#13 銀河の犬と水玉~曼珠沙華の伝言~
サーカス
今度はパートタイムの仕事を探そう。
一週間に3日程で1日5時間位なら、続けられるんじゃないだろうか。
そんな仕事はハローワークでは無いと言われた。
しかも、亜急性甲状腺炎の診断書を出したので、それはもう治ったのか?と聞かれるので、治ってはいないが誤診で本当の病名がわからないと正直に言うと、その状態の身体で雇う会社は無い、と。
そりゃそうですよね。
人生そんなうまくは……
——ありました。
条件が合うし、更に二ヶ月限定のバイト募集。
サーカス‼
動物好きな身としては、動物を使ったサーカスは電気ショックを与えているとか、クマや象にはナイフで刺してる事もあるとか恐ろしい噂を聞きまくり、でもそれは海外のサーカスなので、日本のサーカスの動物の扱いってどうなんだろうか?
人から聞いた話じゃなくて、本当の事が知りたい。
働いたら何かわかるだろうか?
そんな気持ちで面接を受けてみたら通った。
私の配属は飲食店の売店スタッフだった。
入ってから驚いたのはトイレ掃除の頻繁さ。
一日中ひたすらトイレ掃除だと言っても過言では無いほどの毎回徹底した壁も拭き上げる清掃っぷり。
売店スタッフだからそんなにガテン系では……と思ったのが大間違いだった。
戦場のように慌ただしいトイレ掃除と、ポップコーンのあの機械を毎日掃除する大変さ。
会場の管理は雨や風の度に芝生のようなマットを敷き直したり洗ったり、野外の建物は砂埃や泥で汚れが酷いので、とにかく一日中あちこち掃除。
ガテン系と呼ぶべき仕事であった。
一ヶ月も持たずにまた倒れるようになった。
早退ですんでいたものが、欠勤となり、たったの二ヶ月すら皆勤出来なかった。
最終日はテントの撤去で一番のガテン系。
その一日の為に何日も寝込んで動けない日を送った。
慌ただしい中で、動物のゾーンへ行ける時もなく、象をお散歩させている所は見かけたが、特に噂で聞くような虐待行為は見ることも聞くこともなかった。
でも全国を移動して環境が変わり、小屋の中で過ごす日々はそれだけでもストレスだろうと思う。
ただ、一つだけの事実は、ショーの中で象さんの背中に乗ってステージを歩くお姉さんが、サーカスを辞めてしまってから、観客として見に行った時の事だった。
象さんと写真を撮ることでその収益をアフリカ象の為だったか?詳細は忘れたが寄付金とする活動をしていて、サーカスのショーが終わったあとに外で象さんと写真が撮れるスペースがあるのだ。
そこへ、辞めたお姉さんが現れた時、象さんは嬉しそうに懐かしそうにベッタリとくっついてとても幸せそうな顔をした。
「虐待だ!象に乗るな!」と騒いでた人もいた。
けれど、本人の象さんは、そのお姉さんに会えてとても嬉しそうだった。
明らかに他の客にはしない態度でハグをするように寄り添っていた。
それでも、象に乗ることは虐待でしょうか?
