
足りないのは発達障害として生きる覚悟のほうだったかもしれない
こんにちは、階段の下の倉庫に防音室を作ったとまよこ りゃんシーです。
さて、前回のトランスジェンダー覚え書きを書いてみて、発達障害のほうも書いてみようと思って書いてみた。
発達障害覚え書き
発達障害覚え書き【幼稚園前】
l 約3,500gで生まれる。帝王切開。
l 母が妊娠中毒症になったためずっと寝かされていたら右側の頭蓋骨が平らになってしまった。
l 母乳を与えてもらっていないらしい。
l 新生児室で「りゃんシーちゃんが泣き始めると他の子が泣き始めるのよねー」と言われる。その頃から空気が読めなかったようだ。それともその頃から低血糖になりやすかったのか。
l 朝起きると必ず散歩に行かないと癇癪を起こしていたらしい。散歩では階段を上ったり下りたりを繰り返したり何かをずっと見ていたりしたらしい。
l 離乳食ではまぐりを食べて下痢
l 抱っこしていると寝るが布団に置くとすぐ目を覚まして泣く為「置くとギャー子ちゃん」と呼ばれていたらしい
l 初めて立って歩いたのは11ヵ月。
l 顔を水につけるのが嫌すぎて水泳を拒む。今もシャワーが苦手。
l 朝食後にすぐに散歩に出ないと気が済まず癇癪ばかり起こしていたらしい。
l 坂を登ったり下りたりを延々と繰り返して遊んでいたらしい。
l ドラえもんが好きで、ビデオがすり切れるまで何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も観ていたらしい。
l 雑誌のポーズをよく真似ていたらしい。
l 歩き出すのも手紙を書くのも早かったらしい
発達障害覚え書き【幼稚園】
l スケッチブックの全ページに「たてたてよこよこまーるかいてちょん」を書いて一瞬でスケッチブックを消費する
l 授業でやった虫眼鏡で黒い紙を燃やす遊びにハマり、みんなが飽きた後も一人でずっとやっていた。
l 先生に「みんなと遊ばないの?」と言われる事が増えた。
l 竹馬やホッピングなど遊具を使いたかったが、どう言えばみんなでシェアしたりうんていなどの公共の遊具を共有して遊べるのかがまったく分からず、遊具で遊ぶのを諦めた。
l 年中の時、面識のない年長の遊んでいた砂場を善意でいきなり片付けて怒られた(どうやら年中と年長で遊び時間が違ったらしい)
l スカートめくりをして遊んだ。
l 漠然と、「もしかしたら今が一番人生で楽しいかもしれない」と思った。
l 「おませさん」とか「おねえちゃん」とか呼ばれていたらしい。他の子より背が高かったのは事実。写真を見ると他の子は自然体で写っているのになぜか自分だけは必ずポーズを取っている。
l 他の子より文字の読み書きが早かった。3歳で祖母に手紙を書けたらしい。
l 花いちもんめやごっこ遊びなどはしていたと思う
l プールに顔をつけられず泣いて拒否する。プールは嫌いだった。
l 女児アニメの黎明期。セーラームーンはあったがプリキュアはなかった。その間に「キューティーハニー」があった。キューティーハニーは恐らくほとんど男性スタッフで作ったものだろう。僕にはそれが逆に良かったのだと思う。その後出てきた「おじゃ魔女」などは女性向けの人間関係の描写が多くついて行けなかった。キューティーハニーの、女の子がどんな職業にも自在に変身して潜入するというコンセプトが、女児には不評だったかもしれない。でも僕にはとても面白く感じた。今、記憶を辿っても、女児向けで女児のアイデンティティが薄いと言う作品は「キューティーハニー」と「ガラスの仮面」くらいしか思い付かない。この二つは女の子特有の自我の強さを感じさせない作品だと思う。
l テレビをずっと観ていた。『ドラえもん』のビデオがすり切れるまで何度も観ていたらしい。母曰く「テレビさえ見せておけば静かだったから」
発達障害覚え書き【小学校】
l 女子のパンツが見えたから「見えた!黒いチェックのぱーんつ!」と叫んだらめちゃくちゃ嫌われて絶交された。
l 他の子はみんな塾に行っていたり勉強していたりしていたが自分だけ放任だったので「お前円錐の体積の求め方知らないだろ」などとばかにされた。勉強できる奴、勉強そのものが嫌いになった。
l 牧場物語が好きでずっとやってる、スーパーマリオは無理
l 子供の頃「飛脚」になりたいと思ってたなーそういえば。手紙とか好きで人に何かを渡したり心を通わせたりするのが好きだとばかり思ってた
l ディフォルメや要約、たとえ話が得意。抽象化?普遍化?みたいなのが得意。端的に話してしまう。たぶんワーキングメモリが少ないのでいかに簡略化するかに特化してしまったのだと思う
l 公文式に通わされたが、先生に提出してチェックしてもらうという行為ができず(何故できなかったかは思い出せない。恥ずかしかった、並ぶのが嫌だった…?勉強ができないこと自体が嫌だった訳ではないと思うが、できなすぎて帰れないのが嫌だったかも)親に「行きたくない」とも言えず近所の公園のベンチの下に潜って隠れて寝て時間を潰していた。
l お化け屋敷が怖すぎて苦手過ぎて入場料払ったのに五歩で引き返したりしてた。とにかく怖がり
l うーん、学芸大って名前なのに一切芸をしない…
l 面白くしないと死ぬ病気だ。エンターテイメントにならないと死ぬ。他人関係なく自分が面白いと感じないと動けない。
l 口が弱い分手が出るタイプ
l 「コーヒー牛乳」がまずすぎてどうしても飲めなくて残していたら食堂に居残りさせられて教師に「飲むまで教室に帰さない」と脅されて飲んで吐いた。叱られて雑巾を渡されて食堂の床を掃除させられた。
l 発達障害と言う言葉は知らなくてもそれに準ずる人種の存在は知覚できた。そして自分は「そちら側」の人間だと言う事も勘づいた。父は「頭良すぎ病」とか「発達しすぎ障害」と言っていたが、いわゆる「天才の家系」なのだろうと思っていた。むしろ「天才」としてしか生きられないと言う事は分かっていたから、天才に傾倒していた面はある。天才は天才としてしか生きられないと分かっていたから、わざと天才っぽく振る舞うこともあったし、自分が汚い服を着るのもその一環のような気がする。普通の服を着たらいけないのだ我々は。ダサくてモサくて部屋は散らかっていて食事はカップラーメンでなければならないのだ。実際生きてるとそうせざるを得ない。それが天才のブランドでもある。
l 教師から「出て行きなさい」と言われる事が増えた。
l 運動会かなにかの出し物やBGM決めで事あるごとにポケモンの案を出していたら先生に「もうポケモンはいいよ」と言われる
l 教卓の横(通称「特別席」)に机を移動される
l 「自分がされて嫌な事を他人にしてはいけません」と教わったがそんな単一民族前提の教え方すんなよ。その通りにしてたら嫌われたじゃん。僕はされて嫌じゃなくても周りは嫌だって事が死ぬほどあるみたい。
l 廊下に立たされる
l ほとんどの場所で冷たく追い返されるが歯医者だけはたいてい優しい。そういう職業なのか、それとも虫歯が多すぎて親のネグレクトが伝わる・不正咬合・永久歯欠損などの問題が山積みで同情してくれているのか。いずれにしても歯医者だけが心の癒しである。
l ピアノを習い始めたが、右手と左手で別々の動きを同時にするということがどうしてもできなくてやめた。
l 友達と喧嘩しても次の日にすっかり忘れていて「おはよー!」って挨拶してしまう事が多かった。それで相手が怪訝な顔をして初めて「あ、昨日喧嘩してたんだった」と思い出す。その程度なら笑い話なのだが、アレルギーと分かってて食べたとか、死ぬと分かっててスイッチを入れたとかそういう事をやらかしていく。
l 一分前に考えてた事を全部忘れるって普通の人はないのか…?
l 甘えのせいとずっと言われてたしそれを鵜呑みにしてた。だから他人が怖かったしずっと無理をしてた。実際自分は恵まれてるんだろうなと思う。たぶんそれが全部の我慢の根元かな
l 漫画を描き始めたきっかけは日記だと思う。自分の言葉にできない悩みをデフォルメして昇華して共感してもらうことで精神を保ってたんだと思う。だから漫画家になりたかったんだと思う。そういう「拠り所」がなかったから落ち着いた仕事とか大学卒業とかに集中できなかった。ずーっと友達を作ることだけしてた。でも結局まだ一人も友達がいない。
l 逃げる事が多いと思う。「立ち向かう」のような事をした事がない。まあ・・・漫画家には立ち向かって負けたけど・・・立ち向かう前に止められるというのもある。
l 確定したことが変わると言う発想が無い。子供の頃は安定した生活をしてたし・・・
l つらいと言うとみんなつらいと言われ我慢する
l 子供の頃は勉強ができみんなのことを尊敬していたけど今思うと彼らはただの教育虐待の被害者なんだよなと思う。だから教育に甘い僕を妬んでみんなターゲットにしていたのだろうと思う
l 自分が一番得意な教科は「国語」だと思っていたのだ!実際、「言語」という点で言えば得意なのだが。
l 学校の先生は勝手だ。褒めるだけ褒めてあとはほったらかし。社会でやっていける保証もないのに医者もそう、全部嫌々やってるの丸わかり。
l だって父親が「まんがの描き方」を買ってくれたのにどうして大学に行けって言うの?
l 一度見下されると少し調子に乗るだけで「お前みたいなクズが何調子乗ってんだよ」と余計相手の神経を逆撫でする。だから大人しくしているしかない、食事だっておこがましいんだ……常に緊張しているのは「いつそうやって攻撃されるか分からない」という恐怖なんだろうな……ゴミクズがご飯なんか食べちゃいけないんだ。ゴミクズがみんなの使うトイレなんか使っちゃいけないんだ、汚れているんだから。
l 警察に疑われる事が増えて、「本当の悪人はこんないかにも怪しい恰好してないだろ」と思って警察をバカにしてたけど今思えば警察も正義感で動いてるわけではなくただ仕事してるだけなんだよな。。
l 確かに冗談を鵜呑みにしている面があったような気がする。例えばうっかり脱衣所のドアを開けると父は「えっち~」と言う、すると僕は「裸を見る事=えっち」だと覚える。本当は「他人の裸を積極的に見て快感を覚える人」の事を「えっち」と呼ぶのだが父の冗談をそのまま覚えてしまう。僕が必死に勉強していると「好きだねえ」と嫌味を言われて「僕は勉強が好き」だと勘違いしてしまう。両親は冗談の多い人たちで、冗談とか軽口とか間違えた事を「嘘」と言ったり行くか決まってないのに「行くよ」と言ったりできないのに「やる」と言ったり嫌味とか「きちがい」とか簡単に人を罵ったりする。でもそれは軽い気持ちで言っているだけなので、僕も軽い気持ちできつい言葉を使うようになる。すると周りから眉を顰められ嫌われ攻撃される。僕としてはなぜ自分がそこまで攻撃されるのか分からないという状態。まあ(僕の親と周りの子の親の)ジェネレーションギャップと言ってしまえばそれまでなのだがそれが一番きつかったかな・・・何か変な事があっても全部親の世代が一世代違うからだと思っていた。
l 秋が終わると秋のことを忘れるし、今自分がどの季節を生きてるのかを忘れるし、今何月かも忘れるし、春が来ることも忘れている
l 障害を隠すのにいっぱいいっぱいでマウントとかそういうのと無縁なんだよなあ
l 「もしかして自分はゴミなんじゃないか?」と気付き始めたのが小学生の中学年の頃。びっくりするほどのブス、頭も悪い、デブ、人に自慢できるようなものは何もない、蔑まれる要素しかない、あ、自分やばいかもと思った。でも助けてくれる人は誰もいない。個性を出さないと!何か「取り柄」を見つけなければ死ぬと悟った。人一倍努力しないと死ぬ。人より努力することは自分の運命だと思ったしそのことを憎んだ覚えはない。どうせ暇だったし、きっと努力するのは好きだったんだろうな。人が「普通」とすることを避け、何かに突出しなければならない。変人だろうが何だろうが個性と独創性で道を切り開かなくてはならない!目立たなくてはならない。食事が摂れなくなったのも同じ頃からだと思う。デブはクソでゴミの象徴。だからせめてデブであってはならない。お菓子を捨てたり食事を摂らなかったりするようになった。少しでも自分のレベルが下がるのが怖かった。あと一歩後ろに下がったら死ぬという感覚があった。そう言えば咽頭異常感症になったのもこの頃かな。だから僕が何より恐れているのはたぶん「ゴミ」であることなんだと思う 目立たなくていてもいなくてもいいゴミよりは「目障りで悪質で目立つ存在」になりたい むしろ「発達障害」で「トランスジェンダー」なら「普通じゃない」から安心する。不眠不休で動いていたのも多分「ゴミになるのが怖いから」と言う理由が一番でかい。カスでも出来る唯一の行為が「我慢」だから、それをすればゴミじゃなくなることができるような気がした。依存症みたいなもので。
l 小学三年生くらいのある日、ふと「自分は就職とか会社員になるとか日本人の中に混ざるのは多分無理なんじゃないか」と漠然と思ったのを覚えている。会社員になるのは無理だろうな、と漠然と思った。無理と言うか嫌だと言うか、できないから嫌だと言うか。その日から、「就職できなかった時の保険を作っとかなきゃ」とずっと頭の片隅で思っていた。それが「絵」だったというだけの話。
l 足を引っ張られる人生だった、足を引っ張られる理由があったってことだよな、それが発達障害ってこと、バカだから腹が立ったんだろう まあ正直発達障害自体は「裕福病」なのだろうなと…バカってのは最高の贅沢なんだろうな、発達障害単体では障害じゃないんだろうなとは思う。
l 子供の頃はサービス業をやりたいと思っていた。カフェの店員とかになって困ってる人とか色んなお客さんを全部幸せにしたいと思っていた。文章読解も得意だし人の気持ちや機微が分かる方だと思っていた。美術も好きだし感性が豊かだと思っていた。与える人間でありたいと思っていた。
l いつも「甘え」だと言われ続けていた。どこまで頑張れば甘えじゃなくなるのかずっと考えていた。出来るまで頑張れば甘えじゃないんだと思って出来るまで頑張った。でも出来る前に病気になった。
l 感情が読めるのではなくプライドを感知できるだけだった。感情は分からなくても機嫌を損ねないようにヨイショはできる
l 逆上がりできないの自分だけだったなあ
l 笑われてるうちはよかったんだよな。昔は何言っても笑われてた。今は誰も笑わない。ただ無視するんだ。人を幸せにできるんだと思ってた。
l 浮気の何がいけないのか良く分からなかった。そもそも結婚制度なんていらなくないか?
l 両親の浪費癖と言うか意味の分からないお金の使い方をする。母親は面倒だから多めに払う(悪徳商法とかに釣られる)、父親は解約するのが面倒だから支払い続ける(そう言えばダヴィンチ恐山も解約が面倒で支払い続けるって言ってたな…)
l 自分でも「できないこと」が「わがまま」なのかどうかが分からない。「やりたくない」とは思う。じゃあわがままなのかって。できない、難しい、めんどくさい、大変だから、やりたくない。でも周りは「そんな簡単な事もやりたがらないのは、わがままだ」って思う訳で。その「程度」なんてお互いに分かる訳なくて、だからずっと自分はわがままなんだろうなと思ってた。本当にできないのか、やりたくないのか、今でもわからない。洗濯物を干すのとか…。テストの点が良ければ余計にそう思われる。「わがままな性格」だと思われないようにするにはどうしたら良いのか。いつもそればかり考えてた。過剰にへりくだったり、何でも犠牲にしたりしてパフォーマンスで受け入れてもらうしかなかった。それ以上の事を望む余裕はなかった。
l 助けを求められないと言うか……助けを最初に求めたのはいつだっけ?小学生の頃……親も精神科医も学校の先生も無関心だった……そこから他人を信用しなくなって、相談するのもやめて、全部隠して一人で生きていかなくちゃいけないんだって覚悟を決めた。
l 「死にたい」って生まれて初めて思ったのはいつだっけ?小学二年生くらいだっけ?どうやって死のうかずっと考えてた。痛くない方法はどれなのかずっと考えてた。ポケモンのサトシが旅をして生き生きとしてるのを見なかったら僕は死んでいたかもしれない。サトシは僕の救世主で、ポケモンは僕の宗教だった。ポケモンの世界がなかったら僕はきっと自殺していた。だから、将来はポケモンのように子供の心を救う仕事がしたかった。ただそれだけなのに。
l 誤解されることを諦めてるし理解されることなんか有り得ないと思っている
l まともに食べていくことはできないと分かってたからケチが治らない。子供の頃から食事もゲームも我慢してずっとカツカツでやってた。両親がちょっと良いもの買ってくると「無駄遣いしないで」って怒ってたし「大学行かせなくていいからこの家だけは残しておいてね、自分たちの老人ホーム代はちゃんと貯金しておいてね」ってずっと言っていた。実家の土地の権利さえあれば不動産経営で食べて行けるかもしれないと期待していたからだ……と言うかそれが一番有力だったんだが……母には「この子何バカな事言ってんの、今時大学も出ないなんて」と呆れられていた
l 「読書の時間」におじゃる丸読んでた
l 読書感想文が書けない理由として「読んでた時の気持ちを読んだ後にはもう忘れてるから」もあると思う
l できないことに対して嘘の言い訳をすることが多い。あとから嘘だと言われても正直に言って信じてもらえないよりまし。悪人だと思われた方がよっぽどまし。
l いわゆる「積極奇異型」ってやつなんだろうなあ、知らない人に話し掛けるのとかぜんぜん苦にならなかったし警備員の人とか食堂のおばちゃんとかに挨拶して褒められたりする。知らない人のとこ行って「それなーに?」とか聞いたりするし知らない子の片付けを手伝い始めたり目の見えない人に「入り口こっちですよー」と言ったりする。今でもやっぱり人と話すのは好きで、きょろきょろしてる人がいると「どこか行かれるんですかー」と話しかけたりする。
l 坂東君、佐野さん、僕で「三バカ(・・)ラス」と呼ばれていた
l 言葉を「なんとなく」で理解している。と言うか大体の事においてなんとなく生きている。
l 物事を簡素化する力と言うか例える力と言うかデフォルメする力と言うか「無視する能力」に長けていると感じる事がある。本当にそうなのか、それとも自閉からくるものなのか。
l 常識がわからんし教えてくれる人もいないし
l 既存のものや与えられたものや制約の中で遊ぶ、みたいな事が苦手で、「ゼロから作る」ことばかりしていた。漫画も読むより書く方が好きだった。多分「受け取る能力」が著しく低いのだと思う。ただ、作り出す能力には問題がない・・・?飽き性なのもある。それか自分にしっくり来るものがこの世になかっただけかも
l 踊るのが好きで嬉しいといつも踊る
l 土下座を平気でしてた。土下座したり大袈裟に騒ぎ立てればたいてい無視してくれると気づいたから。「健全なコミュニケーションをしないで下さい」という意志表示でもあった。だから奴隷になるか、道化になるか、恐れられるかみたいなやり取りしか出来なかった。
l 僕が何か言うと噴き出して笑う人が多かったのに高校生くらいから笑うのではなく叱る、嫌うようになっていった。昔のように笑って欲しいのにどうして笑ってくれないのか分からなかった。でも、笑ってた人達はどうせ子供だからとバカにして相手にしてなかっただけであって、心配してくれる人が一人でもいたら人生は違っていたのかなと思う。自分もわざと笑わせるようになっていた部分もある。笑わせることで笑われている自分を隠していた。できないのではなくしないのだと言い聞かせていた。
l なんかずっと神様だかカメラだかそういう客観的なものが自分を見ている感覚があった。誰かに見られているとかじゃなくて……自分と言う小説、マンガ、ドラマの主人公だという意識があった。だからオーバーリアクションをしたりして、それを神様が面白がってくれているという感覚。ずっと見ていてくれる人がいるという感覚、自分が主人公のつもりだった。悲しい事も嬉しい事も自分だけのものじゃなくて自分が楽しむドラマのもの、自分の事を自分だと認識してなくて、ただ漫画を読むのと同じ感覚で面白がっていた感じ。自分を大切にしていないと言うか、面白ければいいと言うか、自分で遊んでいると言うか、自分を使ってドラマを紡いでいく快感のようなもの。自分を主人公にした作品を読んで面白くないと生きてる意味が無いというような…。だからバッドエンドになるという発想がなくて、ハッピーエンドのお話しか知らないから……人生はみんなハッピーエンドになるんだと思っていたのかな。だから大人になって自分の事を誰も知らないと言われた時に、「あ、伝えないとダメだったのか、誰も見てくれる人なんて居なかったのか」って気付いた時が凄くショックだった。母にいつも「両肩に神様が乗っていていつもあなたの行いを見ている」って言われてたからその2人がイマジナリーフレンドみたいな感覚で、2人を楽しませたかったしその2人に理解されればそれで良いやって感じで。誤解されても自分だけが分かっていれば良いんだって思ってた。だって漫画とかだとモノローグで読者に伝わるから、モノローグで自分に伝わってるからもうそれで満足してた。自分の作品は自分さえ楽しければいい。自分にとって創作はお金の為でも他人の為でもなくて自分がこの世に存在する理由のようなものだった。創作の世界以外は興味もなかったし必要もなかった。自分の作品の中に住んでいるという感じ。
l 歯を磨かなかった。母親に磨いてもらった経験もないし、歯を磨かなきゃいけないと知らなかった。高校生くらいになってやっと歯を磨かないとダメだと知った。みんなそうじゃないの?
l じっとしていられないので常にノートに何かを書き殴っていた。独り言、思った事、イラスト、ずっと描いていないと落ち着かない。
l 人とうまく喋れない事は何度も親に相談したが「私も子供の頃はシャイだったわよ。大人の人が来ると部屋に籠ったりしてね~大人になればふてぶてしくなるから」と自分語りされて終了する
l コンロを付けているのを忘れるので絶対に弱火で料理するから時間がかかる、火が通らない。今まで何かが不得意だと思ったことはなかったが料理だけは「不得意だな」と察した。スポーツは不得意だけど興味なかった。
l 人と違う事が多すぎていちいち比べたりしなかった。ただゲームが楽しくて、僕のような孤独な子を救うゲームを作る仕事をしたいと思っていた。
l 夏休みに親の実家に帰ると言う事がない。父の親は同居してて、母親は家出してきたので。
l 異様に厳しい小学校。教官室への入り方、鼻ほじるの禁止、ヘアゴムを手首に巻くの禁止、漫画持ち込み禁止、色んな事で毎日怒られた。ほかの子はそれをかいくぐる前提で厳しいんだろうけど、ルールをそのまま守ってる人はただ潰れる。それにほかの子は厳しくてもカバーできる地頭の良さと自信があった。
l クラスメイトがよく「俺たちがこんな社会に負ける訳がない」と言っていたので、反体制的な思想は小学校の頃に培われたような気がする。今みんな海外で働いてる。先生からいかに隠れられるかみたいなのが共通思想だった気がする。国立大附属が本当にそれでいいのだろうか…まあいいか
l 父と母はよく冗談を言う。僕はそれをその通りに受け取って言葉を覚えて外で使う。
l 漫画の世界には発達障害が活躍するものがたくさんあるから漫画の世界だけが生き甲斐です
l 変だとよく言われるがなぜ変だとだめなのかがよくわからない。父も母も変だったし。
l 視線の管理が出来ない。動いてるものを見るとつい目で追ってしまう。見るのを我慢できない。だから常に下を向いておく。視覚IQ120と関係があるのか?下を向いているくらいがちょうどいいと言う感じがある
l 神のしもべというか、正義感みたいなのがくそ強い気がする。社会で嫌われるより正義やルールや教科書が優先。だってそれが「正しい」じゃん。自分だけが正義。正義の味方はいつだって迫害される。だから僕は正しいと言う自己陶酔。正しい事をしてるのだからいつか絶対報われると言う自信。泣くのはずる賢いい奴だと昔から相場が決まってる。だから嫌われてもぜんぜんへっちゃら。僕には正義があるから。
l とにかく「嫌われない事」「好かれる事」「助けてもらう事」が大切だと思った。父もそうだった。媚びて媚びて自分を殺して媚びて生きるしかない。やりたい事なんて言ってる場合じゃない。アイデンティティなんて作ってる余裕なんてない。ただその場に順応して下手に出て恵んでもらう。ほかの人の喜ぶ事をする。それだけを考えていた。(母はちょっと違う、母は全部嘘でやり切る、あれはほぼ詐欺。)自分は好かれているから大丈夫、怒られてないから大丈夫、褒められる事で自分を安心させていた、評価されると心の底から安心した。評価される人間になることが生き甲斐で生きる意味だった。そうしていれば生きていけると思った。だから怒られる事が怖かった。怠ける事が怖かった。休むことが怖かった。評価されなかったら誰も必要としてくれない、死ぬしかない、怖い、趣味なんかしているヒマなんてなかった。良きる事で必死だった。自分のことなんだけど他人の事が最優先だった。自分の命より健康より評判と言うか・・・そういう面はあった。健康や自分の体を守る生き方をするという発想すらなかった・・・まあ、健康だったからかなあ
l 附属中学に進むつもりはなく公立に行くつもりだったが母が「効率に行ったら絶対いじめられる」と言って私立に無理矢理行かせた。私立は生徒がお客様だったので発達障害と指摘されることはなく出来る事だけ伸ばしましょうと言う教育。
l 感想文が苦手。面白いのか面白くないのかすら分からない。読んでも何も思わない。登場人物の気持ちの説明とか、その世界観の中の話ならできる。でも感想文っていうのは自分の人生と絡めて書かなくちゃいけない。そんなんカラッポな小学生に無理に決まってる。
l だからみんなの言う「国家を越える」を「社会主義にする」に勘違いしていたし、それで世界を変えようとしていた
l 自分と言う物に何もない感じがした。まずそもそもお手本がなかった。ポケモンの「サトシ」に出会うまで、自分が何なのかもよく分からなかった。サトシと出会って、旅をするのが夢になった。吟遊詩人になって世界中を旅する仕事がしたいと思った。
l 授業はさっぱり分からなかった。でも性格はまじめだからちゃんと授業は受けてた。たまに寝てた。「まじめにしてれば神様がなんとかしてくれる」ってずっと思ってた。全部神に丸投げ……。
l 映画やドラマが観れない。ハラハラしすぎて体調が悪くなって眠れなくなる。面白い作品は睡眠と引き換えに見るしかない。だから子供の頃は映画やドラマは2,3本しか観たことない。
l 一応咽頭異常感症で小児精神科に行った事はあるのだがそこで発達障害を指摘されなかった……それか母親が理解できず治療を打ち切ったか……病院に行ってから良くなったらしいのだがなぜ良くなったのか覚えてないし何を言われたのか覚えていない。なんか、「母親が靴ひもを結べないほどバカで困っている」のような事を言ったらしい。母親が助けてくれない、叱られてばかりでつらい、といった趣旨だったかもしれない。母親がバカなことはずっと悩んでいる。バカが上司や親の辛さみたいなのが一番つらかったのか?いじめもつらかったけど。助けがない辛さが辛かったような気がする。
l 昔は子供向けアニメが大好きで、今は嫌いになった。なんであんな嘘まみれのものを平気で放送するんだろう?
