稲を描く-豊穣は一人ではなし得ない-
シュタイナーのにじみ絵の教室で稲を描いてから、秋には何度も稲を描いた。
一番初めに描いた稲。まだ熟しきっていない、若さが残る稲たち。
豊穣とは。枯れるとは、どういうことなんだろう?迷いながら描く。
少し枯れてきた。でも実はまだまだ若い。上手く描けなくて悔しいのでもう一回描く。
少し馴染んできた。最後、身をぎゅっと凝縮させるために朱色を入れるのですが、塩梅が難しい。入れすぎると枯れすぎてしまう。豊穣にはならない。
ちょっと時を寝かせる。今度は娘と一緒に描いてみた。
はじめ私は稲を、娘はいつも通りアナ雪を、と別々に描いていたが、私も稲を描いてみたいと言うので。
紙と筆さんに優しくね、と手に何度か筆を滑らせて感触を確認したら、後はできるだけ彼女にお任せしつつ一緒に描いてみる。
こちらは私が一人で描いたもの。
こっちは娘と一緒に描いたもの。
自分では選ばない線やタッチと、自分のいつも通りの癖が混じるのが面白い。
そして、今まで描いた稲の中で一番生き生きと豊穣を表現できた気がした。
「そうか、豊穣は一人ではなし得ないものなのかもしれないな」と思った。人と一緒に共同創造するプロセスそのものが豊穣なのかもしれない。私はそのことを知りたくて、稲を描き続けていたのだろう。
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