなお子さんが車道を自転車で走行することは、危険を伴う場合もあるでしょう。
しかし、お年寄りや小さなお子さんが車道を自転車で走行することが危険な車道で、本当に良いのでしょうか?
本来は、お年寄りでも小さなお子さんでも、安心して自転車で車道を走れる街づくり、道づくりが必要なのではないでしょうか?
そろそろ発想の転換が必要です。