l 子供向けのビジネスだったらできると思ったしゲームなら理解できるし
l MMORPGの初期ステータスの割り振りを必ず失敗する。MMOに限らずやりくりするゲームで上手く出来たためしがなく、結局自分の人生もそんな感じだった。だからすぐにゲームオーバーになって飽きたり捨ててしまう。ずっとその繰り返しで生きている。
l 行動に一貫性を持たせられない。脳内で色々な思考がおしゃべりして喧嘩している。
l どんなに辛くてもそのぶん将来幸せになるから平気だと思っていた
l のび太もナルトもサトシも男の子だった。自分の価値観と似てるのはみんな男の子だった。だから男子に感情移入するのは当たり前の事だった。女の子で感情移入できるキャラはいなかった。
l 分からないことを教えてくれる人がいなかったなと感じる。両親は子供の立場になって喋る人ではないし、学校の先生も分からない子は学校に来なくていいという感じだった。だから僕は社会が嫌いだし、のけ者にされるとすごく辛くなるんだと思う。泣きわめくくらいしか抵抗手段が分からなかった。
l 先生が説教しているとき、「給食当番なのでもう行っていいですか」と聞き非常に怒られた。自分としては行って良いと言われると思ったのでびっくりした。
l 自分が話していたわけではないが同じ班の人がうるさくしていて、同じ班だったので叱られた。「帰れ」と言われたので帰った。
l 「連帯責任」が多く、僕のせいでクラスの子が叱られる事が多く非常に恨まれていた。
l 引っ掻く、叩く、殴るなどを日常的にされていた。ただ、当時はいじめだと思ってなかった。負け犬は去るのが当然だと思ってた。「喧嘩」だと思ってたかな。力関係は一方的だったけど。やられたら10000000000倍返しするから。で、上手く立ち回れなくて向こうが被害者ぶってこっちが余計怒られるみたいな。知能でも力でも負けていて手も足も手ない苦しさと言うか、怒りみたいな。ストレスって言うか鬱って言うか、「怒り」だよね人生の90%が。社会に出たらあっと言う間に刑務所連れて行かれる。でも、それが本来あるべき自分の居場所なんじゃないかってずっと考えている。
l 言葉が出てくるのが遅くてからかわれる。特に「バ」とか滅多に使わない言葉だと「バ」という言葉が出てこない。「坂東君」という人がクラスメイトにいたがなかなか名前を覚えられず「え~っと・・・・・・・・坂東君」と毎回言ってたら「なんで坂東君の時だけ言葉詰まるの?好きなんでしょ?」とかからかわれる。
l 「短期記憶」と言う言葉を知り、「僕はこれがすごい少ないかもしれない」と思った。
l 学芸会で間違えてズボンを下ろしてしまい笑われて恥ずかしがっている子がいて、その時僕だったらあそこまで恥ずかしがらないなと思って「僕は恥の概念が分からないかもしれない」と思った。女子がパンツ見えた時に「みーえた!黒いチェックのぱーんつ!」って叫んだ時もなぜあの子があんなに怒ったのか理解できなかった。
l 恋愛は、「人に好き嫌いを付けるとても失礼な行為」だと思っていた。「戦争をなくすには国際結婚を義務付ければいい」と本気で考えていた。自分は天才なんじゃないか?だって誰も思いつかない解決法を思いつくんだから!
l 嗅覚が鋭かったので前世は犬だと思ってた。
l 合唱の時などに体を揺らすのを叱られた。先生が「もしわざとだったら凄い才能」と言っていたが、わざとやっている時もあった(楽しいから)。
l 筆算を黒板でみんなの前で解けた時クラスから拍手してもらった。(普段そう言う事をするクラスではないが、バカで有名な僕が筆算をできたのでみんなが思わず拍手したようだ)
l 他人と話が合わないと感じるようになったのはいつ頃からだろう。別に授業さえ座って受けていれば問題はなかった。試験はなぜか点が取れたし……常識と学問は世界観が違うから、学問ができるためには常識を捨てなければならないし、そういうことができるのは才能だと思っていた。それで「常識から外れれば外れる程点が取れる」と思ったのかもしれない。
l 九九がいつまでも覚えられず放課後も先生に居残りで何度も暗唱させられた。
l 友達とテレビの話や共通の話題で喋ることが苦手だった。話題作りのために自分で漫画を描いて教室の後ろのロッカーの上に置いて誰でも読めるようにしておいた。らくがきコーナーなども設けて交流を図った。その時の漫画のタイトルは「みんなあつまれ」で、空手が得意な小学生の女の子を中心にした日常漫画のようなもの。(『ちびまる子ちゃん』みたいな感じ)今は子供だから子供の漫画が書けるけれど、大人になって子供が主役の漫画を書けるか不安だった。自分の目線でしか漫画を書けないと感じていた。
l 「写生大会」など、自分でイベントを開催して遊んだりした。何かを「開催」する事でしか交流できなかった。
l ゲーム「ポケモン」によって友達と繋がることが出来た。
l 社会科や漢字など、覚える教科が苦手で毎回ほぼ0点だった。
l 算数のテストで「分かるかバーカ」と書いたら「マイナス5点」になった事がある。
l なぜか国語の文章問題が得意だったらしいが、「登場人物の気持ちを答えなさい」と言う問題で「~という気持ち」とするところをモノローグ調でずっと書いていた。文章題が得意な理由として、「悲しい気持ちとか葛藤みたいなものがみんなよりよく分かるからかもしれない」と思っていた。つまり、「文章から登場人物の気持ちを参照し、読み取って抜粋する」と言う解き方ではなく、「文章を読んで登場人物の気持ちを想像して勝手にモノローグを書いたら大体当たってた」と言う事だったかも知れない。要するに読解力はなかった。
l 4年か5年生くらいの通信簿の感想欄(抱負欄?)に「しゃべるとおこられるのでだまっているのをがんばりたい」と書いた。その頃から「隠す」「黙る」「避ける」クセがついてしまって今でも人と喋れない。
l 自殺したいと何度も思った。
l ポケモン図鑑を集めることにハマる。いわゆる「作業ゲー」を積極的に遊ぶ
l ものの好き嫌い、楽しい楽しくないについての概念に鈍い。必要だからする、といった感じ、或いは不安を解消するためにする。
l 「ピエロ」と言うものに共感した。辛くても苦しくても泣いていても笑顔で道化でいなければならない姿を自分と重ねていた。
l 「ポケモンカード部」を作りたくて先生に言ったら「ボードゲーム部(忘れた、確かそんな名前)があるだろう」と言われたのだが、納得できなかった。ボードゲームは囲碁とか将棋とか古臭いことをしているイメージがあり、ポケモンカードのイメージとかけ離れているから。「ややこしい」事が苦手だった。癇癪を起こしかなりこだわっていたと思う。
l 恋愛と言うものが分からなかった。人に好き嫌いや優劣をつけることがなぜ良しとされているか本気で分からなかった。好き嫌いなどエゴであり、奨励されるべきもの出来ないと思っていた。話してて楽しい相手を挙げたら勝手に「好きな人」にされてとても不快だった。
l 「トマカブ式会社」と言うカブ式会社を作った。株式のことは全く知らなかったが「どうぶつの森」を真似て蕪の浅漬けを学校に持ち込んで配った。「いつか会社を作りたい」と漠然と思っていたし、それしか生きる術がないと薄々気づいていた。
l 机の上にティッシュ箱で壁を作り、その中に色々入れていた。先生に怒られ……た記憶はない
l なんとなく、社会に出て、社会人として働くと言う事は自分にはムリだと思っていた。それが何故できないのか、は分からないが、みんなのように出来ないと思っていた。
l 夏にコートを着て職質され、鞄から十徳ナイフが出てきて警察署に連れて行かれた。父は「いい経験したな」と笑っていた。その時「小学校はどこ?」と聞かれ学芸と答えたら「へ~頭良いんだ」と言われ、漠然と疑問符が残った。そもそもなんで僕が学芸小に受かったんだろう。間違い探しのようなものが得意で、知覚推理のようなものが得意だったからだと思う。と言うかそれだけでやって来たみたいなところはある。
l 卒業式の時、クラスの友達に「バカと天才は紙一重だから」と励まされた。
l 中学は公立中学に行こうと思っていたら、母がびっくりして急遽中学受験をすることになった。
l 本来、中学へはエスカレーター式で試験などはないのだが、保護者面談で「お子さんは附属中学校には進ませられません」のような事を言われたらしい。
l 将来は「田尻智」のようになりたいと思っていた。田尻智のように起業して、成功すれば生きていけると思った。
l 自分より絵の上手い人や面白い事を考える人はたくさんいた。なぜみんなその才能を生かそうとしないんだろうと不思議だった。今思えば自分が「才能」だと思っていたことは障害だったし、僕が凄いと思っていたことはできて当たり前のことだった。
l 図工の授業で「ふしぎな木」と言うテーマがあり、先生の「お手本」があった。ほかのクラスの子は先生のお手本の色を変えただけのような絵を描き、僕だけが全然違う絵を描いた。教室の後ろに全員分並べられて、担任の先生に発想力を褒められたが、他の子に発想力がなかったのではなく、「目立ちたくない」とか空気を読むとか先生への忖度とか、そういった思考が僕に欠落しているだけだった。
l 小学校の林間学校で山登りをしていた時「なだらかな道と険しい道のどちらを登るか」と聞かれ「険しい道」と答えたら凄く褒められたのを今でも覚えている。「道が険しければ険しいほど得られるものは大きい」と言うのが意識に染みついていった。この教えは小学校が教え込んだものだろう。
l クラスメートが『亡国のイージス』という「なんだか難しそうな本」を読んでいた。多分僕は今でも読めないと思う。
l なんでできないの、なんでわからないのと常に言われる。できない、分からないが当たり前で、自分はそう言う生き物だと思っていた
l 父は全部決め付ける。間違っていたがそれはメンタルで簡単に言うと「学校でいじめられた。僕は頭おかしいのかな」「学校の奴らなんか気にするな俺達は天才の家系なんだ間違ってるのは有象無象の馬鹿どもなんだ」といったふうな感じ。これのおかげで子供時代は思い悩まずに済んだ。父がたまたま仕事が見つかっただけだった。父のようになれば仕事が見つかると思っていた。
l 父も母も社会の普通の人達とは違っていた。我が家は「そういう家」だと自覚していた。それでも別に、マジョリティでなくても稼いでいければ、手に職があれば、必要とされれば、仕事があればそれで良いと思っていたし、マジョリティと比べようなんて思った事もなかった。お金さえあれば大抵のサービスはマジョリティと同様に受けられたからだと思う(今思えば過分に支払わなければならない事もあったと思う。だからこそ、お金が大切だと思った。マイノリティは「生きる権利」をお金で買うしかないと思っていた。だから友達よりも絶対にお金が大切だと思った)。
l 分かってもらえない、理解してもらえない、誰も配慮してくれない。できない自分が悪い。それを隠して何とか生きるしかない。周りに合わせてヘラヘラ笑いながら泣くしかない。
l 自分の中の自尊心と自己嫌悪についてが混ざり合わずに、対立もせずに共存していた。「俺はクズだけどなんか文句でもあんの?クソが」といった感じ。自分はクズで、相手もクソったれだと思っていた。認められないだけで「いつか見てろよお前らを超えてやる、別の方法で」といった感覚だったのかもしれない。
l 反撃はした。引っ掻かれたりからかわれたり「きかないよー」と言われ腹が立ってばかりいた。
l 「サトラレ」と言うドラマが放送された時、サトラレになりたいと強く思った。そうすれば僕の気持ちを全員に分かってもらえるのにと。どうして自分はサトラレじゃないんだろうと思っていた。サトラレごっこを一人でしていた。
l 「ヒカルの碁」で自分だけに見える相棒がいるのに憧れて、何もない所に向かって「ついてくんなよ!もう!」などと言っていた。
l 「戦争をなくすための素晴らしいアイデア」を思い付いた。それは「国際結婚を義務化する」こと。本当に、それが最高のアイディアだと思っていたし、そんな事を思い付く自分は天才かもしれないと思っていた。自分以外の定型発達の人間が「自由」を求めていることも、これが共産主義的であることも全く気付かなかった。「自分は将来、もしかしたらすごい事を成し遂げるかもしれない」と思っていた。むしろ、それ以外に生きる方法を思い付けなかった。世界を変えられると思っていた。
l 家庭教師にポケモンをやっていると言ったら「バトルしよう」と言われた。家庭教師はプロアクションリプレイでドーピングしていて勝てなかった。当時みんなプロアクションリプレイでポケモンをドーピングしていたが、自分はそんな邪道で楽しむ意味が分からないと感じていた。でも、負けた事が惨めだった。でもプロアクションリプレイを使おうとは思わなかった。ここまで「王道」にこだわっていた理由としてひとつ考えられるのは、「ずる賢さ」が無かっただけなんだろうと思う。バカ正直に努力する以外に改善し上達する方法が分からなかった。だからその羨ましさを憎しみに変えていたような気がする。
l 小学校の頃は「正しく迫害されていた」と思う。出来ないことを認めてもらえていた。バカにされる事は辛かったけど、へらへら笑ってるだけでよかった。今は「出来ないことを信じてもらえない」そのほうがずっとずっと苦しい。
l 将来は「僕を救ってくれたポケモンのような作品を作る人になりたい」と思った。「子供の自殺も止められるような、夢を与える仕事をしたい」それが僕のずっとずっと夢だった。でもいつしか気付いた。「現実逃避の手助けをしているだけ」なのだと。子供を大人にする邪魔をしているだけなのだと。大人になれない僕ら発達障害ならまだしも、普通の人を巻き込んではいけないのだと。
l マイペースなのは「B型だから」だと思ってた(検査したらO型だった)
l 「田尻智のようになりたい」と言ったらクラスメートに「子供をゲーム脳にするのが夢なの?」と言われた。今考えるとあの頃流行っていた「ゲーム脳」は発達障害のことであり、ゲーム脳になったと言うか、ゲーム脳だったのだ…
l 人に差をつけられないと言うか情報の取捨選択ができない?本はつまらないとことか不必要な所を読み飛ばしたりできるんだけど人の言った事とかを聞かなかった事にしたり忘れたりするのが苦手でずっと考えてしまう
l 流されやすく自我に乏しい。言われると洗脳されやすいと言うか・・・そういえば大学中退したあとに催眠療法をやりたくて問い合わせたら「発達障害は催眠効きにくい」って言われて「?」だった。なんか自分はそういうのにすごく流されたり没頭したり洗脳されたりしそうな感じがする。それで二か月後くらいに我に返って「なんであんなことしたんだろ・・・」みたいになる。映画とか没入し過ぎて情緒がおかしくなるから観れなかったしちょっとでもホラー要素があると泣きわめいてたし、不安症なのもそこから来てる…?だからアイデンティティとかそういう感覚が少なくて「ビデオカメラ」のような感覚。ただビデオカメラで撮影してそれを絵に描いて、それを売って食べていくしかないのかな、と思っていた。役者の道に進みたいとも思ったけどいわゆる「憑依型」と言う奴なんだろうけど、演技って他人に見せてナンボだから「テレビ用の喋り方」とかあるし暗黙の了解も裏も多い社会だから多分無理だな、あと納得できない役はできないって事になるしただの不器用だ、それは。
l 優しいとよく言われるのだが、優しいのか?相手を癒したり傷つけないようにしようという意識はない。ただ相手を否定する事はないと言うかできないと言うか、否定する感情に乏しいような気がする。それは発達障害からなのかいじめられて来たからなのか分からない。励ましたりお世辞を言ったりとかそういうことはない。気を遣う事はない。でも相手を否定と言うか聞く耳は持つと言うか、それをそれとして受け入れるみたいなのが先天的にできると言うか、むしろ他の人ができないことにびっくりしている。だから僕が否定的なことを言うときは冗談の意味合いが強いのだがそれが相手に伝わらないのだろう。ただ「霊感」は「統合失調症じゃないですか?」と思ってる。ありのままを受け取って否定し合うことが普通の世界観と言うか、本気で否定している訳じゃないからこそ否定的なことを言える感覚って言うのがちょっと周りに理解されなかったなと思う。別に「腐女子」と言っても蔑視しているわけじゃなくそういう趣味の人がいていいし女装もMTFも別に否定はしないけど思いやってるつもりはないと言うか、チック症の櫻井君を無視したのもチック症だから優しくするとかそういう概念が無くてただチック症の人、という認識と言うか……なんかそういう理解をするのが他の人と違うらしいなという事だけは分かる。相手の気持ちが分からないだけなのかな、ポケモンみたいなものだと思ってるんだろうな。色んな種類がいることは分かるけど愛してる訳じゃないですみたいな。まあ理解しようともせず嫌悪感を示す人よりは「優しい」と言えるのかもしれないが、他人に対してなにも考えてないんだろうな
l 「生理的に無理」とかいう「生理的」と言う物が分からないなと思う。心を殺すのが得意と言うか、どうしても無理な事が少ないと思う。「股を開いて俺の子供産め」と言われれば心を殺せば出来ない事はないのだろうが、相手を殺害した方が早い。だから人の嫌がる仕事をしようと思っていた。ゴミ収集車の仕事は狙い目だと思ってたけど感染症、におい、早起きなど肉体的に無理だわ。でもトイレ掃除のバイトは少ししていた。それも体力的に無理だったので1週間でやめた。多分、好き嫌いが少ないのではなくて、自分のそういう心に鈍いのかもしれない。食べ物とかもゲロみたいなものでもわりと平気で食べれるし、でもそれは食事が粗末でも違和感を持たないってことだし、暑さ寒さに鈍いのもそういうことで、暑いとか寒いとか言う嫌悪感が大脳に届いてない・・・みたいな事なんじゃないか。だから最終的に相手を殺害したり暴力的に排除するまで不平を言えないのではないか。体を壊すまで食事が粗末だと気付かないのではないか。寒くても暑くても平気な顔でいるのではないか。「幸せ」を追い求める脳が欠落していると感じる。散らかると片付いていた頃にリカバリーできない。その頃に戻ると気持ち良い、すっきりする、幸せになれる、という想像力が無いからなのか?ご飯をひと工夫したら美味しくなるとか、そういう日々の「工夫」で人生を豊かにするみたいなことが一切できない。米と野菜だけ食ってりゃいいか・・・昨日と同じで良いか・・・となって栄養失調になる。あれが食べたい、みたいな感覚にも乏しい。それを食べる自分を想像できない。あまり未来の自分を想像できないのだろう。実際大学生活のなかで一度も食べなかった料理ってたくさんあるし毎日サラダとカレーだった。
l 何が嫌なのか、どうしたいのか、どうすれば良いのかということを思考化できないし言語化できないように思う。だから生活の質が落ちてもそれに気付けない。
l ちょっと耳慣れない言葉を使うと母が「え?」って言うのが嫌で平易な言葉を使ったり端的に言うのがくせになっているような気がする。活舌悪いのもある
l 父が「アマチュア無線」の資格を持っていたので、いつか僕も取りたいと思ったがインターネットがあったので結局取らなかった。でも今でも機材さえあれば取りたいと思っている。
l 生物が好きで、「空想科学読本」にハマった。不可能を可能にする「発明家」こそ自分の生きる道だとずっと考えていた。紙とペンで世の中に様々なアイディアを提供する「発明家」になりたかった。その世界でなら自分も生きていける気がした。
l 「嘘と言うものは必ずバレる」と思っていた。実際、母につくウソは必ずバレる。だから「何も言わなくても嫌でも全部伝わってしまう」と思い込んでいるふしがある。だからこちらが「冗談」のつもりでも相手には真っ赤な嘘になったりするらしい。精神科医は何でも分かるし診断できると思っていた。でも、実際は何も分からない。
l 言葉は嘘をつく可能性がある。だから行動や結果で示すのが粋だと思っていた。ぺらぺらと喋る人間は嘘臭くて嫌いだし、悪い人間だと思っていた。「男は背中で語るものだ」と思っていた。それで伝わると思っていた。だから今こうして自分史を書くのも10年も渋ってしまい診断がどんどん遅れた。今この瞬間もこうやって書く事がすごくつらい。恥ずかしい。みっともないと思う。「認められたい」と言う欲をさらけ出していると思われそうで辛い。
l 父親の趣味をそのまま受け取って特に違和感がなかったため、父と僕でおもちゃを共有して遊んでいた。父の欲しいものを買って僕が遊ばせてもらうような感じ。カメラとかパソコンとかシンセサイザーとか。最近ならタブレットとか。で、いつの間にか譲り受けていたりする。ゲーム以外はほぼそんな感じ。
l 「世渡り」と言う言葉を初めて知ったのはいつだっただろうか?もちろん言葉としては知っていたが自分には無関係だと思っていた。両親がいて、お金に困ってないのだから世の中について深く考えていないのだろう。もちろん、「世渡りなんてぼくにはむりだなー」と漠然とは思っていたと思う。だからこそ、手に職をつけようとしていた。
l コミュニケーションの異質さから来る村八分とかではなかった。そもそも一人一人が自分の頭で考えて行動できる自立した人間なので村八分と言う概念はなかった。あるのは弱者に対するパワハラだけ。だから勝てば認められたし楽しいこともあった。でも中学はみんながよそよそしくて乾いた笑いで顔を見合わせて僕から逃げる感じがあった。お高くとまってると思われたり冗談が通じなくてイライラしたり、頭がいいと一目置かれたりみんなが敬語を使ってきたりした。だから自分が発達障害だと気付けなかった。学芸は偏差値70で工学院は偏差値35で…楽しく友達と話すには勉強して偏差値を上げるしかないと思った。勉強してたのはまた彼らに会いたいからに他ならない。勉強すること、頭がいいこと、それが人生が楽しくなる秘訣だと思った。工学院の人をバカにして、コミュニケーションはとれなかった。
l べつに金持ちになりたいとか有名になりたいとかそういう望みはなかった。ただ、辛い人生は嫌だしワイドショーなんかにある悲惨な人生は嫌だった。中の上くらいの生活はしたかった。人生が辛くても最後の最後で安らかに死にたかった。だから良い有料老人ホームに早くから入る事が人生の目標だった。だからお金が欲しかった。
l 若い頃苦労すればするほど将来は安泰だと聞いていたので苦労をマジで買っていた。バカだった。
発達障害覚え書き【中学・高校】
l 小学校を辞めると決めた時「ああ僕は逃げるんだな」と思った。「逃げるのか」と言われたかもしれない。喧嘩して、戦って、成長する事から逃げた。そして柔道部をやめる時も「ああ、また逃げた」と思った。自分の人生は逃げてばかりで腹が立った。もう二度と、絶対に逃げないようにしようと思った。専門学校で「人生で二番目に恥ずかしかった事は何ですか」と聞かれたので「体育で着替えてたら制服のスカートがズボンにはさまっててズボン丸出しになってた事」と言ったら「それ一番じゃない?」と言われたけど一番は「大学を中退した事」だと思った。逃げているから発達障害だと分からなかった。分からなくても良かったのかもしれないけれど。
l 大体初対面だと喧嘩かいじめが起きる。で僕が100倍返しして「こいつと関わっちゃダメだな」と思われて距離を置かれて平和になるんだけどもし向こうも喧嘩を買ったら刑務所か霊安室ですわ
l 「もっと自信持って」と先生に言われた。その時、僕は「自信持ってるのにな」と思った。自信がないと言うよりは、「興味がない」と言う方が正しく、「僕とみんなでは生きてる世界が違うから」と言う感覚だったし、どこか世界に現実味がなく、世界を俯瞰?して見る癖があり、自分の事も「~らしい」などと客観的にしか喋れなかった。
l お金とかをあちこちにバラバラに保管するのは「保険」だ。なくしたりうっかり使い切ったりしたときの保険をたくさん用意しておかなければならない。保険が多すぎたり作りすぎたりして結局今必要な物が足りなくて疲れてしまう。
l 僕の周りって健常者っていない気がする。発達障害と2Eだけで、僕は発達障害たちを見て自分はできると勘違いしてる2Eだと思い込んでた発達障害なのではないか。そしていわゆる「普通」の人を見たことがない。
l 受け入れて欲しかった認めて欲しかった、だからずっと漫画を描いてるんだ
l 「お前と一緒にいると落ち着く」「沈黙が気にならない」とよく言われる
l 父と母はお見合い結婚だしやりたいことをして生きてきたわけでもない。嫌味や皮肉を言いながら働くのは大人の嗜みだと思っていた。
l 英語の同じ文章題を2回読まされた時「これ前読んだ~!」と言ったら怒られた。2回同じことできない病がある。お店も同じ店に行くとイライラする。別の事をしていたい。一番ムリだと思う仕事はバスの運転手と教師。ずーっと同じこと繰り返して発狂すると思う。
l 二回同じことを繰り返すのがとても苦痛。だから他人に同じ話をできない。
l 初対面の人から少しずつ施しを受けて生きていこうと思った。
l 人前でご飯を食べるとひどく肩がこる。お昼を抜いてたのはそのせいもあるかな
l 性欲もないし頭も良くないから思ったことを喋るだけで問題ない人生だった
l 語学の勉強が得意かもしれないと思った。赤ちゃんのように脳がいつまでも空っぽで「スポンジのように吸収」できるような気がした。スポンジのように染まっていく事が得意だと感じていた。
l 「旅」というテーマの作文を書けと言うお題で「初対面だと誰も僕を嫌わないから旅が好き、違和感が生まれる前に別れるのが一番いい」といった趣旨の詩を書いた。実際旅人のような生き方をできたら良いなと思っていた。初対面の人が一番待遇が良い。少しずつ嫌われて怒られて無視されるようになっていく。
l クラスには物覚えの悪いやつ、何回言っても理解できないやつ、ずっと喋ってるやつ、たくさんいた。そいつらよりましだとずっと思ってた。
l 他人に「ネタバラシ」をすることが非常に苦手だった。本番を見せることでしか喜ばせられないと思い込んでるのは自分に想像力がないからなのかも
l 「等価交換」って言葉が流行ったけど要は人生は山と谷が同じだけあって結局全員平等になっているんだと思ってた。欲しいものがあるなら犠牲を払わなきゃいけないし、犠牲を払った人にはそれだけ幸せが訪れるのだと思っていた。本当に思っていた?……戦争で死んだ人たちは?戦争博物館に行って死んだ人の写真見て……でも彼らも幸せな事もあったんだろう、死ぬほど幸せな事があったんだろうと思ってた?
