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「栗ご飯」を作っていて思ったこと

地域によっては、まだ「夏日」を記録しているところもありますが
気付けば、もう10月も後半。

季節は「秋」になっていて、
秋刀魚やさつまいも、栗などで季節を感じることが出来ます。

先日、栗ご飯を作っていて思ったのが
「人は、美味しいところだけを有り難くいただいているのだな」…と。

栗ご飯を作ろうと思うと、
まず栗の皮を取り、そこから渋皮を取っていくという
手間暇がかかります。

剥いてある「栗」を売ってもいますが、
その状態になるには、もちろんどなたかのお力があってのことで
自然に勝手に、剥かれているわけではありません。

そして剥いていると
虫が食べていたりもすることもありますが
虫も人も、美味しいものをいただきたい!
その思いで恵みをいただいていることには
変わりないのだな…とも思ったのです。

手間暇をかけて剥いたら
気づけば、栗の実と同量くらいの皮=ゴミが出ます。

その状況を見て
「あぁ~、これもお片づけと同じだな」
そんなことも思ったのです。

人は、「美味しい」ところだけをいただきたいと思うけれど
それには一定の「ゴミ」が付きもので
それをきちんと取り除くことをしなければ
「美味しい」ところには辿りつけないのだと。

生活していると、一定数の「ゴミ」は必ず生まれます。
それを放置し続ければ、「ゴミ屋敷」になることもあります。

快適に暮らしていこうと思えば
常にゴミを取り除くこと=片づけをし続けなければならず
何もせずに「快適に暮らそう」なんて
そんな都合の良い話はない!ということ。

外食で美味しいご飯をいただく際も、それは同じで
どなたかが、栗の皮むきをし
丁寧にお料理してくださることがなければ
私たちは、何もいただくことは出来ないんですよね。

だからこそ、ご飯をいただく際には「いただきます」
食べ終わったら、「ごちそうさまでした」

そして、お店の方だけでなく
生産者、ゴミを処理してくださっている方々
どんな方々にも「ありがとう」

そんな気持ちを忘れずに過ごしていきたいものです。

美味しくいただけた栗ご飯に、感謝感謝です!

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