見出し画像

#2 なぜ私は過食症になったのかpart1

オープニング

こんにちは。私のページに来てくださりありがとうございます☻

前回、noteに初投稿をして、過食症を前向きに克服していく日記としてnoteを活用していこうと決めました。

今回は私が心当たりのある過食症のきっかけについてお話していこうかと思います。


私が過食症になったきっかけ


そもそも、私は人生で自分が痩せていると感じたことはありませんでした。
実際そんなことはなかったのですが、常に自分の筋肉質な太ももが気になっていました。

しかし、本当にこれまでとは違うと感じたきっかけが明確にありました。
・発症を自覚する時期
・過食症の影響が目に見えてわかるようになり始めた時期
この二つのフェーズに分けてお話していきます。
長くなりますので、今回は二つに分けてお話ししようと思います。

①発症を自覚した時期

厳密にいうと、当時過食症というものを把握して自覚していたということではなく、とにかく自分ではない自分が家中にある食べ物を血眼になって探し、大量に口にするという明らかに今までになかった行為が始まった時期ということになります。

高校入学の2020年はコロナが第一波として大流行しました。剣道推薦で高校に入学した私は、毎日リモートで顧問の先生と先輩・同期の子たちとミーティングし、トレーニングをしていました。ここでまず体重の増加を気にしており、毎日体重を測るようにしていました。このころは15時を一日の最後の食事としており、基本的にヨーグルトばかり食べていました。

母親は、手軽に栄養を摂れるようにと、バランスパワーのバーを毎日お弁当に着けてくれていました。さらに、私は午後のミルクティーが大好物だったため、大きいペットボトルを部室の冷蔵庫に常備し、500MLのペットボトルに詰め替えて毎日飲んでいました(笑)
このころは、体型について過度に気にすることなく過ごしていました。

2021年、高校2年生冬あたりになると、コロナ禍で遠征も行けず、練習ばかりで、さらに練習強度が強すぎることもあり、肩やひざを痛めるなど、オーバーワークの負傷者が続出した時期でした。

私はふくらはぎが酸素や老廃物を送り返せなくなり、すぐにパンパンとなって、これ以上動けないという状態になるということが慢性化していたため、治療院に通うことになりました。

これがこれ以降の私の人生を変えました。

価格の関係で最終的に通っていた治療院では、私に減量を提案したのでした。これまでダイエットというダイエットをしたことなかった私は、その方法を聞きました。

それは、お米:おかずを6:4にするというものでした。
アスリートはエネルギーとして糖質をすぐ消費できるので、脂質を控えれば痩せるというダイエット法でした。

これは、具沢山のお味噌汁と、少量のおかず、雑穀米を食べるというもので、週二回はそれ以外も食べてよいというものでした。

しかし、休みどころのわからない私は、具沢山のお味噌汁だけをおかずと捉え、雑穀米の2品(1品?)を毎食ずーーっと食べ続ける生活を始めてしまいました。

母親が作るごはんが大好きな私が、自分で気の乗らない具沢山ごろごろ味噌汁を作って一人で食べていました。

治療院には週三回ほど通わせてもらっていたほど足のコンディションが持たない状態でした。
減量中なので、通院するたびに父親くらいの年齢の男性トレーナーさんに
体重を聞かれていました。
全身含めて、鍼などの治療をするため、お尻なども見せないといけないような人に、私の体について開示することがだんだんと恥ずかしくなったり、ストレスを感じるようになりました。
しかも痩せてないし。

それがどうしても耐えられなくなってしまい、楽しみでもなんでもなくなってしまった食事のつらさと相まって、家にある食材を片っ端から食べるという行動が始まりました。
頭のなかは四六時中食べ物のこと。すれ違う人の足と比べたり、トイレの鏡で体型チェックをしてばかりいました。
両親は共働きで、兄弟も自室にこもりゲームをすることが多かったので、ゴリラのように食品をむさぼり食っていても、誰も見ていなかったのです。

次第に、罪悪感から部活帰りにもかかわらず、夕食を抜き、結局耐えられず、家族が寝た後に一人で貰い物のお菓子を食べることも出てきました。

この頃は、毎日朝夕に激しい運動と自転車で往復16㎞の通学しており、
体重はキープで誰にも分らない状態でした。

次回:過食症の影響が他人にもわかるように…


いいなと思ったら応援しよう!