l 「なんで?」に答えを出せなくて「なんで?」と聞かれないようにずっと人を避けて隠れて生活している。一人でずっと生きている。今なら「発達障害だから」と言えるが、それを言ったところで周りは変わらなかったし
l 想像力というか他人がなぜ笑ってるのか理解できない、恥ずかしさが分からない、言葉に付随するオプションがわからない、言葉を変えたって本質は変わらない、本質にしか興味がないし飾りは無意味。父もサラダのこと「草」って言ってたし
l 趣味じゃないこと、意志と違う事をするのが得意。心を殺す。お金のためなら何でもする。選べない。選べる立場にもない。
l そう言えばテレビで「恋愛が下手過ぎる東大生に密着する」みたいなバラエティをやっててプレゼントを無言で渡したりするとかあまりの恋愛偏差値の低さにみんなで笑ってる番組があって他人事と思えず「かわいそう・・・・」と思いながら観てた あの人今何してんのかなまぁ東大出てるから心配ないか
l そう言えば生徒会長をしてた時廊下を歩いてたら突然見知らぬ男子下級生に「スペルマって何ですか?」ってニヤニヤしながら聞かれて(あーなんかエロいやつだな)と思って「知らない」と答えて教室に戻ったんだけど普通に意味を知りたかったからクラスの一番ビッチそうなギャルの子にそのまま「スペルマって何?」って聞いてその子も知らなくて調べてくれて教えてくれて「とまよこさんもそういうの興味あるんだー」と言われた。「いやさっき下級生に聞かれたから~」とか言い訳するのもだるくてそのままにした。なんかああいうふうに喧嘩を吹っ掛けられると殴り返したくなるクセがあると言うか…興味があるないと言うか…この世の全部に興味があるし…
l 目立ちたくないし人と目が合うのも怖い。何をしても目立つ気がする。
l 普遍性のあるものが好きで、流行りに興味がない。一過性の知識や価値観は脆いと知っているから。発達障害と健常者の決定的な価値観の違いってそれに尽きると思う。流行りに乗って一時代で使い捨てされる人を健常者(歯車)と呼んで、普遍性のあるものを発明したり編み出したりできる人の事を発達障害(先駆者)と呼ぶんだと思ってたわ。そう、我々は健常者をバカにしている。
l 意図的に脳を整理している気がする。「保留」を作っていると脳がパンクするので結論をすぐに出すしタスクはすぐに済ませる。だから僕の中には「保留」は存在しない。で、楽観的に結論を出すとたいてい後悔するし状況に応じて行動を変えられないので「最悪の事態」になる事を予め想定したうえでの結論を早急に出してそれを元に行動するから疲れるし過剰になるし不安症になっている気がする
l 一旦忘れるとそれは「なかったことになる」もちろん二度と思い出せないわけじゃないけど思い出すのに数分かかったり思い出すとしてもあやふやになったりする
l 僕はずっと騙されてた。この世のどこかに僕を認めてくれる場所があると思ってた。でも父親が金を握らせて黙らせてただけだったんだ。
l 記憶を外付けしている。すべてのことはメモを取っているし細かい事は覚えていない。シンプルに記憶して全てを推理して導けるようにしている。「公式は絶対に覚えない、四則演算さえできればいい」といった感じで実際公式もほとんど覚えずに乗り切った。概念と定理と定義さえ覚えておけばあとはそれを組み合わせるだけで良いようにしておく。だから複雑な会話や語義、国語といった人間心理の絡むものは不得手
l 服なんて今着てるものと洗い替えの二着あればいいだろ
l NHKラジオをずっと聞いてた 心の支えだった
l 他人の気持ちを知る為に知識が必要だと思った。バックボーンを理解してそこから感情を予想してコミュニケーションを取る。パターン認識と同じだ。こういうのなんて言うんだっけ・・・プロファイリングだ。
l 「欲しい」と言う気持ちに疎いので我慢しがち
l 自分の中に価値観が無いから社会的な価値とか、どれだけ認められたかとか、そういうことが最優先になってしまう。それで心を壊す
l 森博嗣森博嗣!森博嗣!ファンと言うほどではないが森博嗣という存在は知っていた
l プライバシーと言う言葉の意味が分からない。授業でも習ったけど意味が分からない。「親から『プライバシー』を配慮された事ないな」と思ったし我が家にはプライバシーなんてないしプライバシーなんて必要あるのか理解不能だった。他人のものを平気で使ったり捨てたりする家。全てが共有財産…。
l 自分に支払えるのは労力だけ、自分に出来るのは努力する事だけだ
l 優しくしようとするとハラスメントになる
l 苦手な事を全部いい感じでカバーしてやっていた。本が読めないなら現地取材するとか想像で埋めるとか、捨てるとか隠すとか
l 友達と美術館に行ってゆっくり見てたら「お前とは二度と来ない」と言われた友達と旅行に行ったとき財布を忘れてお金を全部出してもらった。帰りは終電に間に合わず途中駅で解散した(僕は父に車で迎えに来てもらったが彼女がどうしたかは不明)ゆっ旅行中もなんかいつも怒ってたゆっくりと避けられていく
l 面接に強いと言うか、自分を殺してハッタリ100%に切り替えてやり逃げするのは得意だな。それで「サービス業が得意」とかいって・・・
l 当日中にやらないと翌日はもう別の考え方、価値観になってて忘れちゃうから当日中にやらないとだめ。思考の統率が取れない
l 毎週木曜7時からのポケモンを欠かさず見る。部活をしていた時も「ポケモンがあるので帰ります」と言って帰って怒られる。大学で京都に引っ越すまでで見過ごしたのは1回だけ。ずっと心の支えだった。サトシのように旅に出て認められるのが夢だった。冒険がしたかった。
l 入眠がずっと苦手で11時に寝たいなら8時頃から布団で目をつむらないといけなかった。その時間がすごく苦痛で苦痛で一人暮らしして寝たいときに寝るようにしたら寝る時間が朝七時とかになって講義が九時からでシャワーだけ浴びて出るみたいなことをしたり夕方四時に起きたりしていた
l パジャマという概念がなく、制服で寝ていた。パジャマの方が寝やすいという感覚が分からなかった。のと、着替えるのが「めんどくさかった(脳が足りなかった、わざわざ寝る時と出掛ける時で着替えると言うプロセスを使う脳がなかった)」
l 高校で進路相談を自由に受けられる制度があって、相談したい思いもあったけど何をどう相談すればいいか分からなかった。手遅れと言うか……漫画家になりたいと言っても怒られるだけだし……強制の二者面談もあった気がするけど全く記憶にない。1分とかで終わってた気がする。もっと進路相談をしっかりしてくれる学校だったらね……けっこう生徒には無関心で学級崩壊してても放置だったし。
l 騙しているという自覚はあった。もちろん能動的に真っ赤な嘘を付いていたわけではないがどうせ理解される事はないのだからとミスリードも放置していたしわざと誤解される振る舞いもしたかもしれない。バカだとバレていじめられるより、虚勢でもはったりでもいいから騙して生きていた方がましだと思っていた。だから僕には友達がいない。僕は全部嘘を付いて生きている。そもそも性別も嘘なんだ、これ。
l 父も出版社に勤めたいと思ってたらしい。「人とは違う着眼点で世界に新しい風を吹かせたい」と思うのは若い発達障害あるあるなんだよな
l 松山先生の良い所を答えろと言う体育の授業で僕が一番手で松山先生の良い所は〇〇って言ったらみんな「松山先生の良い所は~」ってみんな頭につけて言い出して「キモ…」と思った。コメント欄とか最初の人のコメントと同じものをみんな書くのはなんなのか
l 他人と同じことをしようとする奴を「キモい」と感じる
l 回転寿司を食べに行ったことがないといって驚かれた。別に回らない寿司を食べた記憶もないが、ファミレスもほぼ行かない。行くならワタミとか…酒を飲むために行くので、居酒屋しか行かない。一般家庭と違う事は端々から感じていた。家族旅行も温泉目当てなので沖縄とかディズニーランドとか行った事ない。石和とか鬼怒川とか…。
l 性転換手術の為の貯金の為の昼食の我慢、漫画家になる為の遊びの我慢、太らないためのお菓子の我慢、冷暖房の我慢、電車で座る事の我慢、喋ったらトラブルが起きるので喋る事の我慢、変な行動をするとキモがられるので何もしないようにする我慢、外に出ると肩が凝って、うんちも出なくて、すごく疲れていた。人がずっと嫌いで怖くて、自分の部屋だけが安らぎだった。便秘は小学生の頃からある。
l 喋っても乾いた笑いで返される事が増えた。顔を見合わせてバカにしたように笑われた。
l 中高は9割くらいが発達障害だったような気がする、職業訓練校より民度低かったし、ヤンキーとギャルと鉄オタしかいなかったし
l 空気を読む人間を場に流される自我のない可哀想な人間だと思っていた。しかし本当に自我が無いのは教科書通りにしか動けない自分の方だった。
l あまりにもよく忘れるので手の甲に油性ペンでメモをしていたらテストの時「手の甲を見せろ」と怒られた。その時は理解できなかったがあとからカンニングを疑われたのだと気付いた。カンニングなんかしてまで点を取りたい訳ねぇだろカス0点だろうが何とも思わねーよクソが
l 入学式が終わってすぐの頃に筆箱を紛失した。どこにも見当たらなかったからあれは盗まれたんだと思う。帰りの会で大声で「ふでばこぬすまれましたー」と言った。多分勉強を頑張っていたのは、結局、それしか威嚇する方法が無かったからだろう
l 学歴のためとか人生のために勉強してたと言うより、教師を黙らせるために勉強してた面が強い
l 多分中高はほとんどの人が発達障害で、僕は視覚IQが高い恵まれた人間だったんだと思う
l 1年の頃から専門学校のオープンキャンパスに行きまくった。工学院専門学校のwebデザインに行こうかなと思ってたが父に「大学は絶対に出ろ」と言われた。そのあと専門学校に行かせてやると言われたが体力がもたなかった。
l なんだかつらいな、自分は弱者だなと言う意識はあったけど発展途上国の人よりましだと言い聞かせてたんだけど、今思えば発展途上国の人は愛があるんだよな、孤独や一人迫害されてるわけではないわけで
l 「意外」と言われると苦しいのは相手の期待を裏切ったから。相手の期待を裏切ることが何より辛い。空気を読むのは相手の予想通りに動きたいから。何かの役割を期待されるとそれをしてしまう。優等生なら勉強、バカならバカらしく、死ぬことを期待されれば死にたくなるし。失望されたら生きていけない。なんとか目の前の人の関心を維持し続けないといけない、嫌われてはいけない、という意識でいっぱいになるから健全なコミュニケーションにならない。
l 学歴に興味が無いと言うか、そもそも就職が目的ではなかったので学歴をとる意味が無かった。もちろん取れるものなら取りたかったけど優先順位としては低かった。いろいろ追い過ぎた
l でも中退は恥ずかしいと思ってた。途中で辞めるのは恥ずかしい
l ちゃらちゃらしてうそばっかついてその場かぎりで生きてるやつが大嫌いで、だからうそが嫌いだ
l 「場違いな感じ」がずっと拭えない。小学校でもバカにされて、中学高校の白けた感じも理解できなくて、友達がずっとずっと欲しかった。美術の世界なら友達ができるかもしれないと思った。
l 後ろを突然振り向いて会話に入って怪訝な顔されたり
l 怪訝な顔をされることが増えた
l ノートを取れなくて、漫画にしていた。先生は「売れるよ」と言ってくれたが売れなかった。普通の文章を読み直すことが出来ない。文字を読むのが酷く苦手だ。読み上げる事は難なくできるのだが文章を読むことが出来ない。物理的に読めないのではなくて目で追えるのだが頭に入ってこない。単語や漢字が頭の中で具体的に想像できない。発音は出来るがそれだけという感じ。言葉の意味をよく分かってないということなのか?
l こだわるせいで友達がいない 足並みそろ得られないし全部一人でやる 生徒会の準備とか
l 怖いと言われることが多い
l なんでも大雑把に考えるふしがあると思う。誤差だと思うふしがある。ゴールが同じなら良いじゃないかと言うか・・・レタスとキャベツなんてどっちだっていいじゃないか、昼ごはんなんか抜いたって良いじゃないか、山形と山梨なんて同じだろどっちも山だし、そんなこと誰も気にしないって!と思ってるふしがある。実際母は気にしないし・・・父も気にしないか・・・大事なこと以外は全部どうでも良いと言うか・・・大事な事だけで手いっぱいと言うか。だから人に嫌わられるんだろうな、気配りとかできないし。
l どんなに空いてても自分がいつも座ってる席に座ってしまう。そのすぐ隣に誰か座ってると「他いっぱい空いてんじゃん、なんで隣に来るの、怖」っていう反応をされるんだがほかの席に座ることができないしめんどい……脳の何かを目覚めさせて思考を作り変えないといけない。まあ無視して座ってると向こうが逃げてくれるので
l 家事ができないのはなんの教育も受けさせてもらえてないから、脳が委縮してるのはずっと罵倒されてきたから……それをみんなは「甘え」と言う。僕は幸せだと言う。甘えるなと言う。でも、発達障害と言われた。頭がぐちゃぐちゃになって泣いてばかりいた。親、精神科医、友達、yahoo知恵袋、誰の言う事が正しいのかぜんぜん分からない。
l ご飯を作ってくれるお嫁さんがいれば生きていけたかもしれない。でも僕と結婚してくれる女性なんていないし、誰かを養えるほど収入もない。
l 女性のASDは全員トランスジェンダー。
l 「愚痴」とか「泣き言」が嫌いで、つべこべ言ってる暇があるなら動け、といつも思っていた。月経困難症になってからは24時間愚痴を言っている。
l 自分はある意味最強だった。恋もしない、嘘もつかない、後ろ暗いものもない、障害もない、誰にでも平等だし、聖人?のような感じ。このまま人類の神様みたいになろうと思っていた。人を啓発・啓蒙する人格者とか偉人になりたかった。仏教なんか学ばなくても自分がブッダだ!みたいな感じに思ってた
l 何もあてにならないので行動だけを過信していた。他のものは心に響かない、言葉とか音楽とか絵とかはぴんと来ない
l 体育祭のダンスの音楽をフルを1番だけに編集する仕事をして欲しいと言われて請け負ったけど明日以降だと忘れるので今日やるから今日データくれと言ったら驚かれたしあとから嫌味のようなことを言われた
l 宗教が好きで、倫理観とか神話とか「世界のルール」を考えるのが好きだった。産業革命までの学問なら理解できる。でも現代の学問はさっぱり分からない。大学なんか行ったってしょうがないのに。
l 『あたしンち』のユズヒコが言ってた「心のスイッチを切る」が僕もできるなと思ってたけど今はできないかも
l 考古学か哲学か家政学科か、服飾かwebデザインか数学科か心理学科か音響の専門学校か……医学部か……衣食住にかかわる仕事がしたかった。血肉になるもの、直接生活の知恵になる知識が欲しかった。漫画家になる必要があると感じたので背景が上手くなるために建築学科に決めた。それに建築は最高のエンターテイメント、人を楽しませる建物を作りたかった。ワクワクすることが大好きだった。
l お酒は人前で飲んでいいのに下ネタがだめなのがよくわからない。食事を人前ですることが恥ずかしい。
l 日本の、文化って、「滅私奉公」みたいな感覚って、自分を殺して組織の歯車になる、自我が許されないみたいなことだと思ってた。そういうのはできると思うしそういう面で自分の日本人としての誇りがあって、「僕ってすごく日本人らしいよな」と思ってた。大人になって気付いたんだがそうじゃなくて、「隠れてやってこそ花である」という事だった。自分は日本人らしい日本人だし顔も日本人だしすごく日本人だと思ってたけど遺伝子検査したらアイヌだった。なんなん・・・・実際、滅私奉公して生きてた人はいないのかもしれない。お見合い結婚しても浮気は基本みたいな感じで、日本の本質はそういうものだったのかもしれない。
l やればできると思ってた
l お金を失うのが怖い。手術費用のことばかり考える
l 漫画だったら理想だけ描けば食べていけると思っていた。漫画以外に生きられる世界なんかないと思った。漫画は裏社会と紙一重だし、まぁ裏社会に行く覚悟はできていた。令和の今はもう「裏社会」はないんだなぁ……その代わりみんな発達障害になったんだ。裏社会に行くつもりの人間が大卒って言うのもねえ。
l 記憶が長く続かないのでどうしても急いだ仕上がりになる 博士の愛した数式みたいに完全に忘れるわけじゃないが思い出すのに時間がかかる(机に出してたのを倉庫にしまうのが早い感じ)
l 発達障害だとは思わなかった。自分は恵まれてる方だと思ってたし、やればできるという自信もあった。未来は切り開けると思ってた。いたって普通の青少年だと思ってた、ただ性別が違うだけで。世間知らずな所はあった。母親がおかしいのは勘づいていた。家を出れば万事解決だと思っていた。自分一人の力で生きていけると思っていた。だから母の事もトランスジェンダーのことも解決さえすればいいのだからとまったく深く考えなかった。発達障害のことは適材適所で何とかなると思ってた(発達障害だと思ってなかったし)
l 部活で走り込みとかそういうので自分だけが10倍くらい遅れるしノロいし転ぶし怒られまくって最終的にコーチに投げられて骨折した
l 先輩の言ってる事が聞き取れなくて適当に「はい」って言ってたら首を傾げられた。聴覚情報処理障害はあると思う。映画の吹き替えもよく聞き取れない事あるし、喋ってても何言ってるかとっさに読み取れないことは多い。韓国語に聞こえるような感じ。だから映画は絶対字幕で観る。あと「言葉」だと声質、トーン、感情とか色んな情報も入ってくるから混乱するというのもある気がする(そういうのに気を取られて内容が入ってこない)
l 耳の記憶力が妙に良いと思ってた。一度聞くとその言葉は忘れなかったり、カタカナを覚えるのが得意だったりする。あと文章の読み飛ばしとか読み間違いとかそういうのもなかった。だから勉強面で問題が無かった。ラジオ講座で勉強するとすぐ頭に入った。例えば「ルノワールのフルネームはオーギュスト・ルノワール」といったことをテレビで一度でも見聞きすれば記憶に定着するみたいな
l 物理とか数学の世界に飛び込むのは「計算が遅いからなぁ」と思って諦めた。それにずっと同じことをやるのは好きじゃない。もっと抽象的と言うか単純な事がしたかった。デザインとか。
l わりと物覚えが良い方な気がする。記憶力?と言うか、漢字や英単語や専門用語や固有名詞を覚えるのは苦手だけど、授業で習って一旦理解したらもう忘れないとか、授業でやったらすぐ使えるとか……まあ、授業のレベルが低かったからなだけかもしれないけど……復習を必要としないタイプではあったし、予習しなくても授業内で理解できるタイプではあった。過集中?
l 絵の勉強がしたくて立川の美術塾みたいなところに飛び込みで見学に行ったら親が迎えに来た。「いい子に育てたねぇ」と言われていた
l 生い立ちを誰も信じてくれないから、フィクションとか演技ってことにして仕事にしようって思った。フィクションでもいいから同情してほしかった
l 公務員になりたかった。なりたいものは公務員だと書いた。
l 電機メーカーとかそういうとこに就職して一生そこで働くのが夢だった。「ふつうのサラリーマン」になるのは、叶わない夢だろうな、と思ってた。上司や部下や同期と飲みに行ったりキャバクラや風俗に行ったりして遊びたかった。
l いつか逆転すると信じてたしそれだけが心の支えだった
l 自信はあった。自分は惚れた腫れただとか人間関係だとかそんな「下らない」事に時間を溶かすバカではなく、勉強し、真理を見つめ、普遍的なものを作り出し、歴史的に評価される偉人(?)になれるだろうと思っていた。いや、実際に偉人になる訳ではないが、「その道」で名のある人間にはなるだろうと考えていた。評価は後からついて来ればいいと思っていた。正しい者には正しい評価が、ずるくて横着な人間にはそれだけの評価が下ると思っていた。
l 人間社会の欲みたいなものがずっと苦手だ。特に「言わない欲」が非常に苦手。他人を強欲だという前提でもてなす?みたいなのが理解できない。だから普通に振る舞うと「怖い」とか「失礼」とか言われて嫌われる。要らないって言ってるのにほんとは欲しいんでしょ?みたいな感じで送りつける日本文化がマジで気持ち悪い。バカにしてんだろ。失礼なのはどっちだよ。
l 僕からすればなんで日本語でおしゃべりできるのにテストの点取れないの?って思う。僕なんか日本語しゃべれないのに一日10時間勉強したら簡単に取れるのに。
l なんかMの字のロゴマークかなんかを見て「M字開脚に見える~」と女子の前で言ってた。いや、MのロゴなんだからM字だろ…
l ずっと「ここにいたらいけない」という感覚があった。自分は周りの子と何かが違うしここは自分の居場所じゃないとずっと思って過ごしていた。人間の中に紛れ込んだサルみたいな、貴族の中に紛れ込んだ平民みたいな感覚がずっとあって、ここにいる資格はないとずっと思っていた。だから友達がいないのは自分のいる場所のせいであって、漫画の世界に行けばきっと友達ができると思っていた。
l 自分を仲間はずれにする既存の社会を否定することでメンタルを保ってたんだと思う。どこかに必ず居場所があるとまだ信じてたから、アバンギャルドでアンダーグラウンドの世界から反体制を唱えながらロックに生きるんだと思っていた
l インターネットの広告収入で食べていこうと思ってアフィリエイトを始めたりした。漫画家というよりはwebコンテンツの会社を立ち上げたくて、webデザインの専門学校に行きたかった。父の望むルートってどれも他人と協力しないとできないやつ。コミュニケーションができないんだから設計とか機械とか無理に決まってる。webデザインなら一人でも生きていけたのに…。本棚にはアフィリエイトとwebデザインの本ばかりだった。漫画家を目指したのはwebデザインは資本ゼロじゃ無理だったから。漫画しかもう残されていないと思った。
l なぜか昔から自分の事を「日本男児」だと思っていた。多分親が年寄りだから?なんかすごく昔に憧れる。縁側で着物を着てスイカを食べたりしたい。だから京都に行ったのもある。古い価値観が好き。自分が一番日本に馴染めてないのに、古い日本が好きなのはなぜなんだろう。武士とかになってる自分を想像する。武士になりたい。軍人でもいい。どうせついていけないくせに。柔道部に入ったのもたぶんそういう理由だと思う。昭和に生まれてたら浮かなくて済んだのかなと思う事がよくある。封建的・・・封建的なのか?LGBTなのに(笑)日本の慣習は嫌いなのに、武士道みたいなのが好きなのが謎だ・・・
l 世の中には分からないことが多すぎるんだ。なんでだめなのか、なんで怒るのか、理解できないことが多すぎるんだ
l 努力は才能に勝つと馬鹿正直に思ってた時期が俺にもありました
l 生物と国語と英語と服飾と恋愛漫画が好きな女の子だったような気もする。でも数学と物理ばかりやってた生徒会長の僕が現実で…?
l いつもノートでキャラと会話していた。自分の脳内にキャラを作ってそいつと会話していたし、それでじゅうぶんだった。
l 「大人の事情で」と言う言葉をよく聞くようになった。友達がアニメーターを目指していたのに「食べていけないから」という理由でやめた。僕にはそれが理解できなかった。作品より大切なものなんかない。命より作品だし、地位や名誉より作品だし、納得できない作品を世に出すくらいなら死んだほうがマシじゃないかと。でもいつかそんな仕事をすることは薄々分かっていた。でもその時に自分はちゃんとできるのだろうかと不安だった。
l 「歳をとったら丸くなる」と聞いて僕は絶対そうならないと思った。そもそも、「できない」のだろうか?忖度とか保身とか、そういう賢さが僕にはないから。
l 貧乏になることは間違いなかったけど作りおきとか家計のやりくりとか賢く段取りできるわけなくて、仕事と家事の両立なんてできるわけなくて、だから何かを切り売りして生きる、じゃあ精神と睡眠時間を削るしかない。という理論。
l 頭が良いから成績が悪いという考えだった。頭が良いから成績が良いとは思わなかった。たぶん、本当に頭がよければ成績もいいのかも。あとは馬鹿正直に勉強するバカかそうでないかしかない。「頭が良いから成績が良い」という発想はなかった。だから根本的に、文部科学省に言われた通り馬鹿正直にお勉強しちゃってる奴らはバカだという考え方だったから、そもそも文部科学省が嫌いだったし頭いい奴はそんなことしないだろうとなんとなく考えてた。反体制イコール実力と言うか高レベル、みたいな信念が無意識にあったと思う。だから「勉強できる=凄い」と言う感覚がなかったし、学歴高い=学歴主義のアホみたいなイメージもあったかも。なんかそういうレールに乗る事自体が嫌だったかも
l たぶん性格の問題ではなく、日本語能力が低すぎるから悩みとかを人に打ち明けられないんだと思う。言語かできないだから漫画を描いてたわけで。漫画と言うより僕にとっては「インフォグラフィック」だった。
l 男女は別れて生活しなければならない。そう教えられてそう思い込んでいる。だから女性とどう接すればいいか分からない。
l 「人を馬鹿にする」のは僕なりの思いやりでもあった。バカがとことんバカなことは両親を見て知っているから、誤解するよりバカにするほうが失礼じゃないと思ってる。向こうは勝手に「バカにされた」って怒ってるけど。でも本当にバカかもしれないから、バカにする事はやめるべきではないと思う。LGBTとかもそうだけど、僕は出会った人を最初から発達障害やLGBTや毒親持ちである可能性を考えて喋る。人によってはそれがバカにしているように見えるんだと思う。でも本当にそう言う人だったときに傷つけたくないから、やめない。女を女扱いした時は喜ぶくせに・・・
l 悪いことしてなければ捕まらないと思ってる。でも、怪しければ捕まるし警察の気分を害したら捕まる。そもそも「悪い事をしているかどうか」は自分が決めるのではなくて警察が決めるんだよな・・・。そういう人間のせつりみたいなのが分からなくて、「なんで悪いことしてないのに怒られなきゃなんないの」ってずっと思ってるわけ。
l 相手の気持ちを考えた文章とかも無理だし。相手の気持ちって何?自分の気持ちも分かんないのに。
l 凸凹が大きくなればなるほど嫉妬と蹂躙のどちらも受けることが分かっている。だから「できない」に見せかけるしかない。バカのふりを過剰にするクセがあるし、それを見抜かれて「甘え」と言われる。
l 相手の脳の中に存在すること、「勘繰られる」ことが何より怖い。思いやられることは嬉しいのに誤解されるのだけが怖い。
l 生徒会長になったのは、何か特別だと思われることでおかしさをカモフラージュしていたから
l 「能ある鷹は爪を隠す」だと思ってた。本当にデキる事はわざわざ吹聴して回るもんじゃないと思っていたら無能扱いされたか、それとも本当に無能だったか。何をアピールしなければいけないのかも分からないし、アピールすることは恥ずかしいと感じる。本当に無能なフリをしてるだけで仕事が手に入るのだろうか?
