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#8 「社員」に対する私の想い 「良い思い」の源泉と2つの幸福

前回から、私の「社員」に対する想いを綴っています。
私は、この会社での経験を得ることで、より豊かな人生を送ってほしいと考えています。

社員に対する私の思いをさらに簡潔に言語化するなら、
「良い思いをしてほしい」の一言に尽きます。例えば、次のような事柄が「良い思い」の例に挙げられるでしょう。

  • 笑顔で働いていられること

  • 同じビジョンや目標を持つ仲間と切磋琢磨できること

  • キャリアプランがしっかりと準備されている環境であること

  • 努力したいと思えるような環境であり、その努力が報われること

  • いつか転職したときに、周りの人たちから「LMIにいたの?」と良い意味で驚いてもらえること

  • 相対的に満足のゆく給与水準であること

  • 良い人間関係がある環境であること

などなど。

そのため、会社のMVV(ミッション・ビジョン・バリュー)やパーパスに共感してもらえるような環境づくりは大切ですし、インテグリティの高い人を採用することも大切。

また、例えば企業として上場していたり海外展開していたりすることも、社員に「良い思い」をさせてあげられるものだと思います。

上場企業の社員であることで社会的な評価を得られやすいし、住宅ローンで借りられるお金の額も上がります。
海外に支社があれば、国内にとどまらず世界を股にかけて仕事をする、そんなチャンスとめぐり合いやすくなります。それらも「良い思いをする」の一例と言えるでしょう。

それらの「良い思い」はどこから生まれてくるものなのか、
ここで少し整理してみたいと思います。


「良い思い」の源泉

大きく分けるなら、下記の4点にまとめられるでしょうか。

  1. 仕事を通して社会課題を解決できるか

  2. ともに働く素晴らしい仲間たちがいるか

  3. 労働環境や報酬条件

  4. 所属企業の社会的価値

この中で最も幸福として分かりやすいのは、
「労働環境や報酬条件」「所属企業の社会的価値」の2つだろうと思います。

自分らしい働き方ができたり、給料が高かったり。
自分が働いている企業の知名度、あるいは時価総額が高まったり。

確かにそれらは、社員の「良い思い」に直結する部分です。
つまり、企業の成長はそこで働く社員のためにも不可欠な重要な要素です。


2つの幸福 ―「ヘドニア」と「ユーダイモニア」

企業の成長は働く社員のためにも不可欠である一方で、
とにかく利益だけを追い求める成長でよいかと言えば、そうではない。

きれいごとに聞こえるかもしれませんが、
崇高な夢を描きつつ、最高の仲間たちと企業を大きく成長させることこそが重要だと考えています。

それが、
仕事を通して社会課題を解決できるか
ともに働く素晴らしい仲間たちがいるか」の2点です。

2023年、話題になった本に『グッドライフ』というものがあります。
同書の中で、人間が感じる幸福には2つの種類があることが紹介されています。

1つは「ヘドニア」
五感を使って得られる快楽のことを指します。例えば、高級な料理を食べて「おいしい」と感じることはヘドニアの一種でしょう。

もう1つが「ユーダイモニア」
こちらは、自己実現や意義あることに打ち込み、生き甲斐を感じられる幸せのことを指します。
目標に向かって努力し、困難を克服したりするときに感じられる達成感や充実感などのポジティブな感情です。

企業は社員に対して、この両方を提供していくことが重要だと思います。
雑誌などで「年収が高い企業ランキング」のようなものを目にすることがよくありますが、その上位には、ヘドニア主義の企業が一定数含まれているのではないでしょうか。

確かに給与は高いかもしれない。
でも、それだけで社員を拘束していて、かけがえのない仲間たちと一緒に頑張るやりがいだとか、世の中に対して大きな意義を与えている実感を得ることだとか。そうしたユーダイモニアの観点が欠けている企業も少なくないような気がします。

一方で、給料は決して高くないけれど、仲間たちと一緒になって社会を変えようとしているベンチャー企業もたくさんあります。

こちらは、ユーダイモニアを満たしてくれる企業と言うことができるでしょう。でも、やはり待遇の面に不満を募らせ辞めていく社員が出てきてしまう。お金も大事だからです。

ヘドニアとユーダイモニア。企業は、社員が感じる2つの幸福、その両方のバランスを保ちながら成長していくことが大事なのです。


ヘドニアだけでは幸せになれない?

もしかすると、この文章を読みながら「ユーダイモニアなんて要らない。ヘドニアさえ満たされればいいよ」と感じている方もいるかもしれません。

確かに、ヘドニアのほうを真っ先に手に入れたいと考えるのは当然のことでしょう。
ただ、ヘドニア的な幸福感がある程度満たされるようになってくると、人はそれだけでは幸せに生きていけないことに気がつくようにもなります。私自身がそうでした。

私の父は会社を経営していたので、私は「社長の息子」として育ちました。家の車庫には群馬の田舎町には似つかわしくないような高級車が停まっていたし、子どもながら有名ブランドの服を買い与えられ、外食に行く機会もよその家庭より断然多かった。高校生の頃には高額なお小遣いをもらっていました。

そんな私を見た周りの人たちは一様にうらやましがっていました。
私自身も、幸せそうな表情を浮かべていたかもしれません。
でも、その後、年齢を重ねていくにつれ、それだけでは満足できないことに気づいていきます。

ヘドニアの先にユーダイモニアがある

『グッドライフ』の中で、年収と幸福度の相関関係について、次のようなことが述べられています。

年収が低い状態から一定の水準までは、それと比例して幸福度も高まっていく。手に入れられるお金が増えて幸せ、そういうヘドニア的な幸福感です。
でも、さらにどんどん年収が高くなっていくと、幸福度の上がり具合は次第に鈍くなっていきますその先の幸福は、ユーダイモニアで埋めていくしかないのだと思います。

私の父は、今になって思えば、かなりのヘドニア主義者でした。同じくらいの世代の経営者たちは皆、同じような感覚だったかもしれません。先述したように、父のもとで育った私も、その恩恵にあずかっていました。
でも、家業に入って仕事をしていくなかで、いつしか満たされない自分がいることに気づきました。

もしそんな気づきがなかったとしたら、今のLMIグループは存在しないでしょう。

社員の幸福な人生に目を向けることもなく、単なる労働力とみなしていたかもしれません。

そんな経営の手法にも、そうしてお金をたくさん手にする生き方にも、私の心は燃えたぎりませんでした。

繰り返しになりますが、このLMIグループという会社で経験を積み上げることで、それぞれの社員の人生が加速し、より豊かなものになってほしい。
そこにこそ、私の心は熱くなりました。

これこそが私にとってのユーダイモニアです。

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