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世界の捉え方について

わたしが見ている世界はフィクションらしい。
有る物、起きてる事、いる人々に感情やレッテルを乗せているはのは「わたし」らしい。

「わたし」ってなに?
「本当の自分」ってなに??

ブッダ曰く本当の自分とかないらしい。

「無我」なんだって。

☀→🌧️→🐛→🐔→🍗→🧍(※1)
「自分」は「自分以外のもの」からできている。
全て繋がっていて常に変化している。

全てが変わっていく中で「変わらない自分」であろうとするから苦しくなるらしい。

(※1)をみると始まりは太陽だ。
人を含む生き物も、人がつくる物も元をたどれば太陽がないと成り立たない。
そもそも太陽がなきゃ暗すぎだし寒くて生きられない。

わたしたちは太陽のエネルギーを吸って飲んで食べている。
わたしたちは太陽のエネルギーそのもの
イコール『わたし≒宇宙』 はえー。。すごいね

だから「The わたし」なんていう「変わらない本質」なんて存在しない。

例えば…
子供ができたから「母」になる。
子供から見たわたしは「強い」が、心を許せる人の前では「弱い」姿もみせる。
詐欺をする男は「悪い」が、その金は病気の妹の治療のためのお金であったとして、妹からみると「善い」兄だ。

その場のレッテルは幻のように儚い。つまりフィクションなのだ。

「わたしは決断力がないから、なにもできない」
……誰と比べて??誰調べ???

そうなるとこの悩みも想像によって架空の筋や事柄をつくっている。まさにフィクションである。

ふむふむ
なんか理解できる気もする

でも…フィクションかぁー。うーん。
戦争で苦しんでる人を前にしたときどうすればいいんだろう?
「みんな宇宙じゃん?大丈夫だよー
これもフィクションじゃーん」

なんてはとても言えんのよなぁ…

これ読みました!
最近、宇宙とか哲学とか読み漁ってる←

なんとか今を改善したいーーー!!ってじたばたしてる感じです

この本おもしろかったー
笑いながら読みました

この本読んで、頭の中をまとめるイメージで書いた。
この内容は本の途中までで、仏教の考え方みたいなところ

この先のこともまた書こうと思う

でもフィクションだってのはわかっても、共感力とかなくしたくないなって…
そのへんはまた読みながら書き起こしながら色々考えたいな


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