l 絵の課題でオーストラリアの砂漠を資料にサハラ砂漠と言って叱られた。質問して「でもポアロでは…」と言ったら「フィクションじゃん」と言われた。自分の中に、現実を生きる脳みそがない。フィクションを描いてそれにお金が発生すれば生きていける。現実を生きている自分が0%。フィクションしか自分の中に存在していない。「フィクションの何が悪いの?」と疑問だった。フィクション以外に自分の世界は無かった。だから食事も摂らなかったんじゃないだろうか。空想の世界が自分の人生の全てで、それに価値を作って食べて行かなきゃいけないと思っていた。現実で生きるつもりは微塵もなかった。
l 自分以外の日本人はマザーコンピュータのようなものを繋がれて操られているのでは?物音がしてみんながその方向を向いたり、水族館で皆が水槽を見ている景色がなんとなく不気味で、自分は「あの人衆の中」にいる存在ではないと昔から漠然と思っていた。普通であった事がないし、普通だった経験が無いし、どこかに所属している感覚もない。
l 他人の顔色伺って生きるとか自分はないんか?とばかにしていた
l 抽象的にふわっと思い描くことはできるがそれを行為にしたり言葉にしたりすることが苦手なのはワーキングメモリが小さいからだと思う
l 本が読めないのでNHKのラジオドラマがもっぱらの楽しみだった。ラジオはよく聞いており、語学講座も欠かさず聞いていた。たいていはNHKを聴いていた。後々、この「ラジオドラマ好き」を「声優好き」ひいては「BL好き」と勘違いされる事となった。
l 新しいものや流行に一切興味がなかった。ウォークマンなど若者の機器にも興味がなく、「いかつい」といつも言われていた。
l アニメは苦手だった。アニメーションを「動画」と捉える事ができず、1枚1枚の絵に引っかかりを覚えてしまい気持ち悪さが強くなって見れなくなってしまうことが多かった。絵と効果音や声優の演技のミスマッチなど、気になるところが多すぎると集中して見れない。
l ルートを一人で完結してしまう。相手と共同で決定するといったことができない。待てないし後悔して苦しくなるのも嫌だ、相手のせいにしたくない
l 居場所が無かったのと、あまりにも学校の風紀が乱れていたため生徒会に立候補して学校を変えたいと思った。みんな生徒会長に立候補していたので自分もしたら、後でみんな辞退していた事を知った。生徒会長としてスピーチしたり、一方的なマスコミュニケーションは可能なのだが、一対一での会話が苦手だった。
l なぜか「怖い」とか「キモい」とか言われる事が多かった。
l 自転車の管理ができない。ずっと頭の片隅に自転車の事を入れておくのが苦痛すぎる。乗ったら乗って帰らなきゃいけない。面倒過ぎて1年くらい植物園に放置してたら警察から連絡きた。
l メモばかりする。自分の名前すら度忘れするのでとにかくメモしている。人生の70%はメモしている。強迫的になって一時期大変だった。
l 何か忘れたが父に「そんな事ばかりしてると友達なくすぞ」と言われた。実際今友達いない。
l 昼食を抜いていた。性転換手術代を貯める為・・・でもあるが、食べるのが遅く不器用なので50分で食べ終われない。トイレに行くのが恥ずかしい。一人で食べるのがみじめ、などの理由があったかもしれない。特に食堂は「一人席」がないので必然的に相席になってしまうのが苦痛だった(或いは4人テーブルを一人で独占するのは気が引けた)。カレーを箸で食べてたらからかわれた。食事によって食器を使い分けるのが苦手。がやがやして混み合った場所も人とぶつかるから苦手。
l 「結局、発達障害が嫌われるのって「正直」だからでしょ?空気読んで暗黙の了解で蔓延してた不正が公にされるから邪魔なんでしょ?そんなウソつきどもに障害者扱いされたからって治そうと努力するわけないじゃん、だって正義は必ず勝つんだよ?目配せして隠蔽ばっかりする薄汚いサルどもが」と思っている。
l 数学のテストとかは3回くらい確認する。ミスが多いのでミスありきで計画する。だから相当労力がかかる。「資料作って印刷」とかも10回くらい印刷ミスする。
l ホリエモンになる予定だった。あんな感じになれれば良いなと思ってた。
l 分からないことを放置してなんとなく生きている。感覚でやっている。
l 「めんどくさい」と言うと怒られる。めんどくさいと言うか、多分健常者より考える事にエネルギーと言うか集中力を使うんだと思う。
l 雨が降ると聞いてたのに傘を忘れる、サバアレルギーなのにさばを食べる、
l ワーキングメモリを気合で増やす事は可能。その場合便秘になる。
l 何かが好きになって、その世界に入ると拒絶されて嫌いになることがとても多い。だから好きなものがどんどんなくなる。だから他人に好きなものを言わない。お店とか、どんなに気に入っても顔を覚えられないようにたまにしか行けない。
l 文化祭の音声編集を頼まれたが「今日やる」と言ったら驚かれた。「すぐやってくれてありがとう」と言われたが明日になると多分忘れるからである。明日に持ち越さないように夜更かしして何でもやっつけてしまったりする。
l 「空気を読むとか言うバカがいるが空気は読めるものじゃない。存在しないものを読む奴は頭がおかしい。はい論破~」そういう感じ。
l 柔道部の顧問に「悲劇のヒロイン気取り」と言われた。小学校からそれでよくからかわれる。「からかわれる」「からかわれる」「からかわれる」「からかわれる」「からかわれる」「からかわれる」「からかわれる」「からかわれる」「からかわれる」「からかわれる」「からかわれる」「からかわれる」「からかわれる」「からかわれる」「からかわれる」「からかわれる」それで人と話すのをやめた。
l 目線を制御できない。興味が少しでもあるとそれを見てしまうことを我慢できない。見知らぬヤンキーに「何ガンつけてんだよ」と絡まれたこともある。胸元が開いている女性の胸元とかをつい見てしまう。だからわざと眼鏡をしない。人と目を合わせないのは顔を上げると胸とか首に目線が行くから・・・それが申し訳なくて顔を上げられない。
l 「子供は座席に座ってはならない」と言う信念があったため、友達が座席に座ると「座るなよ」と叱っていた。高校生くらいになると自分も座るようになった。
l 人の言葉が聞き取れないことが多かった。プロの声優が喋っていても聞き取れず、洋画は吹き替えではなく字幕を好んだ。部活の先輩の言っている事が聞き取れず適当に「はい」と言っていたら首を傾げられた。
l 「空気を読まなくちゃ生きられないとか普通にビョーキだろwww」みたいな感じで全く気にしてなかった
l 嘘をつくドラマでバレないかはらはらするみたいなのがダメすぎてパニックで七転八倒する
l 担任に(性転換手術代のために)バイトがしたいと言ったらお金なんて大人になったらすぐ貯まると言われるが結局まだ一度も稼げたことない。早く働いて稼がないと怖かった。自分はお金を稼ぐことは苦手だしお金が人一倍いるから早く稼がないと・・・と思っていた。どこかの会社に所属すると言う予定はなかったし就活もする気なかったし日本社会の歯車になるつもりが微塵もなかった。起業かフリーランスの二択しか有り得ない。就職は無理。だから早くキャリアを始めなきゃいけなかった。ほんとにもっと早く始めればよかった
l 僕の考えていることで本当に正しいのか不安だった。でもそれで大学に受かったから、自分が正しいんだと思い込んだ。あれが間違いの始まりだったかもしれない
l 会社で働くのは無理。まず毎日同じ場所に行って同じことをするのが無理。人と長く付き合うと嫌われるし理解されないし頭おかしいと言われるしいじめられるし無理。会社に信用してもらうと言うのが無理。自信もないしそういうコミュニケーションは無理。フリーランスしか有り得ない。自分の長所を生かせるのは就職じゃない。
l 好きな事をすると脳がパニックになるので好きな事が好きではない。
l 父は何でも用意周到に持ち歩く人で鞄の中にたくさんのものが入っていた。それを真似していたら腰痛が酷くて自分には出来なかった。高校の頃、教科書を八王子から国分寺まで1時間半毎日持ち歩いていたが今考えると全くその必要はなかった・・・。
l 僕が喋る度に教室がシーンとなるような感じで、なぜか目立つ。なぜだったんだろう。変人だからか。おかしい事言うからかな・・・。小学校のときはいじめられたからなるべく話し掛けられないように目を伏せて生きるようにした。
l 生きる意味を実感できない。漫画家になることが唯一の生きる意味だったのに
l 昔は自分は普通だと思ってた。まさか発達障害とは思わなかった、独創性のある天才肌だとばかり、それでも普通に人として個性だと受け入れてた、まさか就活もうまくいかないし友達も失うなんてやっぱり発達障害なんだなと思った
l 僕は理系の中高一貫校だし父もエンジニアなので「本物のアスペルガー」をたくさん知っている。だからこそ自分が発達障害である事に気付かなかったのだろう。むしろあのくらい振り切れててれば仕事は逆にあるのに。彼らはADHDは弱い…。
l 過集中により、大好きなCDを貸してもらった時、数学の問題を解いていたので塩対応になってしまったら、その後貸してくれなくなった。
l 感化されやすさ
l お酒を一升瓶飲んだなどと嘘をついて酒豪キャラでいた。酔っていると嘘をつけばおかしいことも怒られないと思った。同じように警察にサバイバルナイフが見つかった時も「知らない男に襲われた時の護身用」などと嘘をでっちあげて余計怒られた事がある。多分なんでも嘘をつくのは発達障害でできないことを指摘されて説明できない事態になるのを避ける為なんだと思う。でもだいたい余計怒られる。
l 子供向けの仕事をすればいいと思っていた
l 作家にこだわっていたのは、じぶんは早死にするし人生で何も残せないと分かっていたからだと思う。作品が自分の子供だった。
l 欲望を抑える事が苦手の為、母親の買ってきたお菓子を庭に捨てるなどしていた。京都で一人暮らしを始めてからもそういう恐怖であまり買えなかったんだと思う。
l 本番に強いと言うか面接に強いと言うか、恥の概念が無いので必要なものを必要なだけ演技することが出来る。自意識がゼロだと思ってた。今は「恐怖」があるので無理だけど…
l 大人って「機能的」な事だと思っていた。自意識なんかなくビジネスとして必要な事を建設的に話し合えるのが「大人」だと思ってた。うじうじして何も言えず責任を擦り付け合って言葉を濁すのが「大人」?そんな日本社会で働きたいと思うわけないだろ。と思ってたら発達障害扱いされた。なんなの?
l へりくだるのが苦手。プライドが…とかではなく、「へりくだる」という行為自体に白々しさのようなものを感じるから苦手。「嘘がつけない」と言う事なのか、ナメられたくないという思いは強い。へりくだってつけ上がられて損したら意味ないと思っているのはある。
l 空気ばっか読む奴は何の生産性もないバカだと思っていた
l 言葉を覚えるのが得意のように感じる。但し思考と単語を正しく関連付けられないが。スポンジのように何でも吸収できる気がした。いつまでも子供の脳だからなのかな。
l つまらないものにすごく価値があるように感じてしまう。自分の大切なものをよく笑われる。ケチ傾向?こだわり?
l 川村さんがバレンタインにチョコを持って来てみんなで食べていた時に先生が入ってきてみんなは隠したのに僕だけ「先生も食べますか?」と聞いて周りが「はあ?」となった。学校が飲食物持ち込み禁止な事とか、先生に見つかったら叱られる事とかを忘れていた。
l 文章を読まないで概念で理解している
l 自分より才能のある人はたくさんいた。何故みんな作家にならないのか疑問だった。でもみんなは社会人として生きていける技能も、作家としての才能も両方あっただけだったんだ。僕は自分の身も命も削ってようやく作家にしがみ付けるかどうかという人生だったのに。そんな事は子供の頃からよく分かっていた。だから寝食も削って努力するしかないと思った。
l 勉強と言うものに価値を感じていなかった。勉強が出来ない事に全く劣等感がなかった。母は歌手で父はエンジニアだったので、自分も職人とかそういう仕事をするつもりだったので、勉強よりも技術を上達させる事に価値を置いていた。大学に行く予定もなかった。
l 漫画家になる為に学校の勉強を捨てて漫画の勉強に絞るか悩んだが、集英社のお悩みコーナーで「学生のうちは勉強した方がマンガのネタにもなる」と書いてあるのを読み勉強に集中する事にした。しかしこの時もっと早くから漫画の道に足を踏み入れていれば大学生の時に慌てて詰め込まなくて済んだだろうし体を壊す事もなかったかもしれない。高校から大学の「急転換」が失敗の元凶だった気がする。
l 勉強は学歴の為でも進路の為でもなく、ひたすら「マンガのため」でしかなかった。だから大学生になってもマンガのネタにならない授業は必修科目でも取らなかった。
l 本を読まなければと思って頑張って読んだ。半年に1冊くらいのペースで読んだ。子供向けの冒険小説など。それ以上のものとなると無理だった。
l 「自分は他の人と違う」と言う意識は幼稚園の頃にはすでにあった。それはそもそも親が他の友達の親と全然違っていたし、「うちはうち、よそはよそ」という感じで、劣等感だとか違和感だとかそういうものはあまり感じていなかった。親はそれでいいと言ってくれていた。うちの両親は他の子の祖母、祖父と言って良い世代だったので、ジェネレーションギャップだとばかり思っていた。
l 漫画家になるつもりだったので、暇さえあれば絵の練習をしていた。
l 文化祭のポスターを礒沼の名前で応募して、当選してしまい礒沼に連絡が行って「多分とまよこじゃないか」という話になって僕に連絡が来た。自分の名前で応募できない。自分が何かやらかして怒られたりするのが怖い。
l 「世界で一番嫌いなのは教師」と教師の前で言ったりしていた。教師しか大人を知らないんだから当然だと思っていたが、今考えても世界で一番嫌いな職業は教師だ……。
l かやと帰ってた時僕が文章が読めなくて声に出してたら一緒に読み出し始めて「きも…」と思った
l 目で追うより読み上げて耳で理解した方が理解しやすい。ラジオドラマとか本の朗読とかだと面白い、わくわくする、臨場感があるが文章をなぞるだけだと形の羅列にしか見えない。読めないわけではないのだが・・・
l 言葉の読み間違いが少ない方だと思う。音読が得意だと思う(活舌は悪いが)何かを読み上げるときだけ饒舌になる
l 普通にノートを取る事が出来ず、キャラクターを書いてふきだしで喋らせないと文字が読めなかった。ノートを取るのが大変だった。「吹き出しの中の文字」なら読める。また、台詞などは読めるが地文(ですます、だ、である)などが読めなかった。
l 「自分は何かがおかしい」と漠然と考えていたが「きっとこれが中二病なのだろう」と思って深く考えなかった
l 自分の中の抗えない「何者か」がいる……みたいなことを言ったら絶対中二病扱いされるわけで……でもADHDの衝動性とかに抗えない辛さみたいな……どう説明すれば良いのか分からなくて……そもそも「中二病」って概念がADHDなのか?
l 小学校で僕をいじめた友達に復讐と言うか、見返したいという思いが強かった。中学校より小学校のほうが、辛い事も多かったが楽しい事も多かった。小学校は全力で他人とぶつかって生きる楽しさがあった。またあの世界に戻りたいと思い、勉強に励んだ。いつか同窓会などでみんなをびっくりさせようと思った。また褒められたいと思った。
l 自分は補習に出るのが当たり前だと思っていたので(勉強が出来ると思っていなかった)自分より勉強が出来ない子を初めて見た。しかも、たくさんいてびっくりした。その事実から目を背けていた。「自分は勉強ができない」と思い込む事で自分を鼓舞していた。
l 自堕落な性格だと自覚していた。とにかく少しでも甘えられる環境があると甘えてしまうので、お菓子を捨てる、冷房を付けない、食事を摂らない、CDを庭の物置にしまうなど物理的に自分を追い込む事が多かった。夕食も太るのが恥ずかしくて白米を抜き、まともに食事をするのは朝食だけだった。
l 小学校のレベルがいかに高かったかを知った。しかし今回はレベルが低すぎてこのままでは負け組になる(食べていけない)と思った。
l この当時は小学校のレベルが高かったという認識はあまりなく、とにかく中学のレベルが低すぎて動物園だなと感じていた。
l 自分が喋ると周りが水を打ったようにシーンとなることが増えた。しかしそれを「的確過ぎてぐうの音も出ないんだな」と勘違いしていた。
l 勉強はすればするほど成績が上がり、学校での地位が上がる事がとても楽しくなった。「勉強さえしていれば良いんだ」と思っていたし、学問ができることが社会で生きていける力なのだと思っていた。
l 父が「勉強が得意な奴ほど社会に出ると落ちぶれる」と言っていたが無視した。
l 勉強をすると社会の仕組みが分かってくる。だから、周りで無駄な事をしている人を見ると「バカなんだ」と思うようになった。ここで言う「無駄」は、友達と遊ぶとか、雑談をするとか、気を遣うとか、そういったこと。
l 分からない事は徹底的に無視して、限界まで簡略化(デフォルメ)して理解することで勉強していた。「今の勉強のしかたじゃ、いずれ限界が来てしまうかもしれない」と思っていた。しかし大学に受かってしまったので、「これで良いんだ」と自信を付けてしまった。
l 感情がない自分を誇りに感じていた。「普通の人」より優れていると思っていた。何故なら効率的だから。論理以外に重要な事はないと思っていた。感情がない人間は受け入れてもらえないと知らなかった。
l 自分は頭が悪いと分かっていたので、とにかく「保険」をたくさん作っておかなければいけないと思った。やってやりすぎと言う事はないと思っていた。がめついとかケチとか言われようが、とにかく何でも溜め込むし乞うようになった。昼食は食べなかった。
l 文化祭の余ったクラスTを全部もらったり、図書室の要らなくなった本を10冊以上鞄に入れて八王子から国分寺まで持ち帰ったりした。「タダ」と聞けば手に入れなければ気が済まないと言う感じがした。後々これはますます悪化していき、強迫観念のようになって自分を苦しめた。
l 高校くらいから友達が一人もいなくなり、学校で一言も声を出さずに終わる事が増えた。
l 高校では生徒会には入らなかった。「推薦目当ての卑怯者」だと思われたくなかったから。
l 正々堂々ではないことを軽蔑していた。一夜漬けなどの邪道をしてまでテストで「良い点」を取りたいと言う強欲さと言ったものに拒否反応があった。同じように、嘘やお世辞、おべっかなどの邪道行為も軽蔑視していたし、そういった事で成り上がっても自分の為にならないと思っていた。世間体とか社会的地位とかそんなことよりも自分自身の心の充足や自己研鑽に費やす事が好きだった。今思えばそれは「こだわり」であり他者への関心の薄さであった。
l 数学が好きで数学科に行こうと思ったが数学の先生に「数学科に行っても仕事がない」と言われ不安になって辞めた。今思えば数学科に行っておけばよかった。「高校数学が好きな人は大学の数学が嫌いになる」と言われたが、それは今思えば教師の私怨に過ぎないのだ。
l 世界には「真理」があると考えていた。普遍的なもの、絶対的なもの、それに沿って生きれば「間違い」は有り得ないし、世の中の人々は感情に絆されて本当に大切な事が見えていない「かわいそうな人達」だと思っていた。彼らに理解されようとすら思っていなかったし、理解される言葉で話すつもりもなかった。
l 「好きなもの」と言うものがないと感じていた。漫画やアニメは今思えば「現実逃避」としてしていただけで、好きな訳ではなかった。好きか嫌いかと言う判断基準が自分の中にないと思った。
l 一応武蔵野美術大学の建築学科には受かった。漫画サークルに入っていい相棒を見つけてその人達とチームを組んでデビュー…みたいなことを夢想していたが、性転換のために実家を出る必要があったので京都の大学にした。今考えれば多分それも無理だったと思う。
l シェアハウスをしたいと思ったが父に止められた。自炊も止められて学食のプリペイドカードみたいなのをもらった。今思えば学食のプリペイドだけじゃ足りなかったからもっと自炊するべきだった。シェアハウスも無理だったかな・・・。でもやりたかった。ずっと「友達が欲しい」という気持ちだけがある。でも現実はトラブルばかり起こして「出ていけ」と言われる。そういう欲求不満を解消するために漫画を描き続けていないと精神が崩壊する。
l 漫画の描き方について勉強した。週刊かせめて月刊で連載できるようになれば食べていけると踏んでいた。そのためには大学を卒業するまでにデビューしなければならないと思っていた。
l 成長を重ねれば重ねるほど、人とうまく喋れなくなっていることに気が付いてきた。昔は人と目を合わせられたはずなのに、なぜかどんどん目を合わせるのが怖くなっていった。クラスの人と喋ることはほとんどなかった。「目が悪くなってるからだ」と思っていた。眼鏡を買っても「相手が眼鏡のフレーム外にいるからだ、眼鏡のフレームが小さすぎるからだ」
l 学校に有名な学者か誰かが来て興奮して質問に行ったのだが日本語が支離滅裂になってしまい結局何を聞いたのかもわからなかった。思考を言葉にすることが苦手で、焦るとメチャクチャな文章になってしまう。例えば、「あのそれがえっとだからいつしたんですかえっとあの反逆がすごくてあれが」ゆっくり喋れば喋れるが、今度は「否定されたら怖い」とかそういう気持ちから素直に喋れなくなる。その両方のせいでもっと喋るのが遅い。普通の人の20倍か50倍くらい遅いかも。
l 怒られたくなくて「できない」って言えなくなってしまってる、生活保護もらえなくて餓死した人とかもそうなんだろうなー
l 「建築家なんて設計図さえ書いてりゃいいんだよ」と父は言った。工学院大学のオープンキャンパスで建築の道に進みたいと言ったら、「建築はみんなで話し合ったりしなきゃいけないから…」と何故か困った顔をされた。当時はなぜ彼らが困った顔をしているのかさえ理解できなかった。
l 理系の偏差値35の学校だったため、国語の授業の難易度はかなり低かった。一度だけ、国語の「走れメロスの続きを書く」と言う宿題が出たが、書けなくて出さずにいたら何も言われなかった。次に「旅」と言うテーマで文章を書くように言われたが「原稿用紙に筆で書いていいですか?」と聞き、みんなが小説やエッセイを書いている所をでかでかと詩を書いて乗り切り、これまた怒られなかった(それどころか発想を褒められたほどだった)。結局6年間で何かを書く課題が出たのはその2回のみ。ちなみに詩の内容は「旅は嫌われる前に別れられるから好き」といったもの。広く浅く一瞬だけの付き合いなら嫌われずに済むから旅人になりたかった。
l 自分には「才能はない」ことは重々承知していた。しかし努力は才能に勝つのだと信じていた。学問に王道はない。ただひたすら頑張ればいつか必ず報われると信じていた。
l 父が何でも「言い切る」人だった。「ダメだよ」「三流だよ」
l 父から「とにかく何かのプロになりなさい」と言われ続けていた。「大人になっても何の取り柄もない人間が一番恥ずかしいし可哀想だ」と言い、庶務や総務や事務といった職種を心底バカにしていた。僕はその教えに何の疑いも持っていなかった。
l 教頭に「君は大成功するか大失敗するかのどちらかだね」と言われた。マルチメディア部を作り、教頭に顧問になってもらった。ワイヤレスマイクなど、部活の為に投資してもらったが、部員が集まらず廃部になった。
l また国立に進むことに抵抗はあったが、次こそ負けるものかと発奮していた。
l 勉強して世界を知って世界の仕組みを知る事は快感だった。僕の癒しだった。
l 自分を律する事も快感だった。自分を虐める楽しさもあったし、投資しているのだと思うと楽しかった。努力した分が必ず報われると思っていたから。頑張れば頑張るほど幸せになれると思っていた。
l 紙の上だけが僕の居場所だった。誰も怒らないし誰も横槍を入れてこないし誰も否定しない。僕が僕でいられる場所だった。「とまよこさんって文字のキャラと喋ってる時のキャラ違うね」と言われるようになった。「喋るとむーって感じだけど描いたマンガ読むとさ……」のようなことを言われた。
l 友達の定義が分からず、先生に「礒沼と友達だろ」と言われて「(友達の定義が分からないため、友達の定義が分かるまでは)友達じゃないです」と言ってから礒沼に距離を置かれた。
l 何でも「分かりません」と言っていた。すると、なんだか会話がおかしな事になることに気が付いた。相手はたいてい、「分かりません」を「いいえ」と捉えてしまうことに気が付いた。今思えば、「分からない」ことは有り得ないのだから、「いいえ」を遠回しに伝えていたと思われていたのだろう。
l 「シャイ」と言われる事が増えた。恥ずかしがりと言うか、目立つのは好きだしグループで楽しくやるのも、分担をしっかり決めてチームワークを行うのも好きだ。だがこの世界ではそれが出来ないと言うだけの話。
l 教頭に沖縄で頭のいい子が世界中から集まって強化合宿するイベントがあるから立候補しろと言われたが冗談じゃないと思った。そんな所に行って疲弊したりついて行けなくてみじめになったり意味の分からない会話を聞かされて何が楽しいんだと思ったので、立候補の英文に「I hate sea」と書いたら僕だけ落ちて佐藤亜衣さんは受かった。その事にみじめも一切なくただ「頑張りたい人が頑張れば良いよ」としか思わなかった。
l 僕の友達は大きく2種類いた。「勉強ができる子」と「DRIVE!!」グループだ。
l 相手によって自分を自然に使い分ける事が得意だと思った。相手の好きな話題を調べ上げて合わせる事は勉強と同じで何の苦痛もなかった。
l ふざけ合うノリの素早さについて行けないと感じる事が多かった。どつき合ったりするフィジカルなコミュニケーションは3秒も4秒も反応が遅れてしまう。
l 卒業式の日に松山先生がやって来て個別に「頑張れよ」って妙に意味深に言ってくれた。今思えば「お前に現実世界は無理だからせいぜい頑張れよ、俺は一介の私立学校の教師だからお前の発達障害は指摘してやることが出来なくてごめんな」って意味だったのかもしれない。
l ハンディキャップがある事は知っていた。それを隠して、カバーしなければ生きていけない事は分かっていた。そのために「常識」で生きていてはだめで、法律違反スレスレか賭けに出るような生き方をしなければ死ぬと思っていた。綱渡りのような気持ちだった。人より何十倍も努力する必要は分かっていた。