少なくとも、この象にとっては、お姉さんと一緒にいる時間は楽しかったのではないだろうか。
私も辞めてから他の会場で行われているショーを見に行った事があったけれど、虐待して調教してるのかは謎なままだけど、やはり動物が指示通りにショーをするのは観ていても素直に楽しめたり喜べたりしない。
人間だけのショーでいいのではないかと思う。
ただ、働いてわかったのは、子供が象さん、キリンさん、シマウマさん……と観たがっている事は確かだった。
人間だけのショーなら、あんなに子供は入らないのかもしれない。
需要が大きいのだ。
動物がショーをするのは自然な事じゃないんだよ、と知らないからとはいえ、海外の子供の中には動物園へ行って「かわいそうだ」と言った子供もいる。
感受性の問題なのか。
日本ではもっと動物の尊厳を教えるべきではないだろうかとも思ったりする。
サーカスや動物園に限らず、身近な犬猫がまだ小さいお子さんが加減を解らずに強く叩いたり尻尾を引っ張ったりしている動画を「遊んでるだけです」と言い張りアップする人も見かける。
子供に攻撃されてる犬猫達が可哀想だなぁとも思うが、その時は痛くても、それを無しに出来るほどの幸せな時間が沢山あるのかもしれない。逆に大きなストレスに感じてるかもしれない。
職場の同僚で幼少期に犬を飼っていたという人から最悪な話を聞いたことがある。
幼かったその人はオヤツを手に持ち犬の前に出しては
「食べたい?……あげな~い!」と引っ込める事を繰り返していたらしい。
しつこく何度もしていると犬が痺れを切らせてカプっとかじりついてきた。
驚いたその人は「わ~ん」と大声で泣いた。
その声に駆けつけた親に「何もしてないのに犬が突然噛み付いてきた」と嘘をついたのだった。
その犬は施設に連れていかれてしまった。
子供のイタズラと小さな嘘で、犬は簡単に殺処分だってされてしまう。
人間を襲った凶暴な犬として。
その噛み跡は残らないほどの甘噛みであったにも関わらず…
それでもその犬は飼い主としてその人を選んだのだろうか?愛していたのだろうか?
動物の気持ちがわかったらいいのになぁ。
動物と言葉が交わせたらいいのになぁ。
結局いつもそこへ辿り着く。
その子にとっての最善が何なのか、幸せが何なのか、本人に確認出来たらいいのになぁ。
それは周りが勝手に想像している内容とは180度違った答えが返ってくるかもしれない。
運命を変えた皮膚科
そんな思いを巡らせるサーカスでの仕事は洗い物も多いので、すぐに手が荒れてひび割れだらけとなり、久しぶりに皮膚科へ行った。
サーカスは10月から12月の初旬までで終わり、その疲れで寝込んだので、病院へ行ったのは2016年1月だった。
しばらく来なかったけど、と言われて、今まで皮膚科に来られる余裕すらなかった事を聞いて貰った。
皮膚科の先生は、「これは皮膚科には関係ないと思うのですが」という事でも「身体の事だから関係ないってことはない。どこでどう繋がってるかわからないから、何かのヒントになったり正しい治療法に繋がるかもしれないから何でも言って。」と丁寧に話を聞いてくれる女医さんだった。
インフルエンザみたいな感覚なのに高熱は出なくて……と説明していると
「待って。それどこかで聞いた気がする……」 と懸命に思い出そうとしてくれていた。
そして、資料をスタッフさんに渡して「コピーして」と指示した。
「それ、もしかしたらこの病気じゃないかと思うの。ただ、この病気って県内には診断できる医師がいないから早く東京の専門医に行った方がいいと思う。うちの患者さんがたまたまその病気で、資料を置いていってくれたから、コピーして渡すね。そこに患者会の連絡先も書いてあったと思うから連絡してみて。早い方がいいから。」と。
そこに書いてあった病名は
筋痛性脳脊髄炎《きんつうせいのうせきずいえん》(ME)/慢性疲労症候群《まんせいひろうしょうこうぐん》(CFS)
というものだった。
脳の炎症の病気で、書いてあることが当てはまりすぎて怖いほどに、もうこの病気で間違えない!と思えた。
確定診断
4年間で15箇所の病院を周り、16箇所めの東京の病院でやっと、2月に確定診断がついた。
長かった。
本当に病気だったんだ。
病名はあったんだ。
やっと辿りつけたんだ!
嬉しくて嬉しくて、それが安心出来る事の始まりかのように思ってしまっていた。
でもそれは、原因不明でまだ治療法も確立されておらず、大体発症して5年で車椅子になり、更に重症化すると寝たきりになり治ることは無い病気だと知らされる。
そして指定難病になってないという事も。
一度に理解は出来なかった。
ただ、この病気を知ってる先生に出会えたこと。
この病気について質問が出来ること。
ネット検索したら情報が出てくること。
そしてこの病気の患者は私だけでは無いということ。
ああ、長かった。
やっとたどり着けた。
やっとその名前にたどり着けたのだ。
県内に知ってる医師がいないなら、何十件回ろうが何年かかろうが辿り着ける筈がなかったのだ。
皮膚科の先生!