l 有料老人ホームに入るのが夢だった。お金をしこたま貯めて、早くから有料老人ホームに入って20年くらい生活する事が「将来の夢」だった。あとは「長生きする事」。建築家は長生きが多いと聞いていたから建築家になろうと思った。
l 「天才」以外に生きる道はなかった。天才にならなければ死ぬ。だからとにかく突き詰める必要があった。
l 父は全部決め付ける。間違っていたがそれはメンタルで簡単に言うと「学校でいじめられた。僕は頭おかしいのかな」「学校の奴らなんか気にするな俺達は天才の家系なんだ間違ってるのは有象無象の馬鹿どもなんだ」といったふうな感じ。これのおかげで子供時代は思い悩まずに済んだ。父がたまたま仕事が見つかっただけだった。父のようになればしごとが見つかると思っていた
l ぎゃふんと言わせる、復讐する。そんな感じ。才能を知らしめる
l 小学生がゲームショップでゲームで遊んでいたので「仲間に入れて」と言ったら気味悪がられて笑われた。
l 三者面談でこれからの人生の辛さに泣いた。父は「どうしても京都工芸繊維大に入りたいから」だと思ったらしい。
l 一応自己愛もあった、これはまあ普通だろう解離もあるし
l サングラスを持ち込んでる人がいてかけて遊んでたら出沼さんが「安芸先生が睨んでたよ」と言ったので腹が立って安芸先生に「これって持ち込みOKですか?」と聞いた。
l 修学旅行で私市さんから大食い対決を持ちかけられカレーを7杯くらい食べて本当に胃が壊れるかと思った。ああいう時、「目立った事」をしたくなる癖がある。「普通」でありたくないという意識があるし、「おかしい」と思われていれば大抵の事が許されるので、わざとおかしいふりを普段からしていると誤解されたりしなくて済むのだ。とにかく、おかしいふりをして、人を遠ざけたかったのかもしれない。普通ではないと思わせる事は、僕の人生においていじめられないためにとても大切な事だった。それとも、負けたくなくて圧倒的な力を見せたかったのか?私市さんはいじめっ子で、僕のことをナメてるふしがあったので、全力でボコボコにしばき倒したい気持ちもあったかもしれない。
l 自分が嫌いで他人も嫌い。結局全員嫌いなんだ僕の魂は
l 家を貸して不労所得で働かないのが一番良かったのだが大学に行け、家は売ると言われた。
l 図書室で毎日勉強していたので、ある日図書室の司書さんに「毎日勉強して凄いね」と話し掛けられたが、何をどう答えれば良いのかまったく分からず「ひょひょひょひょ」と言って手を振って逃げた。多分「いえいえとんでもないです」と言いたかったのだと思う。
l 誰かのためにどれだけ心を砕いてもそれと同じだけのものが返ってきている感覚がない
l 酔ってるふりをすることが多かった。「親のお酒飲んだんだよ」と言っておけば、たいていの失敗やおかしな言動が許されるから。でも、お酒を飲んだことは一度もないし、今まで一度も飲んだことがない。ADHDは酔っ払った状態に似ていると感じる。だからただでさえ酔っているような状態なのにお酒を飲んだら完全に頭がおかしくなって犯罪を犯す気がするからだ。
l 学園祭で着ぐるみを着たら人が怖くなくなっておどけたりできた。
l 学園祭で客の呼び込みをするのが楽しい。目立つことは得意だ。何もしなくてもただでさえ僕の言動は目立つのだから。それが「良い事」である状況がこの上なく気持ちがいいしリラックスできる。しかも、客の反応も見なくていい。ただ目立って宣伝するだけでいい。こんなに楽なことがあるか。
l クラスメートに「キョドい(挙動不審)」とよく言われた。多分、多動の事だろう。
l グループの中に入るのが本当に苦手のため、ここでも「発信」する事でコミュニケーションを取った。読むことが苦手の為書くことしか出来ない。書いて作り出してそれを見てもらって楽しんでもらうと言うコミュニケーションの方法しか取れない自分に違和感はあった。
l 「精神科に行きたい」と言うと母に「何しに行くの」と言われた。両親は自分たちの人生や仕事に違和感を持っていないようだった。2人はバブル期に「ただ、働ければいい」と言う状況で歌手やエンジニアとして「働く」事だけをしていた。でも現代は「働く」ことだけではないことが必要なのではないか?昔はただ言う通りに行動するだけでお金が貰える時代だったのだと思う。
l 発想力も記憶力もない僕の唯一の武器が「論理」しかないと思った。例えば「ドラえもん」は「猫」と「ロボット」に分解される。つまり無機物と有機物のコラボは売れる、などといった「売れる法則」について延々と考えていた。「シナリオの書き方」のような本を読み漁り、受けるドラマの構成を頭に叩き込んだ。法則は才能に勝つと信じていた。
l 漫画家になりたかったわけではない。ただ僕のように自殺しようとしている子供を救うことに意義があると思っていたし、消去法でその仕事しかなかった。今思えば前提からして、発達障害に全部振り回されていた。
l 将来はこうしよう、大人になったらこんな仕事をしよう、漫画家になってたくさんの子供たちを楽しませよう、こんな作品を作ろう、そんな事を考えていた頃は睡眠を取る事ができた。いつからだろう、その夢を描けなくなり、眠る事ができなくなったのは…
l 現実を忘れるために勉強していた。勉強して、将来に夢を見ている時だけは幸せになれた。
l 担任に「ポエマー」と言われるが、長文が書けないだけだった。
l 世の中の人間と少しでも関わらずに生きていくにはどうしたら良いのか考えた。インターネットを使って生きていくことを考えていた。だからwebデザインの仕事をして、そのうち漫画だろうが何だろうが事業を立ち上げて一人で生きていく予定だった。子供向けを想定していた。
l 田島君に空色デイズ貸してと言ったらTSUTAYAで借りたものを貸してくれた事がある。
l チック症の櫻井君と出席番号が近かったのでよく喋っていたら周りの男子が「お前はとまよことでも話してろよ」といじめていた。そういういじめはくだらないと思って舌打ちして無視してたら櫻井君が転校した。差別はしないが逆差別もしない。対応を変えられない。自分がそうやって扱われてきたからもある。転校した時は「もうちょっと優しく接するべきだったのかな」と思ったが障害があるから優しく接するとかは違うと思っていた。それはバカにする行為だ。人として尊重しているつもりなのに傷つける事があるのだろうか。それは今思えば自分がずっとされてきた事だ。
l 障害者を羨ましいと思っていた。保護や支援があってさぞ気楽だろうなと。障害者に生まれたかった。そう思ってる時点で、今思えば障害者だった。無意識に「なんであいつらばっかり支援受けられて同じようにハンディキャップのある俺らは障害者扱いしてもらえないんだろう」という意識があったのは間違いない。世界がそれを強いるのなら、受け入れて戦うしかないと思っていた。
l アウトローとして生きる道も考えた。「いつか刑務所に行くかもしれない」と、今も漠然と思っている。刑務所入るなら女性のままでいた方がラクな気がする~。刑務所は衣食住保証してもらえるから最高じゃんと言うと周りに怒られることが分からなかった。死ぬよりマシだろ。空気が読めなくてルールも分からないからすぐ警察に目を付けられる。だから警察は嫌いだ。
l 「簡単に言うな」とよく怒られる。難しく言っても簡単に言っても内容は同じなのに。
l 「俺たちがこんな社会に負けるはずない」と誰かが言っていた。僕は負けたけど。
l 小瀧さんに「人を怒らせる天才だね」と言われた。
l 本を勧められたりして読むことも増えたが、感想を聞かれても「よくわかんなかった」しか言えなかった。
l 数学はバカでもできる学問だと思っていた。ただ階段を一段ずつ上るだけでできるから。数学が出来ない奴はみんな「賢い」やつだと思ってた。「数学しかできない」と言うと「すごい」と言われる事が疑問だった。今でもこの誤解が解けない。
l 勉強しない奴は「勉強した事なんて人生で使わない」と言っていた。それは間違いだと知っていたが、「世渡り」と言う言葉はとっくに知っていた。世渡りできる自信があるなら、勉強しないこともまた自由だとは思ってた。ただ、「浅い人生しか送れないんだろうな」と見下してはいた。学歴はどうでも良かったが人生に実りは欲しかったから。
l 自分の力ですることが善で、他人の力を借りるのは悪だと思っていた。オーストラリアの教育実習生とかに手紙を渡すとき、みんなの手紙をその場で読んで反応してくれるのだが、僕が自分で考えたオリジナルの手紙は引きつった笑みなのにみんなのいわゆる「テンプレ」文章にはにこやかに反応していて、みんなはカンニングしてるのになんでみんなの方が褒められるのか分からなかった。今でも他人の力を借りるのが苦手だ。だから素人から抜け出せないのだろう。
l それが存在する事は分かるがそれがどのように存在するかまで分からないから、存在するかしないかの予測ができない、みたいなことがある。教師は怒るがいつ怒るのか分からないからいつも怖がっていないといけない、みたいなそんな感じ。人がなぜそのような行動に出るのか分からないので常にどの行動が出てきてもいいように準備しておかねばならず、それが強いストレスと不安につながっている。レイプをずっと怖がってるのもそれか?他人と会話するときにどの発言が出てくるのかまったく予測できないので怖いしテンパってしまう。修学旅行で飛行機に乗った時窓側の人にずっと「トイレいく?」って聞いてたのはその人がいつトイレに行くと言い出すのか分からなくていつも準備していなければならなかったから……相手の表情で読み取れないから予測できないってこと?だから会話がまったくかみ合わないし遅れてしまう。だからもう会話はいいや・・・となる
l 僕より頭が悪いと言うより、僕より頭が良すぎて馬鹿正直に勉強してないんだろうなと思ってた。賢くないから勉強するのは知ってた。そもそも、頭が良い悪いとかそういう二元論?で物事を昔から考えてない気がする。良いとか悪いとかではなく別のもの、他人、違うものという認識で、自分と比べると言う事をほとんどした事がない。「比べる」と言う事をやりはじめたのは発達障害と診断されてからだと思う。「どうして僕はみんなと違って就職できないんだろう」と思うまでは他人と違う事に悩むことはなかった。要は生きてさえいければ良いだけだから。
l 就職は「夢」だったが、どうせ無理だろうと言う感覚だった。父のように「コツコツ」できないのは恐らく母のADHDのせいだろう。父はASD、母はADHDと言う感じだった。自分は数学も好き、理科も好き、でも絵も好きだし音楽も好き、コツコツするのも好きだが目立つのも好き、論理的なものも好きだが派手なものも好き。そんな自分の芯のなさのようなものがずっと疑問だった。父の言う「専門家(プロ)」になれない気がした。自分はプロデュースタイプだと思ったが、人と渡り合うのは苦手だった。
l コツコツするのは得意だが、父のように30年も40年も同じ事だけをし続けるのは無理だと思った。
l 「デザイン」が好きだった。でもそれは一般的な「デザイン」ではなく、「言語を視覚化する」と言った意味。「最も美しいものは数学的に洗練されたものだ」と言う思想だった。シンプルがこの世で最も「美しい」と思っていた。しかしそれは自分に「美しい」と捉える器官が無いだけだったとは…。
l 教頭先生は僕に色々なアクティビティをさせたがったが、僕は人との交流の仕方が分からなくなって人と目が合わせられなくなっていった。教頭が話し掛けても逃げた。
l 卒業した時、パンフレットに卒業生の声を載せるかと一応聞かれたが、答える前に「君はこういうの嫌いだよね」と言われた。書きたかったが、恐らく僕がまた顰蹙を買うようなことを書かれても学校のメンツ的に嫌だったのだろう。好きだった学校から切り捨てられたのが悲しかったし、学校の実績になるからと受験も頑張ったのに無意味のような気がした。卒業してしばらく高校のホームページに自分の大学が書かれていたのを眺めて癒されていたのだが、3年くらいで消された時に「何の為に大学受験したんだろう、たったこの3年の広告のために自分の青春を全部ドブに捨てたのかな」と思った。それくらい、大学受験は「学校のため」だと思ってやっていたのだと気付いた。高校がもっと質の良い生徒が増えてレベルの高い学校になってくれる事は僕の望みだった。でも、それに貢献できなかった無力さがあった。
l 人の為になりたくても怒られたり嫌われたりする。だから人の為に動く事は一切やめようと誓った。
l 学校説明会で小学生の親が「理系の学校だから国語の授業とか少ないんですか?」と聞いてきたので安心させようと「はい、全然ないです」と言ったら引率の先生に物凄い睨まれた。自分の「良い」と言う価値観は他の人の「悪い」と言う価値観なのだと思った。国語の授業が苦手で嫌いな人が理系特化のために理系の中学に来るのだから、国語の授業が少ないと言うのは「良い点」だと思うのだが…?なら最初から普通の学校として売り出すべき。でもうちは「理系」が売りだった。父も国語なんて必要ないと言っていた。国語なんてクソだと思っていた。きっと生徒全員そう思っていたはず。
l 英語が得意だった。日本語より得意と言うと語弊があるが、英語の「結論を先に言う」と言う言い方が短期記憶を使わない感じがして使いやすいと感じていた。もし英語圏に生まれていたらもっと言語IQは高かったと思う。
l ノートに漫画を描いて「事実をデフォルメ」して覚える。複雑な事はそのまま理解できないので単純化して覚える。このような勉強法で本当に良いのかなと不安になったが、大学に合格できたから大丈夫なんだと安心した。
l 自分が障害者であることも知らず、世の中の人間の何と気楽なことだとばかにしていた。こんなに努力しているのだから失敗するなんて有り得ない、絶対失敗しないくらいに努力すれば失敗しないだろうと思っていた。でも、失敗した。そもそも生まれることに失敗していた。
l 自分の事を「人間」だとあまり認識していなかった。どちらかと言うと機械側の人間で、人間と言うものを他人事のように見ていたし、見下していた。親戚付き合いも一切なく、人間社会に組み込まれてる感覚も乏しかった。だから食べなくても生きていけると勘違いしたのかもしれない。人間らしい事について全て否定的な目で見ていた。機械至上主義。もちろんその考え方をやめることはできないため今もそうだが、今は人体の勉強をしたため「休むことが必要」と学習した。学習しなければ分からない。なぜみんなは自然に分かる?
l 哲学が好きだった
l 偉人の伝記のようなものが好きだった。エジソンや平賀源内などに傾倒していた。僕もこんな人達のようになりたい、いや、ならなければ他に生きる道が無いと分かっていた。でも僕の人生は彼らのようにはならなかった。
l 性器を触ったときに鳥肌がするのは分かっていたが「気持ちいい」という感覚はなかった。むしろぞわぞわして気持ち悪かった。そもそも性器だと知らなかった。
l 何でも忘れるので、何でもまっさらな気持ちで見れる。言語とか覚えやすいし新しい概念も頭に入ってきやすい。だからこそ普遍的なものに依存しがち。それを発達障害と呼ぶらしいな。
l 言葉で言うのは粋じゃないと思っていた。起承転結で驚かせるのが好きだから。「ツンデレ」と言う言葉を知った時、素晴らしい言葉だと思った。二律背反のジレンマをよく表していると思った。
l 漫画は不特定多数に向けられているから好き。僕じゃない誰かに宛てられたものを僕は同じように享受できる。でもそれは僕のためのものじゃないから、どこか違和感がある。それから目を背けるためには、自分を封印するしかない。
l イマジナリーフレンドと話すことそのものが仕事であり生きる理由
l 漫画を世に出さないのはキャラたちが可哀想だと思ってた。キャラたちの人生があって、辛さも苦しさもあるのにそれが全部没になったら彼らを殺すってことになる。人殺しにはなれない。
l よく「動きに無駄が多すぎる」と言われる。ドッジボール大会で当てられる度に倒れていたら先生に「動きに無駄が多い」のような事を言われた。
l 言葉は不完全だと言う意識があるし、言っても伝わらないし意味が無いと思っている節もある
l 結果だけ見せて驚かれるのが一番美しいと思っていた。でもこれはオーディションをしてもらうチャンスがないとだめ。
l 面接に強いタイプだと思ってる。でも試験を受けるチャンスがない。
l 心理学科に行こうと思って人間科学部の説明会に行ったら「人の心理が分からないから進もうとか思ってる人は辞めた方が良い」と言われてやめた。でもひろゆきは心理学科なんだよなぁ
l 宗教を信じていた。神が必ず見ている、世界は平等だと思っていた。
l 顔が赤くなりやすい。寒いだけで赤くなるのだが東京の人はそんなことないため、誤解される。発達障害に似ているかもしれない。
l Zoomが流行り始めたがzoomが怖い。してること忘れて大変なことをしてしまうのではないかと怖い。小学生の時スカイプをしていてシーンとなった時に通話しているのを忘れて独り言を喋ってしまった事があり、それから音声通話は絶対しないようにしている。
l 兎と亀の話が好きで、自分は亀だと言い聞かせていた。いつか逆転するのだと信じていた。
l 京都の美術館で図録を買わないかとお店の人に言われ、「大人になったら」と言ったらお店の人ががくっとした。「どう見てももう大人だろ!」という意味だったかもしれない。そう言えばいつまでも「大人になったら」って思ってるけど、いつが「大人になった」のか分からない。
l 完全に石丸伸二のような人間だった。社会が間違っていると信じ込み、自分なら世界を変えられると信じていた。
l 女風呂を覗くのが合法な人生だから、犯罪に対するハードルが低いのかもしれない。
l 真面目に生きても怒られるから、嘘をつくようになったのだろう。
l 高校三年の最後の三者面談に父を呼んだ。なぜ父を呼んだのか分からないが、「父のおかしさ」のようなものを先生に見てもらいたかった。それはおかしいから助けてとかそういった意図ではなく、ただ「おかしいけどこれ見てどう思う?」程度のつもり。父は「文系のあなたには分からんでしょうが」と絶好調だった。これからの人生に希望が持てず泣いた。父はどうしても大学に行きたいからだと思ったらしい。先生からは卒業のときに「がんばれよ」と念を押された。
l 僕を発達障害だと名付けたのは法律だがその法律は僕を守ってくれてない。じゃあ法律を守る必要ない?
l てか、「学歴」って信用できなかった。そもそも自分が学歴をまったく信用していない、と言うか小学校の影響で高学歴とか国家の犬とか公務員とか教師とかそういう「権威」に対する嫌悪感があるんだと思う。日本国家が小学生の頃からずっと嫌いだと思う、多分。だから病院も好きじゃない。保険適用で何もしてくれないし。
l 何かの課題(作品のネタ?)で何かのお話を調べなくちゃいけなくて「〇〇の絵本ありますか」って聞いたら「あなた大人でしょ?絵本じゃなくて本を読みなさい」と怒られたけど絵本じゃないと分からない・・・あ、アーサー王伝説・・・だったかな
l 会社名も決めてたのに仲間が集まらなかった 女だからうまく動けない
l 現実がわからないから自分の限界もわからない。機械だと勘違いする
l もしかしてやりたいことを強くアピールすることが苦手かもしれない。コミュニケーションを取る事で相手の意志を変えるということが想像できない気がする。そもそも相手に意思がある事をうまく想像できていないのだと思う。だから結論だけを受け取って変更しようとしない。
l アメリカに憧れていた。出る杭を打たない、個性を尊重する、忖度しない、思った事を伝えてもいい、空気を読まなくていい、そんな世界でなら生きていけるのではないかと思っていた。しかしオーストラリアにホームステイをした時、外国でもお世辞や思いやりなど相手の裏を読む必要はあると分かり、そのうえ言語能力が下がって余計コミュニケーションができないと分かり外国への憧れはなくなった。
l 「コミュニケーションができる」はひとつの能力でしかないと思っていた。それができないと障害者!?マジか…「コミュニケーションしか能がない人間」をバカにしていた。
l 寝食を忘れる。忘れると言うかデビューするまで寝たらいけない
l 親の庇護が無くなったらどうやって生きていくのか自分でも想像できなかった。なんとか誰かの脛をかじって暮らせないかずっと考えていた。
l 藤子F不二夫は藤子A不二夫がいたからやっていけたのだ。それを知らずに藤子F不二夫のようになりたいと思っていた。
l ゴミをゴミ箱に捨てられない。後から集めて捨てるできない事を隠す事よ底辺声が出来ない一連の連続性を替えられないゴールを覚えると途中まで頭回らない目的を覚えていると途中の必要な行動まで頭が回らない。思考の構築が出来ない、組み立てができない行動に置き換えられない家庭を考えられない無しの切り方が分からない料理の工程が無理
l 手塚治虫のように医学部に行くことも考えたが親にとめられた
l 生きるのに必ず必要な家政科に行こうかと悩んだが、漫画のネタを選んでしまった。稼いで家政婦を雇えばいいと思ってしまった。あれが人生最大のミスだ……漫画と自炊を両立できるわけないだろ……もっとサバイバルの知識とかを学ぶ大学に行けばよかった。
l そもそも就職が出来ないのに学歴を追いかけても意味ない。トランスジェンダーのこともあったし
l 鉄パイプで作られた前衛的な建物かなにかの講義で教授に当てられて「この建築をどう思うか」と聞かれ「建物だなーと思います」と答えた。「もっと日本語を勉強した方が良い」と怒られた。
l 発達障害というか、自分の頭で考えられる知能の高い人間だから空気なんか読まず流されずに行動できるし自分の人生は自分で手繰り寄せるという感じだった。空気を読むことを心底軽蔑していたし自分の利益しか考えない保守的で利己的で世界の改善を邪魔する害悪だと思ってた。空気読む必要皆無だと思ってた。嘘をついたり隠したりすると後から困る、ってことがなぜ分からない?なぜ嘘をつくのか全く分からない。友達なくすぞ。と思ってたのに友達なくしたのは僕の方だった。
l 発想力という才能がある。ペンで食べていくんだと覚悟をきめた。
l 担任にアカデミックだと言われる
発達障害覚え書き【大学以降】
l 大学に合格したは良いが、これから性転換をして、漫画家になって食べて行けるのかと不安だった。綱渡りをするような感覚だった。デビューするまでは一瞬も休んではいけないと思った。
l 寝ている間に世界に置いて行かれるような気がして怖くて眠れない
l 頭の回転?がよすぎるわりにデリカシーがないということなのか?単純に考えすぎているからなのか?他人の考えていることがわからないからよくわからない…みんなは考えても言わないだけなのか?言わないと何も伝わらないのに・・・
l スキャンするのがめんどくさいからいりさわににっきスキャンせずおくったADHDでとにかく見てもらいたい一心みたいな今日中に送りたいみたいな
l 思ったことを話さないと気が済まないって言うのは結局、私は思った事を忘れてしまうのであなたが管理して下さい!って意味なんじゃないか?思考とアイデンティティを管理して欲しい。
l 小瀧にUSB自分で出来ないから合作みたいな 他人のものでもできると思った自分が出来るから いわゆる「イタコ漫画家」みたいなのが得意だ。普通に売れるものを合作するのはありだと思ってた
l 「漫画家が言われたくない言葉第一位が『俺の事漫画にしてよ』」らしいが僕だったら嬉しくて毎日日記書いてもらうし質問攻めにするし「ストーカー?」って言われたことある「ま、ストーカーはやめろw」と言われたがストーカー?資産は分け合えば良いじゃん貸し借りするもんなんだよ
l 京都の街並みを撮っていたら角から急に人が出てきて写真に写ってしまった。どうしたらいいか分からず軽く会釈して再び撮り続けてたら怖いお兄ちゃんが話しかけてきて「今俺の事撮っただろ、消せ」と言われて消した。「いつか刺されるぞ」と脅されたが何故そこまで怒ってるのか分からなかったが後から「もしかして人間を主体に撮ってると思われた?」と気付いた。東京ならこういう時放っておくのに。
l 文系をバカにすると怒る。怒るなら理系をバカにすんのやめろよ発達障害とかいって差別しやがって
l 頭の中にタスクがあるとずっと気になってしまうのでやっつけ仕事をしてしまう。周りは軽んじられていると判断して僕を攻撃する。まあ実際軽んじてると言うか、そこまで僕の手に負えないので。だからすぐにものを捨ててしまう。すぐに「要らない」と判断し捨てて3日後に「捨てなきゃよかった」と後悔する。片付けしないのもしっかり片付けると1時間後にまた取り出すはめになると労力の無駄なので、自分がもうそれを使わないのかどうなのか分からないから放置しておく。
l レポートを裏紙で提出したらすごく怒られた。高校の時は環境の為に全部裏紙でやれと言われていたのでびっくりした。
l 辛いのを改善するには殺害するしかないのになぜ殺害すると罪になるのかわからない
l 母親がやってたからできないだけだと思ってたのに障害者だと言われてやる気削がれたしそんなふうに言うならもうやらんわ
l みんなは「お前は普通だ」と言っておいてふつうにすると罵って来るの、かってだよなあ
l 頑張っても出来ないから頑張らなくて出来ない奴が一番嫌いだし頑張ってないと思われる事が一番むかつくのか?
l 創作のネタが欲しくて心理学科の友達に「ノート貸して欲しい」と言ったら断られたので「今度取りに行くね」と言ったらめちゃくちゃ怒られたし「幾ら払えばいい?」って言ったらお金の問題じゃないってすげー怒られて何がいけないのか全く分からなかった。京都の人ってやって欲しくても一回断るって言うし僕だったらノート貸してとか言われたら必要とされてることが嬉しすぎて仕方ないし努力が認められたみたいだし財産を友達同士で共有するのは当たり前だしそのうえお金ももらえて僕だったら貸さない手はないしなんなら払ってでも見て欲しいし見てくれなくて苦しいのになんで・・・?って思った
l 発達障害といわれて社会や地球のすべてから拒絶されてごみ扱いされて、生まれてきた意味も否定されて、全部お前の価値観はごみなんだと言われて、生きる気力がなくなった自信もやる気も全部なくなって生きるのをやめろと言われたような気がした
l クラウドソーシングの利益が5000円くらいあったのに振込先口座を指定するの忘れて消えた
l 理系と文系は対等な関係だと思っていた。なのになぜ僕ばかり差別され迫害されなければならない?文系など感情任せで空気しか読めないゴミのくせにと怒り狂った。文系を選択した同級生全員に恨みのメールを送ったら急にみんな敬語になって返事が来なくなった。なんで俺ばかりが嫌われる?なんで分からない?なぜ協力し合わない?なぜ必要としてくれないのだ?なぜ助けてくれないのだ?
l 数学と美術が好きだから「科学と芸術の融合」がスローガンの京都工芸繊維大学なら肌に合うかもと期待してたのに全然融合してなかった。僕の好きな芸術はたぶん風刺やプロパガンダやエンタメであって、それが科学と芸術の融合であって、僕は本当の芸術には微塵も興味がないなとやっぱり思った。そもそも自分の夢は「子供に夢を与える事」であってそれはエンタメ以外の何物でもなくて、大学で芸術を学ぶ意義が全く見出せなかった。自分の感性の為に漫画を描くんじゃない、僕僕の心を救いたくて漫画を描いてるだけなんだ。だから結局、向上心がない。
l 「なんで笑うの?」が口癖になっているようで、友達に「なんで笑うの?」と返したらスンと笑わなくなった。なんで笑うのかを教えて欲しいだけで笑うなとは言ってないのに・・・
l 入学してすぐ近くのメンタクルリニックに行った。まだジェンダー専門外来がある事も知らなかったが何て言ったかと言うと受診情報提供書によると「一人暮らしも始めた事だしこれからお世話になる事もあるかと思って」と言ったらしい。「そんな理由で来る人初めてだ」と言われたのだが自分としては・・・かかりつけの精神科を持つのは当たり前だと思ってたし・・・まあ、ずっと来たかったと言うか・・・まあ何かしらの精神疾患のようなものがあることは分かっていた、トランスジェンダーだけじゃなく・・・・孤独だったし友達も作りにくかった、寂しさとか苦しさとか孤独感みたいなのがあるのは普通じゃないなという感覚はあったんだと思う。メンタルのケアはして欲しかったという事なのかもしれない
l 「自分が無い感じ」がよくする。頭の中にいろんなキャラがいて、いろんなことを言って、それで終わっているような感じ。ずっと漫画ばかりで、僕の人生と言うものが無い。友達に「自分の経験を漫画にしたら良いんじゃないか」なんて言われたけどそれじゃ漫画家漫画しか描けない。自分の経験とか、意思とか、なんにもない。ただ紙の上に何かを描くだけの生き物。今思うとトランスジェンダーや発達障害から逃げていたと言うか、そもそも現実に居場所が無いから僕の作った者たちに居場所があればそれで良かった。べつにそれでぜんぜんよかった。この世に居場所なんて無くても良かった。
l 別に性別適合なんかできなくても、仕事さえ見つかれば良いと思ってた。でもどんどん眠れなくなって頭が働かなくなってペンが持てなくなって心臓が苦しくなって漫画どころじゃなくなった。食べてなかったせいだと思う。あとは女だから。
l 思った事を数秒後にはすっかり忘れる。「蝶のように飛んでいく」と言う人がいたが本当に蝶が飛んでいくみたいに忘れていく。とまっている瞬間を狙って捕まえなければならない、つまりメモを常に書いていなければいけないのでずっと気が抜けない
l 「本性」と言う言葉の意味がいまいち分からなかった。本性以外に存在しないから・・・
l 小瀧に「ポアロっていつも事件起きるのおかしいよね」と言われてショックを受けた。確かにミステリー作品は行く先々で殺人が起こるのはおかしいのだが(今思えばポワロもコナンもコメディなのだが、それは置いといて)それを当たり前だと思って受け入れていた。水戸黄門もポケモンもそうだ。そういうお家芸的な展開があってそれを受け入れる、そういう「答えの決まっている作り物」の世界が好きだ。父も水戸黄門を繰り返し観ていた。ドラえもんを何千回も繰り返し観ていた。繰り返されるものが好き。作られたものが好き。フィクションをフィクションとして見るのが好き。でも他の人はそうではないんだ、作り手と受け取り手の「お便り」の道具としてしか僕らはフィクションを捉えていない。そもそもフィクションを「現実のもの」と捉えていないんだ。だから整合性を気にする事はない。嘘をつくつもりがない。嘘ではなく、作り物であり、作り手と読み手のお遊びだ。でも僕はそもそも現実を現実として捉えていない。現実には興味がなく、言葉の全てがフィクションであり、生きる意味がフィクションだ。作り手という「人間」にしか興味がなく、確かに、その作品、その世界を「まとも」に考えるという脳が足りない気がする。だから、情熱もない。そうか自分は創作を現実だと捉えていないんだと気付いた。そんな自分に創作をする資格はないのだと。
l 他人が、アイデンティティで人を選ぶようになったのはいつからなんだろう。幼稚園の頃は2人で話し合って友達をやっていたはず。「友達は大事にしろ」と教わってるはずなのになぜみんな僕を友達から除外するのだろう
l もし発達障害じゃなかったら精神科医の誤診で10年潰されたことになる。発達障害と言うだけで落とされたすべての就活に受かった可能性がある。
l 金が足りるか心配で買えなくなる
l 金を浪費するのが怖くて持ち歩けない
l 空気を読むって顔色を伺って卑しく生きるって意味よな
l パースが分からなくて背景が描けなかった
l 嘘の多い日本はお金や自己犠牲を強いる文化があるんだけど、僕はいつも自己犠牲してるからいざというときにそれを求められると潰れるんだと思った
l ネットサーフィンで時間を溶かさないように大学在学中はネットを契約しなかった。ネットやりたいときはいちいち大学に行ってた。寒くてクモの巣だらけのpcルーム…夜中にノートpc持って行って繋いだり…
l かばんに穴が空いてるのを平気で使っていたらそこからプリントが落ちてなくした
l 寝る時間を作らず執筆と大学の課題と絵の勉強と日記と映画と漫画を読む
l 毎日漫画を一冊読むと決めてレンタル漫画店で立ち読みした
l いつご飯食べてたのか…いや、食べてなかったな
l いりさわに日記を送ったがスキャンしてなくて返送が来た覚えもないし…問い合わせても知らないと言われもうこの世にない
l 漫画家になれるか不安でずっとネタを描いていて寝れなかった
l 片付けないと親が言うが片付けようと思ったときには片付けられているだけだ。片付けモードにしないといけないので、それは時刻でシフトするので、そのときになるまで片付けられないと言うか片付けない
l 発達障害は偏差値高いと思う
l 助けを求めるのが苦手なのは性格もあるが自分の状況をうまく説明できないからだ・・・
l 発達障害って言えば無駄にいじめられないし人間と対応しなくていいしらくなんだよな、
l 美醜の感覚が鈍い。嫌悪感に耐性がある。綺麗な人を綺麗だと感じることはできるのになぜなんだろう
l 人間には得意と不得意があるのは当たり前だと思っていた。どれもそこそこ無難に平均的な弥生人の単一民族だけが健常者で、あとはみんな発達障害だとは思わなかった。アイヌの僕らは無条件で発達障害なのだ。
l 烏山に入院する時「自分は何でもできるという感覚はありますか」と聞かれて「そりゃ人間努力すれは出来るでしょ」と思ったが肯定しなくてよかった、あれは躁鬱診断の罠だったのか。。精神科の質問は罠が多すぎる。。うっかり肯定すると診断が下りて薬飲まされる。怖い。。ただ全能感、万能感のようなものは人よりある気がする。「できるまでやれば、できるでしょ」と思っているふしがある。まあ、「体を壊す」という概念が無かったからだが。確かにそういう未熟な精神性はあると思う、それが発達障害から来てる現実検討力のなさなのかは知らないけど
l 節約とか無理。やりくりではなくがまんになってしまうそれで我慢して飢餓が続いた結果……だと思う
l 買い物を忘れて帰ってくることが多い。夜中にお腹が空き過ぎて辛いことが何日もあった。食べるのがめんどくさくて食べなかった。土日は食堂がやってないので食べずに一日歩いたりしていた。「ガマン」が自分にできる唯一の努力だという感覚があった
l 就活しても発達障害と言うと「発達障害の方は電話対応業務などがあるので採用できません」と言われて断られたり「定員になりました」と言われたので別名で発達障害隠して応募したら面接に進んだりした(その事を労働局に言ったら「それは罪にならない」と言われた)。はらわたが煮えくり返る感覚
l 老人ホームについて調べるというレポートの課題が出て取材して提出したら「取材に行ったのは君だけだよ」と言われて褒められたのだが、そこで褒めるから発達障害だと気付かれないんだよなぁ……本が読めないから取材に行ってるだけなんだよなぁ……なんかずっとそうやって褒められてきた気がする。教師ってちょっと変わってると褒めるクセでもあるのかな。ズルができないほどバカだと言うだけなのに……だから勉強も頑張るしかなかった……と言うか泥臭い事をすると褒められると言う認識があった。だから努力さえすれば褒められる、認められるに違いないとずっと思っていたかもしれない、結果などどうでも良くて。
l 一年中人と全く喋らないで寂しくないの?と言われたが寂しいと思ったことはない。生きている人間は自分を貶める害悪だという認識しかないからだ。そのためにイマジナリーフレンドが50人もいるのだし、全く寂しくない、むしろ忙しすぎて大変だ。
l 父さんに発達障害と診断されたといったら「頭よすぎ病」といってた
l 発達障害とは単なる価値観の違いなので障害ではない、という気持ちが半分ある。てかasdは障害か?adhdは障害だけど
l 自分の頭で考えず他人に流されることを「空気を読む」だと思ってたが実際は「自分だけが得するために分かってても何も言わず放置しておく」ことだったし、そうだとしても空気は読みたくない。そんなのはただの甘えだ。責任逃れするやつがこの世で一番嫌いだった。これを精神医学では「現実検討力が無い」と言うらしい。
l 発達障害と言われた時点ではまだ友達いたんだよ?発達障害と診断されたと伝えたり腹が立って憎んだりしてたら友達いなくなった診断された時僕は困ってなかったのに・・・
l 大学行かなくなったのもそもそも行きたいけどいけないと言うより漫画家になるのに忙しくて行く余裕がないって感じで別に友達作れなくて居場所がなくて行きづらいとかでもないし
l 自分の製図机の上が荷物置き場にされていた。
l 冷蔵庫を教室で買うからって300円請求されたけど使うつもりないし関西人のノリ凄いな、そして払わなかった
l 「お礼にご飯奢ります」というせりふ、なんでお礼されるのに他人とご飯食べなきゃいけないんだ?っていつも思う。他の人が何に喜ぶのか、自分に置き換えて考えられないからどうすれば相手が喜ぶのかも分からない
l 何社か漫画賞に応募したけど当然受からなかった。だってストーリーが支離滅裂だし。考えるのも書くのも遅すぎて仕事にならない。要領も悪すぎる。
l 「情報の取捨選択」ができなくなっていると感じた。元々出来ないほうだったが、何が必要で何が不要なのかがどんどん分からなくなっていき、何が正しいのかも分からなくなった。その結果、目についたものを全て取り込むようになり、自分自身か支離滅裂になっていく感じがした。書く漫画も支離滅裂で、自分の中になんの軸もないと感じていた。
l 別に大学を卒業する気が全くなかったわけではないが、とにかく大学を卒業するまでにデビューしないと生きていけないから焦っていた。最終的には父が辞めさせた。
l 「もっと具体的な指示が欲しい」ってよく言われる。僕としては他人を機械みたいに扱いたくないから相手の自由を尊重してコラボする感覚なのに周りはなんの熱もなく僕を無視するだけで、寂しい。やる気がないというか、好かれてないってことなのだろうか。僕が周りに伝える「楽しさ」の1%も返ってこない気がする
l 茂木健一郎かなんかが精神科医と対談する記事があって「謝れるなら大丈夫」って精神科医が言ってて「は????????」となった。人より何億倍も謝らなきゃいけない人生なのに「大丈夫です」って何?????発達障害にも感情はあるんだぞ。謝るたびに神経がすり減っていく感覚、マジでわかんないの??????精神科医マジで頭おかしいんじゃないの??????
l あんな生活をしたら死ぬとわからなかったのか、「死ぬかデビューするかの二択しかない」と思ったのか、後からカバーできると思ったのか。いろんな漫画読んでてもみんな寝ずに漫画かいてるしみかんばこのうえでカップラーメンだけ食べて漫画かいてるし、そういうことをしないとデビューできないんだと思ってた。努力すればデビューできると言うか、努力とか自分を犠牲にする姿勢を見せることで神様がそれて見て幸せにしてくれるんだと思ってた、若さのお賽銭みたいな感覚だったかも。神様僕の労力も時間もお金も全てあげますからお願いですから漫画家にしてください、努力を認めてください…それか死なせてください、ああそうだ、「これだけ努力したんだからプロになれない訳がない」と思ったんだ。プロになれないならなれるまで努力すればなれるだろうと思ったんだ。他人より努力してそれが報われないなんてことは有り得ないと思っていた。世の中は支払った分が返ってくる仕組みになっていると信じていた。
l 漫研で漫画を描かないかと誘われて「必要ならやります」と答えたら「主体性が無いならいい」と断られたのがショックだった。そんなこと言ったら・・・・・・何もできなくなる・・・・・と思ってびっくりした。京都の人は自主的に行動しないといけないのか・・・とカルチャーショックだった
l 全ての事に赤信号や青信号やルールやマニュアルがあればいいのにと思っていたし、それのない社会は未熟だと思っていたしそれを作ることに意義を感じていたけど需要があるのは自分だけだったと気付かなかった
l 家事好きなのに家事が苦手。本当は朝起きてから寝るまで家事だけしていたい。片付けとか掃除とか好き、捨てるの好き
l どっかの就労移行に問い合わせたときに「まずはコンビニとかでアルバイトしてみたらどうですか」って言われたんだけど発達障害がコンビニでバイトできるわけないしこの人頭おかしいなと思った
l 父と話しているときのイライラするかんじと話の通じなさが僕の周りでも起こっているのかな。やはり相手の事情を想像できないのはある。でも事情をなるべく知りたいと思うからずけずけ聞いてまた怒らせるしどうすればいいん?
l あー、思い出した。役者になりたかった。養成所まで行ったんだった。何になる必要もないのに何でもできるのが気楽な仕事だと思った。なりたいものがない人間にぴったりだと。実際ぴったりかもしれないけど母親に猛反対されたのと、監督の言う事素直に聞ける性格じゃないのとこだわっちゃうのとアドリブとかが絶対出来ないからあきらめた。でも舞台とか演劇とかそういう世界にいたかった。大学出たら東映の撮影所に就職したかったなー。ADなんかも体力が合ったらなりたかった。てか映像監督になりたかった~。。
l 発達障害だと分かった瞬間、緊張の糸が切れたように頑張れなくなった。
l 自分が信じていた善悪だとか、優劣だとか、そういったものが全部ひっくり返る感覚があった。自分が正しい事を証明してやりたかったが、体調も悪くなり、自惚れ切れなかった。
l 食堂の食器の返却のベルトコンベアにお盆を置くのにもたついていつも後ろの人に押される
l 自分の人生がぜんぶ無駄になって消えたのがすごく悔しい。発達障害が努力しても無意味だって早く教えて欲しかった
l 誰かの何かっていう作品が死のギリギリまで執筆が続けられたライフワークのような作品だと聞いて(連載ではなく書き直し続けられた)憧れた。
l 自分の考えた漫画の登場人物や設定を忘れてしまう。だから話がまとまらない。読み返そうにも文字を読むのが苦手で読めないし・・・
l オシャレというものが気持ち悪くて出来ない。自分を良く見せたいという利己的な欲望丸出しで気味が悪いと思う。なぜそんなことを平気で出来るのか理解できない。嘘を付いて繕って疲れるだけじゃないか。人生の無駄でしかない。
l 僕のしてあげたいことと誰かのして欲しいことが合致してほしい、それがまだ僕の人生で一度も起きてない。まだ生まれてこのかた一度も「何かをしてあげて喜んでもらえた」経験がない。だからゲームが好きなんだ そもそも相手を愛してないんだろうな、そもそもな
l いくらアイディア力があってもメモしないと忘れるしメモしたものを管理できないから無意味なんだよな
l 他人がまずいまずいと言う食べ物でもそうでもないなと思って食べるから味覚が鈍いのか、嫌悪感感覚みたいなのがにぶいのか。美味しいものは美味しいと思うがよっぽどまずくない時は食べる(発がん性や病原菌が無ければだいたいのものはOK)なんか病気の時とか災害の時とか有利だなくらいには思っているが、美味しくしようと言う工夫がない。本当は工夫したいんだけど知能が無いから諦めてるだけかも
l よく分からなくても怒られるのが怖くて質問できないときがある。だから新人とか初心者と言う立場にいると安心する、専門職を極めたくないのはそのせいかもしれない
l こだわりが強すぎて終わらない。眠れない。苦しい。どこで終わらせればいいか分からない。自分にはセンスも才能もない。何が正解か分からない。終わりがない。
l 言葉や文字に対する感受性が強い気がする。言語IQは80なのに。本を読むのが嫌いなのは本に飲み込まれるからで、数日は何も手につかなくなる。
l 買い物が苦手だと感じた。自分がこれからどうなるのか、何が必要になるのかを想像するのが苦手で、「お腹が空いてからしか食べ物を求められない」、お腹が空く前に動くことが出来ない、段取りが出来ない。料理に必要なものが何かを考えて用意することが出来ないと感じた。スーパーが徒歩10分の遠い所だったので、ほとんど何も食べないで空腹を我慢して過ごしていた。あの頃に戻れるのなら絶対にもっと食べておくのに……。
l ずれたキーボードで打ってるみたいな感覚。こっちは一生懸命打ち込んでるのに相手に何一つ伝わらない感じ。
l 「かさ」を想像するのが苦手で、必要な量をイメージできない。その3~4倍の量を用意してしまうか、或いは1/3の量くらいしか用意できない。足りないと思っていると足りるし、足りると思っていると全然足りない。足りなかったらどうしようという不安もあるのかもしれない。だから買い物がものすごく苦手で、家計簿のようなものもつけたことがない。炊飯器のお米を炊く量とかも全然分からない。ちゃんと記録して過去のデータを出せばわかる。そういう行為をしないと塩梅が分からない。
l 漫画家になるにしても一人ではなれない。編集者に短期記憶をサポートして貰わないとできない。でもその編集者と出会うことができなかったということなのかな。
l 親にめしずっと作ってもらってたから独り暮らし失敗しただけで発達障害なんかじゃねぇ~と思いたい自分がいる
l 大学生になって、4月7日から毎日1本映画を見て1冊漫画を読むと決めた。大学と平行してやったら睡眠時感が30分とかになった。でも、一度決めたからやめなかった。3年くらい続けてさすがにもう死ぬと思ってやめたけどその頃には体はもうボロボロになっていた。誰にも強制されてないのにやめられなくて苦しくて誰かに止めて欲しいということは多い。歩く度に写真を撮らなければならなかった。
l 助け合うのって当たり前だと思ってた。目の見えない人が駅のホームとかにいると「ドアこっちですよ」とか言ったりしてたしそういうのが当たり前だと思ってて、障害者の側になって1人も助けてくれないってことにびっくりした。
l アニメは情報量が多すぎる。小説は読めないし無駄な情報が多すぎる。漫画だと嫌になったらすぐやめればいいし、色も声も音楽もないし落ち着くし一番合ってる
l いい大学に行けば友達ができるんじゃないかって期待してたんだけど結局できなかった
l Amazonなどで人々が自由にレビューやコメントを書ける時代になり、他の人はこんなに色んな感想を持って作品を享受しているのかと驚いた。二次創作も理解できなかった。自分は作品をただ額面通りに純粋に受け取るだけで満足していただけで、そんな人間が作り手になるのは無謀じゃないかと思った。きっと寄せられる感想に飲み込まれて負ける。漫画を描くと言う「仕事」は自分の孤独を埋めるためにあるのではないんだな、他人のエサになると言う事なんだなと気付いた。
l 「悪意」を勘繰られるのはこの顔のせいなのだろうか。一生懸命伝えても、なぜか嘘をついていることになる。それで嫌われて余計おどおどして、余計勘繰られる。親に隠すなんて言ってないし精神科に隠すとも言ってないのになんで隠す話になるのか分からない。僕が善意すぎるのかもと思うことはよくある。この顔にしては正直すぎるから頭おかしい奴と思われるのか?
l 未来のイメージはできるがそこに至るまでのフローをすっとばしてる。だからゆっくりやらないと段取りできない。母は逆に次のステップだけを考えて目標を見てない。だから段取りできない。
l 一人暮らし始めたときようやく好きなもの自炊できると思ってたら父親が勝手に食堂のプリペイド買うしアパートも全部いつのまにか契約してるし内覧に連れてってもくれなかった僕の住みたい家、理想の生活のイメージとかが全部父が決めてしまうからできなくてやる気なくなった ももこころの診療所でタブレット買ってもらえて甘やかされてるとか言われて腹立ったなあ、自分がねだったわけじゃないのに。なんか昔から父に無理やり与えられたりするのを他人から罵られて、それで捨てたりわざと隠したり頑張りすぎたりする。そのくせ本当に欲しいものは買ってくれないんだよなあ
l あんなに頑張らなきゃよかった。必死に発達障害を隠して誤魔化して、今発達障害を信じてもらえないし嫉妬されるし誤解されるし、頑張ってろくなことない。素直に頑張る必要なんかなかったのに、みんなにからかわれてたのか?いじめた罪悪感でみんな返信しなくなるのか?
l 大学の講義にちょっと出てきた「ゲーム理論」に興味が沸いたので教授に詳しく聞きに行ったら「テレビゲームじゃないですよ」と言われて「はぁぁぁああああ??????」となった。テレビゲームな訳ないだろそもそもその時代にテレビゲームないだろ、なんでそんなにバカにすんの??????意味が分からなくて講義出られなくなったし、結局大学辞めた理由もそういうところがでかい。なんか・・・バカにされるのがすごく苦痛という障害がある。
l 突然電話がなると頭がパニックになるので携帯電話を持たない。視覚的な連絡ならOKなので音に敏感なのだと思う。
l 思い返すと僕の周りは発達障害しかいなかった気がする。発達障害の診断進むと社会の60%くらい発達障害になるのでは?
l 障害隠して誤魔化して嘘とハッタリで騙し騙し孤独に生きればそれで良かったのに精神科なんか行ってしまったから社会に強制参加させられて苦しんでいる
l 「好きなもの」に乏しい。これが好きなんだ、これが私の意見、気持ちなんだ、みたいなものがない。空気を読んでいるのではなくて、意見がない。シャイなのではなくて分からない。考えても霧散する感じ。ふわふわとしていてまとまらないし、考えていた事は忘れる。
l みんなが返信をくれない理由が分からない。
l 織田信長のシナリオを読んでもらって「これBLなの?」と聞かれて「BLって腐女子が好きなやつ?」って答えたら返信がなくなった
l 自分の事を「理系脳」だと思ってた。人には得意不得意があって当たり前で、それらが協力し合って生きるものだと思ってた。だから文系のことはリスペクトしつつバカにしている感じ。「これだから文系はw」とメールしたら返信がなくなった。僕の方がリスペクトされていない・・・?
l レポートが書けないので友達に書いてほしいと言ったら怒られたので単位を落とした。協力して生きていくのが当たり前という感覚があった
l セックス=隠す事、悪い事という意識が分からず、お酒と同じようなもので18歳になったら普通にするものだしそういう話もしていいのだと思っていたし、今でもなんでお酒の話は20歳になったら普通にみんなするのにセックスの話がダメなのか分からない。同じようになぜ食欲、睡眠欲の話は普通にするし人前で食事しても誰も「恥ずかしい」と思わないのに人前でセックスするのは恥ずかしいという感覚なのかがいまいち分からない。手塚治虫も言ってたし…僕は人前で食事をする事が恥ずかしすぎて恥ずかしすぎてできない。人前で口を開けるのも恥ずかしいし…だから学食で3食食べるなんて普通に無理で恥ずかしくて食事を抜いていた。今は少し慣れたけど…当然人前で寝るなんて絶対に無理だ。
l ネットで知り合った人に絵を描いてもらってどうですかと聞かれたので「あ、いいですね」と送ったら返事がなくなった
l 「助け合い」ではなく僕が一方的に助けられて他人を助けることが出来なかったから捨てられたのかな
l 莉央さんの考えていることが分からない。家に泊まりたいとか何時まででも遊べるとかバレンタインチョコをくれたりとかする意味が分からない。
l 小瀧に「お前も発達障害だろ」ってメールしたら返信がなくなった
l 「どうかしてる」と言われる
l トイレットペーパーは買わない・使わない。大学の備品を盗むこともあったかも。家にいる時は大を我慢すればいい。
l 電車で隣の席の人が「次降りるよ」って会話をしてると自分も降りると勘違いしてしまう。自分のすべきことを忘れてしまう。
l 晴和病院での聞き取りで「全然気付きませんでした」と母に言われ傷つく。
l 癇癪でタブレットを叩き割る
l 漫画家ってもっとひどい生き物だと思ってた。人間の最底辺の社会不適合者が奴隷みたいに働いてるモンだと思ってた。でも今時の漫画家はオシャレなデザイナーズマンションとかに住んでてなんか俺の目指してた世界と違う。俺みたいな最底辺を受け入れてくれるところだと思って目指していたのに。
l 返事を書かないという発想がない。いまだに返事がない時の意味が分からない。失礼以外の何物でもないのか、相手の為に返事をしないのかよく分からない。返信を書くのと書かないのの違いが分からない。「あ、はい、いいですね」って返事を書いて返事が来なくなる。
l 「みんなが返事をしてくれないのはきっと僕の事を誤解してるからだ!だから僕の事を正しく知ってもらえればきっとみんなも笑って応えてくれるんだ!」そう信じて何度もメールを送ったけど、返事が来ることは一度もなかった。そして気付いた、誤解されている訳じゃないんだ。ただ、嫌われているだけなんだ、相手にされてないだけなんだと。どんなに話し掛けてもなんの反応もない寂しさ。どれだけ僕が正しく伝えても、僕を受け入れてくれる場所なんてどこにもないんだと気が付いた。生きていても居場所なんかないんだとはっきり分かった。
l 「全ての人に好かれないと、やる意味がない」と思ってるふしがある。何かをして誰かに否定されるともうやる気がなくなってしまう。全部の人間に対応できる「真理」でないとダメだ。それは正解の行動ではないと感じて興味を失ってしまう。
l 誕生日に何をあげたら良いか分からないからあげられない
l お前は発達障害だと喧嘩を売られたから買っている。なら税金ぶん取ってやる。
l 京都の華道教室のアルバイトで「あなたもやってみなさい」と言われたが全く分からずただぶっ刺したら怒られもせず「心配してたけど大丈夫そうね」と言われた。どういう意味?
l 精神科医に相談しても嘘つき扱いされるのではないかと怖い。実際烏山で「なんでそんなこと言うんですか」ってめちゃくちゃ聞かれたし(頭悪いこと信じてもらえてない)
l 「女子の裸を見てはいけない」と言う教えを頑なに守っているから動揺する。そもそも女子に動揺する。
l 1度に1回のことしかできない。昼飯を買いに買い物に行く。帰ってきて、お腹が空くまで何もしない。お腹が空いて困る。なにもない。夜飯を買いに行く。帰って来る。
l 突っ込みが端的過ぎる
l 場当たり的
l 国分寺にグループホームがないのでてっきりグループホームってこの世にないんだと思ってた
l トイレットペーパーとかは買い忘れるので使わない。皿は風呂でいっしょに洗う。
l 頭おかしいよとか言われることが増えた。てかもう何もかもどうでもよかった。
l 発達障害は遺伝的なものなのに、親の発達障害を想定してない病院多すぎないか?