拾う女神様‼
患者の声に耳を傾ける医師が名医である事は、こういう事でも証明できるのだ!
パレードを練り歩くような感極まった喜びと、
とんでもなくヤバい病気じゃないのか?という先の見えない不安のドキドキが最高潮に興奮状態を作り上げた。
そして間もなく暗闇に突き落とされるまでが、本当に早かった。
和温療法
バスと電車を4回乗り継いでやっとの思いで辿り着く東京のその病院では和温療法という治療法を紹介された。
そのための準備の荷物が大荷物になるので、毎回旅行バックを下げて、その重さを持つ力も無く、乗り換えが多いので椅子が空いてないと座れない時があり、意識が朦朧となったり倒れそうになりながら、最寄り駅に着いてからがまた坂があり長い道のりなのだった。
それを往復するだけで、帰ったらまた数日動けずに寝込んでしまう。
そして汗だくになるはずのその治療で私は一滴も汗が出ないどころか、冷え性である手足の先は冷たいままだった。
治療前と治療後で数値を測ると、患者さん達は良くなっているらしいのだが、私の数値は変わらないか少し悪化してる時すらあった。
数回受けるも同じ状態で、
同時期に父親の入院もありお見舞いに行くだけでも疲れて和温療法というより4回乗り換えた上で歩き続ける通院は少し休みたいと思った。
体力的に限界を感じていた。
しかし、やはり地元では病院は見つからないだろうと思い、東京か隣県に無いかネットで検索した。
すると東京に治癒率を表記している病院があった。
治せる病気なの?
どんな治療法があるのか、試してみたくなり予約を取った。
温熱療法とお灸
温熱療法とお灸だった。
筋肉のコリなどを診て頂き、私には鍼は刺激が強すぎるようだから使わない方がいいだろうからお灸でやる、との説明を受けた。
先生に「身体が軽くなっても、治ったと思って動かないで。なるべく安静に休んでて。動けると思って動いてしまうとすぐに戻ってしまうからね。まだ治ってはいないから。」と注意されたにも関わらず、久しぶりに味わう身体の軽さに、スキップしたくなる感動と、治るんじゃないかと信じられる希望が見えた。
そして先生は「治る病気だからね。頑張ろう。ゆっくり、時間はかかっても、治るからね」とも言ってくれた。
もう一生こんな重い身体のままで過ごすのかと絶望的な想いから一気に救われたのだった。
そして和温療法が効かない理由は、内蔵が冷え切ってて、その程度の温度と時間じゃ温まれないほどに冷えているからだと教えてもらった。
もっと体温をあげられたなら、和温療法が効果のある治療になるかもしれない。
それまでにはまだ、治療が必要だね。和温療法が出来る身体にもなってないんだよ。と。
そのレベルからスタートなのか。
では一度和温療法は休止して、こちらの治療を続けるか…と思い、和温療法の病院の次の予約をキャンセルした。
そして数回通っただけで、もう効果は出始めていて、身体も軽くなり、前より歩けるようになっていた。
熱中症からの…
順調だと思って喜んでいたその夏。
通院のために地元の駅に向かった。
そこで電車の遅延のために30分以上ホームで待つことになった。
蒸し暑い日で、電車が来る頃にはもうぐったりしていた。
でも、病院に着きさえすれば後は何とかしてもらえるから。とそのまま向かった。
少し息苦しさを感じたまま、その日は施術をしてもらっても苦しさが残っていた。
帰りは指定席でリクライニングにしないとキツイな……と思い、その通りにした。
それでも体調はどんどん悪くなって行った。
家に着き、そこから何日もまた寝込むことになったが、こんどは様子が違っていた。
脱水症状なのか、熱中症なのか……
二階から階段を降りるのももう必死だった。
トイレに行くくらいなら我慢したい位に動けなくなっていた。
呼吸も浅く、とても喉が乾いた。
この状態で東京へ行くのはもう無理だ。
地元で病院を探そう。
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