l パニックになる、理解できないことが重なるとどうしてもぐるぐる回りたくなる
l 日本社会が悪いことに気づけなかった。発達障害と気づいてもらえなかった。発達障害と診断してもらえなかった。いつだって僕の人生がうまくいかないのは日本社会の制度が整っていないからだなと今振り返ればわかる。また日本社会制度の世話になるのはまずいんじゃないか。殺されるんじゃないか。
l タブレットを床に叩きつけて壊したり
l 自分としては卒業するつもりはあったのに父がもうだめだと言った。休学したいと言ったときもだめだと言った。専門学校に行きたくないと言ったのに行けと言われて行ったけど体調悪すぎてまた辞めた。
l 森井先生に「幻聴とかありますか?」で鐘の音とか聞こえると言ってしまった。たまに空耳っていうか一定の周波数が別の声とかに聞こえることあるよね?父さんもよく冗談半分に「幽霊がいる」とか言うし、発達障害は幻覚見ないからこその発達障害ジョークだなと後から思った。幽霊とか妄想とか「あるわけない」前提で、「ある」という悪ふざけをする。
l 無視されると何が問題なのかまるでわらない。ばかにされてってこと?
l 暇が嫌で、暇潰しに辛い思いをしていた気がする。「たくさん支払えば、たくさん返ってくる」と思い、「欲しいから払っていた」と言う面があったと思う。余裕があると、将来がダメになるかもしれないという不安があった。
l 手塚治虫に共感していた。「もしかして僕は手塚治虫の生まれ変わりじゃないか?」と思った。もし本当に手塚治虫の生まれ変わりならお前はとっくに漫画家になってるだろとその頃の僕に言いたい。
l 「ココナラ」は他のサービスへの誘導について厳しいのだがそのことを知らず(忘れて)誘導してBANされた。自転車をうっかり従業員用のとこに停めて撤去されたり思った事を書いて誹謗中傷で告訴すると脅されたりなどなどなどなど
l 清和病院の発達障害の検査で本人への聞き取りが全くなくてびっくりした。母親が気付かなかったら発達障害じゃない事になってしまう……。
l 『ガラスの仮面』に北島マヤという子がいるが彼女の「憑依型演技」と言うのに共感した。自我が乏しく自分を忘れ、場に流されやすいため、その場に没入してしまい後から混乱することがある。役目を望まれると「空気を読んで」その役目を担当してしまうふしがあった。しかし後からこれが「空気を読む」と言う事ではないと知る。例えば喧嘩を売られたら買う、イジられればボケるといったような感じで、相手が求める「キャラ」を担当しがち。だから「性自認」と言う物も心の奥深くにしまわれていた。女だと言われ女のふりをする事を真っ向から拒否せず、流されてオカマっぽく振る舞う事自体は許容できる。そういう面でグレーと言うか、「自分」を強く出して生きる人間では元々ない。だから人との交流を絶って「役を下ろして」10年自分を見つめて、初めてやっぱりトランスジェンダーだと確信した。
l 嘘がつけない。男に生まれてても性欲を隠せないし、女に生まれててもバカ正直に喋って仲間外れにされる。たぶん、どっちの性別にも居場所はないんだと思う。
l 集中力が続かないと言うか、情報量が多いと混乱してしまう。「多い」と言うのは3つとか4つのこと。2時間のオーディオドラマの編集に10年かけてしまったのは、一気にやるとどれをやったのか分からなくなったりどうすればいいのか分からなくなったりして上手くできないから。
l やりたい事がありすぎる。医学部に行きたいし音響の専門学校に行きたいし服飾の専門学校に行きたいし物理学科に行きたいし建築学科に行きたいし考古学や哲学も勉強したいし神学部も興味ある。とにかく目に入るものほとんどに興味があり前に進めない。「今勉強しなきゃ後悔する」と強迫的になって、興味がないこともやり続けて鬱っぽくなっていく。自分が何が好きなのかを自覚する力がない。たぶん周りからの評価で価値を決める以外に自分の判断基準が無いからだろう。
l ポアロの話してて「でもあんなに事件起きるわけないよねー」と言われて「ポアロの良さを話したいのになんで前提から否定してくるんだろう?」って分からなくて10年くらい悩んでた、自分がおかしいのか他人がおかしいのか分からなかった
l 父は「頑固」と言うより「執念」と言う方が正しい気がする。学歴に拘って、現実おかまいなしにとにかく敵を蹴散らして、しがみ付いて、それでやっと発達障害をカバーして生きていたのかもしれないと思った。「プロフェッショナルになる」と言えば聞こえは良いのかもしれないが、結局それ以外できないからそればかりしつこく死守していたと言う方が正しいのかなと。
l ももこころの診療所で、詳しくは忘れたが「それはわざとだ」と言われた。何がだったか忘れたができないことを、できる時とできない時に分けていると言ったらわざとだと言われた。よく覚えていないが、外では喋らず家では喋れることについてだったかもしれない。
l あとドアを親に開けて貰ったら怒られた。しかしこれは、何をしても怒られるので一切手を出したくないと言う気持ちがあると思った。
l 晴和病院で「父も発達障害だと思う」と言ったら「お父さん仕事できてますよね」と言われてびっくりした。父は、典型的なASDにしか見えない…。
l 感情がないことは優れている事ではなく「頭が悪く脳の回転が遅く鈍感である」と気付いた。
l メールの返信が一人また一人と途絶えていき、何がいけないのかも分からないし聞けないままどんどん無視されていくのが非常に苦痛だった。
l 梧桐学苑の人に母が色々話したら「京都で何かあったんですかね」と言われ、「この人は分かってくれるかもしれない」と思った。梧桐学苑に入りたかったが母がお金がないからと断った。
l 父親が「大学は絶対出ろ」って言うから大学に行ったけどそれがやっぱり良くなかったと思う。無理をしたわけで。その無理をやめる方法を考える方が大切だったのに、そういうことから全部目を背けてひたすら受験勉強していた。それがもうそもそも人として壊れていた。そうなってしまった理由を考えるべきだったのに。
l いじめてくる相手が分かってきた、ナルシストと頭が良いやつ
l 父の言う通りにしてただけなのに発達障害と言われて驚いた。
l つけもの工場に面接に行って「発達障害」と言った瞬間から目を合わせてもらえず話し掛けられる事もなく帰らされた。
l 一人暮らしをしていた時、父に意見を仰げなくてとてもつらかった。少しでも困った事があった時は父に相談していたがそれがなく、発達障害と診断された事を相談できず、どうすればいいのか分からず心が潰れてしまった。もし父に相談していたら「そんな医者はクズだ」とか言ってくれていたかもしれないが、僕にはそういうふうに考えられる自信がなかった。もっと父に相談すればよかったのだが、結局父に失望された。
l 大学に行けなくなって、休学して体調を整えてなんとか卒業したいと思ったが、まず、卒業しても就職できると思っていなかった。就職してもそこでコミュニケーションが出来ないのだから意味がない。自分は漫画家以外に食べていける職業がないと思っていた。漫画家として一方的な発信をしてそれについて来てくれる人がお金を払ってもらう仕組みでしか生きられないと分かっていた。
l 父は結局休学を許してくれず、退学した。体調が悪く、一人で暮らすのは絶対に無理だと分かった。
l 京都に行ってすぐの頃、銭湯でおばさんに「お背中流しましょうか」と話しかけた。地域の交流をしたりすることに憧れていた。「かまへんけど」を「構わないで」という意味だと思い結局しなかった。人と交流したいという思いは強く、友達が欲しい、受け入れられたい、仲良くしたい、楽しく生きたいという思いが100%だとすると、それを実現できるのは0%である。
l ずる賢い嘘つき達に負けた。愚直に努力しても夢は叶わないと知った。世界に裏切られた。バカと天才は紙一重じゃなく、バカはバカだった。
l 現実世界に居場所がないためマンガしかすることがない。漫画の話をすると「フィクションやないかーい」と言われる事が増え、周りの人は現実の世界を生き始めている事に気付いた。昔のように僕の作品を読んだり一緒に創作してくれる人もいなくなっていき、最終的に一人になった。
l 現実に僕を受け入れる場所がない。
l ディーキャリアの面談で「苦手な人とかいますか?」って聞かれた時に「頭のいい人」と答えたら「俺高卒ですよ」とか言われたがそういう事じゃない。健常者が苦手だという事。
l 買い物ができない。段取りや未来予測ができない。
l 寝ない、ノルマを決めて、それをこなさないと寝れないようにしたら、一日30分しか寝る時間がなく、講義中に寝るなどをしていた。とにかく受験勉強中に出来なかった創作の勉強や創作活動をして、大学卒業までにデビューしなければ生きていけないと思ったから大学は二の次三の次になっていった。
l 自分が嫌いで他人も嫌い。結局全員嫌いなんだ僕の魂は
l yahoo知恵袋で相談しても「恵まれてる」「ワガママ」という答えばかりでかえって傷つく。自分は本当にワガママなのか、じゃあなんでこんなに辛いのかとそればかり考えていた。
l 相談したら悲劇の主人公ぶるなと言われる
l 家を汚したくなくて(掃除できないから)カラオケでかばんの整理をしていたら「警察呼びますよ」と言われた。
l こっちは別に敵意とかなく接するのに向こうが勝手に怒って傷つけてくるんやで そうするとこっちも乱暴になるんやで
l 他人に聞くな自分で考えろと怒るくせに自分で考えると怒るしなんなの
l 服が汚れていてもおかまいなしだったので歯医者に「ペンキ屋さん?」と言われた。せめて「美大生?」って言えよ。
l 小学校の頃は正しく迫害されていた、と感じる。小学校の頃はバカで、無能で、そのことで正しく差別されていた。大人になるにつれそういう差別ではなく、「悪意がある」と思われたり敵意があると思われたりすることが増えた。それは僕がコミュニケーションがうまくできないから相手に喧嘩を売っているようになってしまうからだと思う。それで、こちらは親しくなりたいのに傷つけられるという経験を300回くらい繰り返して、ようやく人と話すのを一切やめる事にした。
l ケチすぎて困る。お店に行っても必要な物を買うことが出来ない。これが一番困っている。お金を失うのが怖い。
l 睡眠を取るのが怖い。そのまま二度と起きなかったらどうしようと不安になり意識がなくなるのが怖い。
l アイヌはうらやましい。守ってもらえて。「アイヌ」と言えば同情される。発達障害は同情されない。自業自得だと言われる。努力しろと言われる。
l 普通の発達障害は発達障害同士で友達ができたりするが僕はGIDのせいで友達がいないので孤独。ASD男子は女性と全く会話した事が無いため僕が話しかけると「女だ」となって避けられてしまう。だから友達を作る為に女でいることが嫌だった。
l 普通に生きると不注意多すぎて無理だから寝不足になる
l 戦時中に戻ってくれないかな、と思う。戦時中とか昭和とか昔が懐かしいと思う。産まれていないのに。そこでならもしかして居場所があるんじゃないかって思う自分がいる。戦争に行って人を殺したい訳じゃないけど……それとも田舎に行けばまだそういう所はあるのか……京都に行ってしこたまいじめられた。僕が思う「日本」に僕の居場所はない。いつもそう。憧れても、参加したくても、はぶられる。
l パターンやルートや道筋をあらかじめ決めておかないとだめだから予想通りの返事が返って来ないと「ん、、、」で会話終わらせる
l 出先で上着を脱げない、運動神経がないから袋を持ったまま歩けない
l 18歳を過ぎたら下ネタを喋って良いのかと思ってたら下ネタ言うと返事なくなる
l 「ダメだね」「見れません」「しない手はない」などを額面通りに受け取り後から訂正され、騙されたと思う事が多い。
l 相手の意見が覆るという発想がない
l ありのままをさらけ出して生きたことがなかったので気付かなかった。自分がどれだけ特殊な人間か、自分でも気付かなかった。
l 声優学校でミキシングの手伝いをする事になった時、「経験ある?」と言われて「専門学校…」と言ったら「ああー」と言われたが、「専門学校に行っていた」ではなく「専門学校のオープンキャンパスで1回触ったことがある」なのに言うのが遅すぎて最後まで言えなかった。言えないまま当日になって、言い出せなくてドタキャンした。
l 自分は障害者には優しくしてきた。目の見えない人がいたら電車のドアの位置を教えてあげたりした。なのに自分が障害者になった時、助けてくれる人は一人もいなかった。
l 自分は大学肌と言うか大学に行きたいと思ってなかった。それは会社員になれる自信がなかったから。かと言って研究員になれるだけの頭の良さもないし「クリエーター」以外に道は有り得ないのに大学に行く意味はないと言うだけで、大学の学問自体は向いていたというか高校の先生に「研究肌」と言われたし研究自体は大好きだし大学というもの自体は合っていると思う。「象牙の塔」に一生引き籠って死ねるならそうしたいが、日本の「大学」でそれができるのかは疑問だ。今思うと日本の大学は本当の意味での「大学」ではないのかもしれない。なんか忖度とかそういうイメージがある。だから大学で働きたいと思わなかった。ただ、クリエーターとして成功して大学の嘱託講師とかになれたらベストだと思ってた。
l 未来予測をするのが苦手だ。とにかく明後日くらいのことを考える事が苦手だ。その日の事で頭がいっぱいになる。
l 誰かに「友達ゼロ人」と言ったら「嘘でしょ?」と言われた。
l 漫画を好きだから書いているという認識がなく、好きだからすると言う感情も分からず、嫌味や皮肉でしか会話が出来なくなった。専門学校の先生に「通学中は何してるの」と聞かれ「仕事…」と答えた。漫画の事をずっと「仕事」だと捉えていた。それでしか食べていく事は出来ないと思っていた。
l 善を悪と取り違えられるから嫌われるし悪になりやすい
l 人はみんな「良い」と「悪い」を判断して動いている気がする。それは善悪言うよりは損得なのだろうけど、そういうふうにすべての物事をふるいにかけられるから生きていけるんだと思う。僕の場合はそれが良いのか悪いのかが分からない。ズボンが汚れているから「悪い」、だから洗濯して「良い」状態にする、いや、ズボンが汚いのが悪い事だって誰が決めた?ズボンが汚い事が良い事かもしれない。〇〇は良いことかもしれない。悪い事って誰が決めた?というふうに、何が良くて何が悪いのかがピンと来ない。
l 発想力も記憶力もない僕の唯一の武器が「論理」しかないと思った。例えば「ドラえもん」は「猫」と「ロボット」に分解される。つまり無機物と有機物のコラボは売れる、などといった「売れる法則」について延々と考えていた。「シナリオの書き方」のような本を読み漁り、受けるドラマの構成を頭に叩き込んだ。法則は才能に勝つと信じていた。
l 生け花教室のバイトで「あなたもやってみなさい」と言われ絶望した。何がどう良いのかさっぱり分からずとにかくぶっ刺すだけにしたら「心配してたけど大丈夫そうね」と言われた。恐らく「オドオドして気弱に見えるが実際は大胆なので心配要らない」と言う見解だったのだろうが、無自覚で大胆なだけなので余計相手の神経を逆撫でして余計オドオドしてしまうのだが…。
l 精神科は、もっと体系的なものかと思ってたら、かなり適当な業界でびっくりした。
l 「意外」と言われる事に強い、強い苦痛がある。「他人の意志」や「思考」が入ってきて自分がなくなってしまうのが怖い。影響されやすい。自我?アイデンティティ?のようなものが極度に薄いように感じる。他人に自分の気持ちを決め付けられるとひどく人権を蹂躙されている感覚になるのは母にずっとそうされて来たからなのかもしれない。
l 「分かってもらおう」とする事に強い苦痛を感じる。自分の中のものは自分だけで大切にしていたいと感じる。だから、まるきり違う人間になって嘘をつきまくるのが得意だし好きだし、安心する。だから、人に悩みを相談出来ない。だから、友達が出来ない。僕はエンターテイナーなんだからそれで良いとずっと思っていた。
l 母親に「悪魔の子」と言われる。
l 僕の中の自分と言うものがすぐに消えてしまう危うさがあると自覚していた。
l 嘘つきを疑われることが嫌だった。話しても相手は信用できず、僕がまるで嘘をついているように思われる事がトラウマだった。
l 「バカにされる」事がずっと嫌いだった。ここで言う「バカにされる」は、「怠け者と思われること」だ。怠け者が大嫌いだし、そう思われる事が死ぬほど嫌だった。叱られる事が何より嫌だった。小学校のトラウマなのかもしれない。
l 正直に言うと必ず怒られるか否定される。
l 焦る、多動、時間いっぱいに動く、しないと気が済まない、
l 自分が何者なのかを客観的に書くために、女とは何か、定型発達とは何かを調べる必要があった。その作業は、定型発達やシスジェンダーとして生まれていたら不要な作業
l 「機械みたい」「ロボット人間」などと揶揄されて久しいが、人工知能が出来てコンピューターに知能を超されてしまった。
l トランスジェンダーは発達障害に多いと言う話を聞いたが、発達障害だと自分に嘘をついて生きていけないからっていう面も大きいと思う。
l 誠実になればなるほど嫌われる
l 食べなかったら死ぬと言うことがなぜ分からなかったんだろう
l 複雑な事象を考えられないから脳が消去するから嘘ついたみたいになる、事実ではなく予定とか未来のこと、架空のことを記憶したほうがやりいいときがある。例えば来年から〇〇〇なら「その来年〇〇〇する自分を信用できない」から今年から〇〇〇をやっておく、どんどんそうやって未来の自分を信用できなくて前倒しで今必要な記憶や情報も消していく。「いずれなる」のなら今消してしまう。それで会話にちぐはぐが出てくる。未来、男になるのなら女の自分はもう考えない。男になるのだから女である自分を考える必要はない。そして脳から消去するから会話が嚙み合わない。
l 怒られることしかないから感謝を伝えたり誰かのためにする行為も笑顔じゃなく「自分がしたとバレないように」する。それでコソコソやってるのがバレて悪い事してると思われる。
l 体に障害がある人を差別すると怒られるのに脳に障害がある人は差別しても良いらしい。そうやって差別されるから相手を差別し返す。そして僕がすると怒る。みんな、僕にはするくせに。
l 「ありのまま」で生きる事が良い事だと教わってきた。
l 漫画家の「食べてないアピール」を真に受けた。バクマンで飲まず食わずで漫画を描いて倒れる描写をそのままやった。倒れたけど、治るのに10年以上掛かってる。
l 街を歩いてて、ふと「今ここを歩いてる99%以上の人は僕より価値があるんだ」と思う事がある。
l 答えの出ない宙ぶらりんな感覚。どこにも居場所がなく不安な感覚。落ち着いてご飯が食べられない。「どこか」に落ち着こうと必死だった。それが「漫画家」だと思っていた。だから、漫画家になるまではご飯もあまり食べられなかった。
l 進んだ大学のコンセプトが「科学と芸術の融合」だった。僕はそれを「科学的に証明された機能的なデザイン」の事だと思っていたが全然違った(笑)
l 「芸術」とは、テーマや思想を伝える事であり、エンタメとは効能作用のあるものだと結論付けた。
l 政治学科に進んだ小瀧さんに「政治って何?」と聞いた。政治とは何たるかを教えてもらえると思ったが返事はなかった。
l なんか流されるんだよなあ自分の考えてることがあるはずなのに他人になんか言われるとぜんぶ消えるそれで僕が間違ってるみたいに言われるともうだめなんだ
l メールの返信が来ない事が多い。自分の中では相手の返事もシミュレーションしてあってその返事も考えてあるのに、返事が来ないからラリーが続けられない。
l 勘違いされる事が多いなあ。Sだよねと言われたり喧嘩を振られたり何ガンつけてんだよと絡まれたり警察に職質されたり嫌われたり無視されたり警察呼びますよと言われたり万引きと間違われたりする。勘違いなのか自分に悪い所があるのかわからないまま無視される。そもそも本当の悪人は悪人に見られないようにするだろ。警察はバカなのか…と思ってた。警察は犯罪者を捕まえたいんじゃなくて手柄を上げたいだけか…
l 数学でいい点とって優秀生徒賞とって国公立大学受かって、それで僕は一目置いてもらえてると思っていた。でもいざ困ったときに頼ったら誰も力になってくれなかった。僕は助ける価値がないと思われた。僕は自惚れてただけだったんだ…
l どうして返信してくれないのか本当にわからない。なんで助けてくれないのかわからない。みんな僕をあざ笑って無視して楽しんでる。それが許せない。
l 空気を読まず建設的な話し合いのできる発達障害をのけものにするんだから日本はもう終わりだ
l 医者はなにもしない。追い返すのが仕事だと思ってる
l ドラマやアニメを鵜呑みにしてた事は多い。世の中は正義で回ってると勘違いしてて、正々堂々生きてれば誰かが見てくれて結果は後からついてくるものだと信じてたし神様も信じてた。今はもう何も信じてない。
l この世は健常者の目線で作られていて、僕達は「石ころ」程度のものでしかないと気付いた。
l レシピを見て料理をすると夕食分を作るのに朝から作る必要があって、一日中料理していればなんとかなる。
l ちあきクリニックでSCTテストをしたら「不真面目」と怒られ、受診を拒否された。「ありのまま思った事を言うと怒られる」は医師に対しても同じなのだとしたら、僕を救う人はこの世にいないと言う事になる。いりさわで受診拒否された時「他の精神科に行ってまた同じように拒否されたら立ち直れない」と思って精神科に行けなくなってしまったが、あの時行かなくて本当に良かったと思う。
l みんなが気付かないふりをしていると言う事に気付かず気付いてないみんなをバカにする
l 「女性の発達障害はADHDの方が強い」と言うのは僕にも当てはまっていたのかもしれない。ADHDは思っている以上に深刻かもしれない。
l 大人がどれだけ子供を平気で騙していたのか大人になってから分かった。他の子は気付いていたのだろう。努力は天才に勝てないし、勉強や学歴はやっぱり何の役にも立たないのだ。一番正しい生き方は勉強なんかさせずに才能だけを伸ばす事だったのだ。その才能が僕にはなかったが。
l 実際、発達障害とハッキリ診断されるのを避けているふしもあるのだろう。
l 人間は機械だと思っていた。でも、人間は機械ではなかった。機械よりもっとポンコツの、なんか勘違いとか誤解とかが多い未熟な機関だった。人体を人為的にいじれるスイッチがあればいいのに。それが鍼灸なのか?もっとアラートとか出して欲しい。
l 食べなかった理由として、やっぱりこの世に居場所がない、死にたいという無意識の思いはあると思う。自分の体を大切にできないし、生まれたことをありがたく思ってないし、いらないゴミだから。
l お前らが発達障害と差別するのなら俺も犯罪だって厭わない。社会に復讐してやる。この世の全員が嫌いだ。
l この世のどこかに一人くらいは理解者がいると思ってた。その人を探すために漫画家になろうと思ってた。
l 「普通」に生まれてたら考えなくていい事をしこたま考えさせられてる。そんな人生にもう疲れた。
l 漫画は酔ったような感じで描けばいい。吾妻ひでおのような作品でもじゅうぶんお金はもらえるのだから、とにかく思い付いた事を書けば仕事になると思った。
l 融通のきかない人が多いように感じる。Aがいいと伝えてAがだめなとき、話がそこで終わる。Bはだめですか?とか、Bならできますとか、そういうふうにこちらが選択する余地をくれない。そんな完璧な条件を求めてるわけがないのに相手は最高を必ず提供しないと嫌というような、そうしなければあなたには用はありませんと言われているような感じがする。話し合いをしたくないのか?嫌われてるから体よく追い払われてるだけなのか?Aの提示がそんなに嫌だったから?よく「最初は無理を言ってそれから下げるとokされやすい」みたいな話を聞くが初手でシャットアウトされるから無理では?それでどこからも断られる。こっちはそこまでこだわりないのにさも迷惑客みたいな扱いをされるのだが
l まさか父さんの事でこんなに怒られるなんて思わなかった。父の言う通りに生きて、振る舞っていたらみんなに怒られる。なぜダメなのか全く理解できなかった。
l 発達障害とスキゾタイパルって同じようなものだと思う。発達障害の反対がスキゾタイパルと言うか、もっとシゾイドの人が「障害者」として保護されるべきだと思う。それが保護されないから発達障害に八つ当たりしてるんじゃないか?幻覚がなくてもいわゆるHSPという言葉が流行ってるが妄想気質の人っているんで、そういう人が発達障害の何てことない言動を増幅させて争いの口火を切るような感じで諍いが起きる。石丸伸二と古市憲寿のやり取りもそうだった。勝手に向こうが怒りを募らせる。怒らせるほうより怒る方に問題があるのに、世の中は怒らせる悪意のない方を障害者に仕立て上げて隔離しているのがおかしい。だからHSPを障害にしないといけない。今、本当に心を傷つける人が一人勝ちしてる世の中だぞ。
l 友達(だと思っていた人)に「僕ドーパミン少ないからさー」と言ったら「何開き直ってんの?」と言われた。障害者は障害者らしく引っ込んで布団かぶってすすり泣いてろってこと?障害者だと診断されてやっと社会で認められると思ったら違った。障害者になっても居場所なんてないんだと気付いた。あんな奴が介護士とか…
l 舌っ足らずと言うか活舌が悪いから口数が少ない。本名言いにくすぎる。言いたくない。自己紹介が大嫌いで、言う事もないし言っても首を傾げられる。口を動かす、喋る脳みそが弱い気がする。
l 街並みが好きすぎて一歩歩くごとに写真を撮らなければ気が済まなくなってさすがに病気だなと思った。帰りたくても「まだ得られるものがあるかもしれない」と思うと帰れなくて、体はもう休みたいのに休むことが怖くて努力をやめられなくて、助けて欲しいと思っていた。
l 目立つことが好きと言うよりは、目立たなければお金が貰えないと思っていた。「空気を読むことで社会に受け入れられる」という価値観そのものを学んでこなかった。必要も、可能性もないとはなから切り捨てていた。
l 京都のカウンセリングで考えている事をそのまま話したら首を傾げられた。それ以来、いくらプロでも人に思ったことをそのまま言うのはやめようと思った。
l 最近気付いたのだが、自分には「価値観」という概念が少ない方に感じる。善悪、優劣、是非といった、正負の価値観に乏しい。僕の中にあるのは「生死」しかないような気がする。ただ動物と人間では人間の方が価値が高い感覚はある。これは要するに「自分以外に興味がない」と言う事でもある気がする。人と比べると言う感覚が基本的に乏しいため、自分と他人、あるいは他人と他人を比べるような意識があまりない。ただ、一人は寂しいと言う感覚はある。本能的な事しか分からないと言うことかもしれない。ただ「努力の量」だけは人と比べる。
l 言葉で示すと嘘っぽくなるのが好きではない。これは親にさんざん嘘をつかれて生きてきたからかもしれない。いや、嘘を疑われて生きてきたからか。
l 計画や段取りが出来ない為必ず行動して失敗してから考える。そのために疲れるし、信頼も得にくい。
l 母親が僕を罵るのはきっと僕が発達障害だからなのだろう
l 世の中の人の「返信しないタイミング」とか「返信しない意味」が分からない。だから返信がなくなるとどうしてなくなったのか分からなくて10年近くずっと悩んでいる。色々な可能性を全部挙げるが、結局分からない。健常者の人たちはみんな分かるのだろうか?
l 親とゲームやマンガを共有した思い出がある人が羨ましい。まあ父親とは共有してるけど
l 就活の「志望理由」に「お金」って書いちゃいけない理由が分からない。お金以外に働く理由なんかないだろ。と思っていたが「数ある会社の中からその会社を選んだ理由」を書けと言う事だと知り、今度は「近いから」と書いた。人に相談すると「仕事なんて何でもいい。お金を稼ぐ手段でしかない」と言う人ばかり。なのに志望理由は「どこでもよかったけど近いから」じゃダメな理由が分からない。本音と建て前と言うか、じゃあどっちが本音?なのかが良く分からない。「この仕事をしたいから」と言う相談をハローワークにすると今度は「仕事は割り切ってやるもの」とハローワークで怒られる。
l 発達障害ではないと言われると怒ると言うか、発達障害ではないと言う結論は僕の人生の中でもうダメだと思う。発達障害と言われて、全部気持ち入れ替えて全部受け入れて、10年かけてストレスかかりながら発達障害の研究して眠れなくなって潰瘍性大腸炎になって、それで「やっぱり違いました」は絶対に許せない。
l 発達障害だったと言うと返信が来なくなる。
l づら君に「本当(の発達障害)はそんなもんじゃない」とか言われた。多分高校時代の友達とかみんなは僕の事発達障害じゃないと思ってる。だから僕が「医者に」発達障害って言われたって言うと返信がなくなる。
l 2Eじゃなかった。「天才だったら何をしても許される」、それ以外に生きる道はなかった。天才にならなければならなかった。天才になれないという事は許されなかった。とにかくプロフェッショナルにならねばならなかった。だから大学に行っている暇はなかった。僕は漫画のプロフェッショナルになるのだから。
l 個性がなければ生きていけないと分かっていた。空気が読めないのなら、空気を「いかに読まないか」でお金を貰うしかない。だから「発達障害」というレッテルはむしろその才能を認められたようで嬉しくもある。
l ミソジニーがあると思う。女が嫌いだ。何でもキモいと言うし、嘘ばかりで何もしない。化粧の話ばかりで中身もない。そんな人間が反吐が出るほど嫌いで、自分がそいつらと同じ性器を持っていると思うと嫌で仕方がなかった。嫉妬だと思うが。女ポイントと男ポイントがそれぞれ10点ずつあるなら、僕は女が0点で男が5点くらいだと思う。男かと言われるとそれも危うい。普通の男よりも女のうわさ話を聞くから女が嫌いなのか?
l 母親が鈍いから世の中の人が全員鈍いと思ってる
l 学歴は信用してないと言うか、なんだか学歴を振りかざすのが恥ずかしいと感じる。自分に自信がないからかもしれない。それよりも実力で勝負した方がかっこいいと思う。学歴は実力じゃないって意識があるのかな。
l 男になれば「発達障害」じゃなくなると思っている節がある。父は僕と同程度のこだわりがあるけど仕事が出来ている。それは男性だからで、男性として受け皿があるからで、自分も男性だったら受け入れられていただろうと思っているふしがある。だから「発達障害として生きる為」に男性になりたいというのが最初のきっかけだった。ポケモンでタケシが「男って言うのはこだわりがあるものなんだ」と言った瞬間から、僕はずっとそう考えてきたんだと思う。男になればおかしくない、普通になれる。女性ASDよりも男性ASDのほうが理解されやすいし仕事も多い。筋力さえあれば力仕事だって出来るし生理痛さえなければ動けるし。女性ASDという絶望から抜け出したいと思ったのだと思う。
l 発達障害は人を叩く免罪符になる
l 世の中の半分は発達障害だと思ってる。僕はたまたま精神科に用事があったからそう診断されただけで、正直「僕が発達障害なら世の中の半分は発達障害だよな」って思っている。だから、発達障害であることを認めていないのだと思う。
l 発達障害と言われて安心した面がある。世の中にどれだけ噛みついても許されるから。
l 公務員になりたいと思っていた。とにかく幼少期より就職やお金に対する恐怖が強く、安定を求めていた。公務員になりたかった。
l 他人とどう話せばいいのか分からない。
l 発達障害のためにトランスジェンダーの自覚も遅れたし他者への伝達も遅れた
l 僕は絶対に大切なものは他人に見せないようにしている気がする。奪われたり否定されたりすると何年も、どうかすると一生その言葉で傷つき続けるって分かってるから。だから深刻な悩みも絶対人に言わないんだ。だからある意味女に生まれたのは良かったと思ってる。好きな人とか自分の性癖とか、絶対バレないから。女が女のフリしていたら周りは絶対女だと思うから。それが心地いいと感じている部分があるんだろうな。
l 京都から、重すぎて鞄を宅急便で送った。その鞄の中に入っていた牛乳を母さんに飲ませてお腹を壊したことがある。常温で3日くらい保存していたのだから飲んではいけないという事を忘れていた。よく考えれば分かる事なのに、その瞬間は忘れているという事が多い。それでしょっちゅう怒られる。殺人とか、そういう事をしないか怖い。
l 芸能界は分かりやすくて好きだ。みんなが自己顕示欲も闘争心も隠さず生きていて清々しい。こそこそ嫌味を言いながら「察しろ」と強要する日本の文化に馴染めない。でもきっと芸能人もそうなのだと思う。「あそここそ僕の居場所じゃないか」と思って行って拒絶されるのを繰り返している。京都もそう。古い伝統を大事にする芸術と文化と自由の町だと思って引っ越したのに全然違った。
l 「芸術」が好き。芸術とはひとつの社会批判だ。社会批判や思想、皮肉は好きだし理解できると思う。ただ綺麗なものを楽しむだけなは娯楽だ。芸術は思想がなければならない。と思う事にした。
l 父が死にそうな時、動画に残そうと思ってスマホで動画を撮っていた。僕はスマホを持っていないので母のスマホで撮っていた。でも、救急車をスマホで呼ばなきゃいけない事を忘れていて母が携帯をずっと探していて携帯を見つけるのが遅れて救急車を呼ぶのが遅れて父が死んだ。
l 収骨の時蚊がいたので殺そうと追いかけて収骨に遅れた。
l 発達障害と言うのはもしかしたら診断基準があるわけではなくて、愛着障害やパーソナリティ障害も含めて大人として機能できない人をひっくるめてそう呼ぶんじゃないか?そういう問題がある人のセーフティネットとして便宜上発達障害という言葉を使っているのかな、副腎疲労がうつ病って言われるみたいに・・・
l 考えた計画はその日のうちに終わらせたい。だから大規模なプロジェクトは苦手。そうしないと夜眠れなくなる(やりたすぎて)。
l ナプキンをつける事を忘れてズボンが汚れないかいつも不安になる。生理痛もつらいので生理中は出掛けない。
l 車酔いがひどい。
l 血糖調節ができない。調べると「自家中毒」というのが発達障害だと起きるらしい。低血糖になると片頭痛になるのはこれだろうと思った。
l 血糖調節ができないのは発達障害にありがちらしい。
l とにかくシンプルになっていないと混乱する。だからすぐ捨ててしまい後悔する。すると今度は全部保管してしまう。
l 「落語に使われてるフォントって何て言うんですか」って聞いて「落語の時代にフォントはない」って怒られたんだけどフォントとは「同じサイズ、同じデザインのひと揃いの活字」と言う意味だし今調べれば「寄席文字というフォントだよ」と答えてもらえばいいだけの話だったんだよ。ちなみにフォントと言う言葉は15世紀からあるから落語の時代にもフォントと言う言葉は存在してる訳で・・・・なんかこういう広義の意味で認識してて伝わらないことって多い。あんまり狭義の意味で覚えないのは数学のやり過ぎ?
l はりまメンタルクリニックで「男性として生きていなければ許可できない」と言われた事を山崎さんに相談したら「発達障害に理解がないところで通用されるように努力すればいい」と言われて腹が立った。それで努力して通用するならなぜ発達障害は「障害」なのだ?なぜ僕は体を壊したのだ?なぜ偏差値65の大学に受かっても誰も認めてくれないのだ?殴れば良いのか?福祉は何の為にあるのだ?
l 生理用ナプキン替えるの忘れるのでひげ剃るのもめんどくさがってやらなさそう
l 「量」を想像する事が苦手だ。想定の10倍近く違う事が多い。必要だと思って買っても使わなかったり、要らないと思って買わなくて困ったりする。食事しなくていいと思い一日1食にして体を壊したり、炊飯器でどのくらい炊けばいいかが分からない。自分がどのくらい必要なのかが分からない。
l 男に生まれてたら友達たくさんできてたんだろうな 童貞陰キャキモオタ同士でつるんで女を罵って好きな女優の話して男だけで遊んだりしたかった人生だった 僕はその罵る対象の女なんだからもう死ねばいいじゃん。
l 「何をどう話せばいいか分からない」って言うのは、発達障害だからと言うより「どう思われるか怖い」「どう言えば否定されないか分からない」という意識の方が強い気もする。
l じゃがりこを母親にとられ、諦めたらあとから「もういらないからあげる」と言われて怒った。じゃがりこが食べられることより予定がころころ変わることがいやなのかな。て言うか母親の責任感の無さみたいなのが嫌なのか。
l 「相手の気持ちが分からない」のもあるけど、「相手の気持ちを忘れる」っていうのが大きいかもしれない。自分の名前すらときどき度忘れする。
l する仕事によって座る場所を変えないとその仕事が出来ない。その仕事をするためのワーキングメモリを呼び出すために座る場所とか部屋を変えないとできないという感じ。机がごちゃごちゃしていると多分何も進められない。
l 母さんが僕がやらかしすぎて最近叱るのをやめた。「死にたくなってきた」と言っているが僕はその気持ちが小学生からあるって言うのに。やっと分かってくれたのかな。
l 普通に働けて笑ってるお前らが全員憎い。殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる
l 常に録音して暮らすのは誰にも理解されないから。
l 生きてる前提が違いすぎて、周りに冗談が通じないと感じる。薬学部で麻薬の研究をしてる友達に「ヤク中になったから?」って聞いたらブロックされた。ヤク中は身近な感覚がある。
l ADHDの本とかの「忘れ物が多い」「遅刻が多い」「先延ばし癖」とかを読んでるとどうしても甘えにしか見えない。全部メモとか工夫で何とかなるだろ!?って思ってしまう。忘れ物が多いならそもそも出掛けなければいいし。そうしてるのが僕なのかな…。そうやってどんどん社会から逃げてるから発達障害だとバレないんだと思う。
l 幸せになりたくないと感じる。掃除をすれば綺麗になって気持ち良いのにそれをする必要はあるのだろうかと思う。自分が食事をしてると「食べる意味なんてあるんだろうか」と思う。生きていても意味などないから。幸せになる意味はあるのだろうかと思うことが多い。ただ与えられているから食べているだけで、自分から能動的に生きたいと思っていない気がする。それは「想像力がない」からなのか?だから一人暮らしの時食事をあまりとらなかった気がする。
l いくら取材して、勉強して、努力しても、それを生かす能力がないんだなあと思う。だってたいていのときは頭が真っ白だから思い出せないし。
l 世の中の発達障害の情報が明らかに「健常者目線」なのに違和感を感じる…。「想像力がない」とかいってお前らも発達障害の気持ち想像できないだろ。お互い様のくせに……そんな思いがあるからずっと謙虚になれないし、結局発達障害である自分に誇りを持ってるから社会でずっと軋轢が出るんだと思う。でもそれを「治療」したいとは思わないなあ…。
l 府中こころ診療所のデイケアでスタッフがひろゆきの事を「あの人なんてまさに(発達障害)って感じですよね」って言ってて「医療関係者の中では完全にひろゆきって発達障害なんだ」と思って、世間がいかに間違っているか実感した。
l 雑貨屋とかで何も買わずに出ると店先まで店員がやってきて「いらっしゃいませー」とか叫んでくる。万引きと思われてるな
l もうこのままずっと最底辺で社会を呪いながら死ぬのもいいかなと思えてきた、どんなことしても許されるんじゃないか?青葉真司みたいに。
l 発達障害なんだから、子供なんだからホルモン投与する必要はないってことなのかな。
l 母が「どうして先生たちは何も言ってくれなかったんだろう」っていつも言ってる。
l こだわりすぎて仕事にならない可能性は薄々感じてたけどいざ締め切りが来れば諦めるだろうと思っていた
l 財布を持たない。財布にお金入れるのがめんどくさい。かばんのポケットにお金を入れる。かばんを肌身離さず持てば問題ない。むしろ財布とか盗んでくださいって言ってるようなものと言うか、財布一つにお金を任せるのが怖い。分散させて持っておいた方が安心。財布を忘れた時カバーのしようがないし。落とした時のリスクを考えると一カ所にまとめておく方が危険では?そして支払いの時かばんの底をゴソゴソする
l 他人が悪意を持ってることに気づけないことが多い。だからたぶん無視されるんだと今なら分かる。
l 地獄を見れば見るほど成功するって信じてた。漫画の読みすぎかな
l 自分にとっては何気ない言動が他人には増幅されて受け取られる感じがある。
l 「はい」「いいえ」で答えて誤解される事が多い。と言うか「はい」「いいえ」以上の事を答えて良いのか分からない。
l 筋力は鍛えられるけど知能は鍛えられない。だったら筋力を鍛える事に全振りしてもいいんじゃないか。
l 料理を全部混ぜて食べる(別の皿に箸を持っていくのが疲れたり忘れたりする)
l 幸せな発達障害と幸せじゃない発達障害の違いって結局「顔」だと思う。顔が良いとたぶん愛されるんだと思う。顔が悪いと野垂れ死のうが搾取しようがバカにしようが潰れようがかまわないんだと思う。
l 日本人は直接話し合わないから発達障害だと分かりづらいってことだと思う。だから誤解されるし、だから余計誤解されないように頑張らざるを得ない。
l 日本人の「婉曲表現」は僕らからしたらただの嘘つきだ。暗号で会話しているという事だと最近気付いた。
l 「何でも一生懸命やる」と言われる。僕は自分の為になることしかしない。やりたくないことを適当にこなしたりやってるふりをして嘘を付いて過ごしたりしない。
l 鼻をかむとゴミ箱に入れる思考能力がない時がある。忙しい時は入れられない。多分不器用で色んな行動が頭が回らなくてできない時がある。それを「面倒臭い」と表現するから怒られる。だから食べ物も一つの皿にまとめるし色んなガジェットを買い揃えて生活を工夫したりできない。だから生理の時ナプキンを変えられなくて生理をなくしたい。
l 未だに、「発達障害は障害じゃなくてただ資本主義の効率性に沿えないだけで世界の概念が違えば障害でもなんでもないんだから哲学的、学術的価値はある」っていう思いと、「いや、一人暮らし出来ないんだから障害だろ」っていう思いで葛藤している部分がある。一生思考ゲームだけして生きていきたいとずっと思っていた。
l 遺伝子検査をしたらアイヌの末裔だと分かった。と言うか差別って関西の顔の長くて黄色い人からよく受ける感覚があるので、弥生人から見て僕らは発達障害なだけかもしれないといつも思う。関西では発達障害の閾値が低い気がする。東京は80%くらい発達障害では?北海道は90%。
l 小瀧に「好き」だと言ったのは人間としてという意味なのと、こだわり
l 自分に何が必要なのか分からない。だから全部要らないような気がしてしまう。食事も、日用品も、自分の命も時々要らない。ケチと言われるが自分がそれを使って人生が向上している想像がなかなかできない。それでどんどん貧乏に追い込んで生活を向上できず栄養失調になる。困っている事に気付けないってことかも。それで何でもやせ我慢して無理をして体を壊す。
l 藍染めの体験で白い服を着ていって袖が染まってしまい「袖染まっちゃってるよ」と言われたので「染めるために持ってきたんです」と言ったら「着替えはあるの?」と聞かれて「ないです」と答えた。わざわざ脱いで染めるんじゃなくて作業汚れみたいなのでじゅうぶんだった
l 普通の人が満足すること、できることの20%くらいで満足するし、できないんだと思う。
l 声優教室で「使っていたものが壊れたら悲しいでしょ?」と言われ「嬉しい」と答えた。新しいものに買い換えられるから。あまり能動的に環境を良くしたりしない。できない。
l なぜダメなのか理解できない。「誰もやったことがないから」?なぜダメなのかを誰も教えてくれなかった。
l 音楽を聴いたりカギを開けたり、何でもないことが人より上手くできなくて辛いし疲れるんだと思う
l まあ、もし発達障害と言われなかったらもし成功してもひろゆきや石丸伸二みたいに頭おかしい奴と思われてサンドバッグになるだけなんで早いうちに診断されてよかったしみんな診断されれば発達障害のハードル低くなるのになあと思う
l 自分がなぜそれをしたかを説明することが苦手だ。
l カフェインを取って初めてまともに頭が回る。「ファインディング・ニモ」で「コーヒー10杯飲む」と言っていて真似してた
l 発達障害と診断されもう社会のしがらみにとらわれる必要がないと思ってほっとした
l 精神科で「気分の落ち込みはありますか」と言われたが「落ち込み」という概念がよく分からない。小学生の時「自分は就職は無理だな」と思った事とか、高3の三者面談でこれから一生一人で孤独に戦わなきゃいけないと思って辛くて泣いたあの日とか、大阪で発達障害だから親を連れて来いと医者に言われたあの日とか、あれを落ち込みと言うのならそう。落ち込みと言うか・・・・苦しみと言うか絶望と言うか。
l 何かをするときに色々な条件が揃わないとできない。こだわりか…そうでなくてもできるはずだが一度そう決めると変えるのがつらい。大切な約束を「部屋の掃除をするので休みます」と言う。「部屋の掃除が出来る条件」が揃わないと部屋の掃除が出来ない(土日、父親がいない、など)。母も同じ、段取りできない、家事を手伝わせてくれない(いつもと違う段取りだと混乱する)※効率よく段取りするのではなくステップ1に必要な条件が揃うまで待つ→ステップ2に必要な条件が揃うまで待つ→という流れなので1ヶ月で終わるものが10年くらい掛かる
l 行動が遅い
l 発達障害もトランスジェンダーも、僕はただ言われた場所にいるだけなのに周りからいじめられたり嫌われたり追い出されたりする。それかただ悲しいだけ
l 世の中の大部分の人は法律に「縛られている」と感じているのかもしれないと最近気付いた。僕らはむしろ自分を縛らないと生きていけないのに。
l 嘘がつけないという病気なんじゃないか。学歴が持てないしお世辞が言えない。そういうものにすごく拒否感がある。上手く立ち回る事にすごい苦痛がある。責められる事、嫉妬される事が嫌なのか?誰かの上に立つことが怖い?漫画をそのまま真似たら倒れた。アイドルはうんちしない。ならうんちをしなければいい。嘘はいやだ。多分誤解されるのが怖いんじゃないか。理解して欲しいから?僕が出来る精一杯のことが「嘘をつかない事」だけだからかもしれない。忘れるしできないしそのうえ嘘つきじゃ絶対誰にも認めてもらえないと思っているからなのかもしれない。
l 自分が決めた事に縛られて苦しくなる。
l 発達障害の本に書かれた事が全部当てはまる。
l ダゲキとドレディアの同人漫画があってファンレターを書いたらそれ以降更新がなくなった。好きなレストランができたから口コミを書いたら特定されて「消さないと告訴する」と言われた。アイヌの本のレビューを書いたら消された。好きなのに気持ちを伝えると嫌われることが多い。なんで笑顔が返ってこないのかいつも苦しい。親孝行しようとしてもいつも絶対怒られる。出て行けと言われて目の前から消えろと言われる。だからもう自分は何もしないでおく。
l 例えば店で買うつもりはないが物色したい時はあらかじめ「買うつもりはない」と言う。しかしセールスによっては買う場合もあるかもしれないし次回の来店で買うかもしれないのに店側はとたんに態度を悪くする。それが分からない。
l 会話のテンポが遅いから焦って何でもはいと言う。否定したり詳しく話すとますます会話が長引いてイライラさせる。もう「はい」でいい。あとから嘘つきとか早く言ってよとか言われる
l 困り事が分からない。自分が「困っている」ということが分からない
l メタ認知が出来ない
l 最近やっと食べ物を捨てられるようになった。食べ物を一口も無駄にしてはいけないと思うと怖くて買えないし古いものを食べてお腹悪くなるし料理に失敗したものも無理矢理食べてお腹悪くなるし栄養偏るし、食べ物は捨てる前提で買わないとダメだとようやく分かってきた
l 困っている事は一番は「お金がない」こと。と言うよりそれ以外に困ってない。お金がないから仕事が欲しい。仕事が見つからないから困っている。体調が悪いから働けなくて困っている。働くために男になりたかった。目が合わせられなくて困っている。社会性がなくて困っている。男になれば社会性が身につくと思っていた、と言うより多少社会性が無くても居場所を見つけられると思った。身一つで生計を立てたかった、身軽になれば生きられると思った。ホームレスになってペットボトルを集めて生きる事だってできる。男ならどこでも寝れる。どこにでも仕事がある。だから男になりたかった。月経困難症を治したい。
l 疑問を解決しなければ根本的に解決しない。嘘を嘘で塗り固めても杜撰な仕事しかできずかえって自分に不利益になる。それがわからない健常者が障害でなく、堅実な仕事をする発達障害が障害者になる社会こそが最も歪んでいる。だから障害者になって年金や生活保護で一生税金を搾取して生きることに決めた。それが僕の復讐だ。お前らがそうやって生きろと言うなら受けてたつ。別にいいじゃないか理想論しか喋れないクソを税金で養って俺達はのんびり不労所得で生きるんよ。かしこい奴だけ働けば良いんよ。最終手段刑務所もあるし。
l こだわりが強すぎて本末転倒になる
l お金を貰うのと働いてるのに時間差があると働く必要性が分からなくなるので日給がいい。一ヶ月記憶がもたない
l 発達障害そのものに自己否定のような気持ちはない。いじめられることが辛いだけ。じゃあいじめられないように工夫して生きろと言われると嫌だ。できないじゃなくて、たぶん、嫌なんだと思う。いや、それができないって事なのか?自分に嘘をついてお世辞とか忖度を身につけてつまらない人間になって死ぬくらいなら別にこのままでいいと思う。そこまで長生きすることに興味が無い(そういう本能が欠けている)のかもしれない、発達障害って。そもそも、命よりも理想や理論の方が大事なんだと思う。まあ、生まれつき自殺願望があるみたいなものか。でもそれは精神科が止めたり治療したりするものではないような気がするけどなあ。発達障害の診断は病院じゃなくて別のセンターとかでやった方が良いような気がする
l 矛盾があると思考を放棄するくせがあるので、矛盾のあるものを無視することが多い。違和感のあるものや辻褄が合わないものに無意識にストレスを感じるらしく、それが結果的に勘の良さのようなものになっている気がする
l 3つ以上の事を覚えられない。
l 実際、発達障害が自分たちが生きづらいのを社会のせいにするのは間違ってないと思う。世の中全員がASDで社会主義になったら平和になると思う。ASDは社会主義脳みたいなものだし。自我がないから。発達障害より隔離するべき人は沢山いるのにね。
l まあ確かに僕の体調不良はストレスから来ているものだけど母親が虐待してくれたおかげで勉強は頑張れたしいじめを受けてよかったとは思ってる面はあるんだよな だからその辺の自己肯定発達障害わがままこどおじチー牛ニートとは違うねんという感覚はある、いい意味で
l 失敗して2回同じ事をするのが嫌だ。嫌だと言うか時間もったいないし意味ないし……だから効率よくやる為に失敗しない条件を待ってから行動する。それがこだわり?強迫?
l 発達障害って言葉は医者もエンジニアも学者も弁護士も全部否定する言葉だよなあ
l 発達障害というだけで断られるようになった。努力すら許されなくなった
l 責任を負えない期待されるのがつらい自分に自信がない
l 怒られるのが怖い
l 予想する会話になったことがない
l 実際、僕の考えは杜撰だ。努力でごり押しするところがある。ゴールしか見てない。
l 「発達障害あるある」みたいな漫画を読んでると「このくらいで発達障害とか言って炎上しない?」って不安になる
l たぶん体調はもう治らない。あの日、発達障害と言われてそれで僕の人生は終わったんだろうな。夢もやる気も全部なくなった
l 人と仲良くなるのに苦手意識がある。嫌われるとわかっているから
l 発達障害を治すために人と関わる必要があるのにトランスジェンダーのせいでなかなか人の中に入れない、トランスジェンダーを治すために精神科に行く必要があるがパーソナリティ障害のために精神科医と関係を作れない、人生はもう終わりだ
l 父の世界のようにこの世には発達障害なりに回ってるコミュニティは確実にあると思う。でも僕は自分が発達障害と呼ばれる「高レベルの」世界に身を置きたいと思った。
l 与太郎って落語の創作らしい江戸時代は発達障害にも優しい世界なのかと思ったら違うのか 昔は発達障害も共存していたと思ってる
l 自分が考えてた世界はきっとぜんぜん的外れだったのだろう
l ずっと居場所を探している 男になれば認められる…受け入れてもらえる…必要としてもらえる…それだけが心の支えだった。その心の支えがなくなった今、もう生きている意味もない。
l 自分の事を他人事のように感じる。自分にも他人にも興味がない。他人に冷たくて嫌われるけど自分にも同じくらい冷たくて、無関心で、だから食事も睡眠もとらないし、好きな事とかしないし、無意味な事ばかりするし人に流される
l 部屋を分ける
あとは愛着障害の覚え書きも書きたいんだけど、なんだかそれだけすごくメンタルに来るからなかなか進まね~。。
パーソナリティ障害かあ…そこまでじゃないと思ってるんだけどなぁ…だって僕よりよっぽどパーソナリティおかしい人達普通に世の中にいるじゃん。「親が高齢だから育て方がシビアすぎただけ」だし。まあでも…それがストレスの根本原因なんだから…治した方が良いのか?う~ん、分からない…。一応感情ローテーションワーキング法で治せてるつもりなんだけどな。
最近思うんだけど、発達障害を開き直る父の生き方ってかなり難しいと思った。。僕には真似できないよな。だから昔考えてた「男になれば受け入れられる」とかは違くて、結局弱者男性である事は間違いなくて、友達も多分できない。ホモになるつもりはないんだからさ。
だから僕の中で性転換の動機が二律背反と言うか。「発達障害を開き直りたくて男になりたい自分」と、「筋力を手に入れて強くなって勝ちたい自分」がいて、その2つのジャンルを同時に満たす生き方はちょっと難しいって事だと思う。まあ、やってる人いるけどね…ヤンキーとか。もし僕男に生まれてたら少年院入ってたかもしんない。まあ今からでも刑務所入ったらカースト最下位だしなあ。あとは死んで終わりの人生だろうな。あ、でも男に生まれてたらこんなに社会嫌いじゃないか。友達いただろうし。
それでは、RMSSDの値がいつ計っても低いとまよこ りゃんシーでした。
いいなと思ったら応援しよう!
