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鬼との暮らし方|大人の節分
前回は鬼の二面性を知って、鬼を自分の中にみつけて福へと転じさせることができるのが大人の節分、ということを書きました。
今回は、私なりの鬼たちとの付き合い方を書いてみたいと思います。ちょっと実用性のあるファンタジーだと思ってサクッと読んでください。
▪️鬼の見つけ方
鬼を見つけるって、言葉にするとなんだか怖いですが、でも大丈夫。
実は、日頃生活する中で私たちはたくさんの鬼たちと暮らしています。
わたしは以下の条件がそろった時を「あ、今鬼がいるぞ」というサインとしています。
【👹鬼がいる時のサイン】
・我を忘れるほど没頭している
・周りの声が聞こえにくくなる
(→進行すると周りの人の存在がウザくなる→さらに進行すると八つ当たりするようになる)
・そもそもなんでこれをやっていたのか忘れる
誰しもきっと、ありますよね。
鬼とは隠(おぬ)=目に見えないもの。全てを見つけるのは不可能だけれど、生活にひそむ鬼はとっても見つけやすい。そこから行ってみましょう♪
▪️無限ループ鬼
スマホ、コーヒー、スイーツなど常習性があってやめられないとまらない、無限ループを生み出す魔力がある。またの名を餓鬼(ガキ)ともいう。
無意識にじわじわ入ってきて気がついたら大きな力を持つ、という性質ゆえ、物に溢れかえった現代において最強であると鬼界では言われているとかなんとか。
【この鬼への豆のまき方】
・デトックス、ファスティング、断捨離など「やめてみる系」
やめられないとまらないループに気がついたら、それをまず止めてみる。
するとコロコロと体中を駆けずり回る鬼の姿が確認されるかもしれませんが、落ち着いてしずまるのを上手に待ってあげましょう。
すると、鬼たちの麻痺した欲求の満腹中枢はどんどん修正され、その奥にあった「本当はやりたかったのにやれていないこと」がぴょっこり顔を出したりもします。
【この鬼が福へ転じると】
ただ、この鬼の接し方に関して気をつけないといけないことがあります。
それは、禁止をしないこと。
なぜならこの鬼たちの大元は、「身の回りのものへの強い好奇心・活力」であるからです。禁止をしてしまったらその奥にある本当はやりたかったこと、が浮かび上がってきません。よって、上手にお付き合いすれば、この鬼は「日常生活を生き生きと過ごす力」という福へと転じてくれるのです。
・そんなスタンスで現在、デジタル・デトックスを実行中です。(2020年10月25日〜2021年2月18日)
・また、先月からはコーヒーファスティングもはじめています(2021年1月11日〜2021年2月11日)。
コーヒーとセットでスイーツファスティングにもなっています(三大無限ループ鬼クリア!笑)。そして、面白いことに、茶道を再開したくて仕方ありません。お抹茶たてたい。着物を着たい!
▪️責任大好物な鬼
比較的カジュアルな(?)無限ループ鬼たちと付き合っていくと、後ろに、どっかりと座る大ボス的な鬼と出会うことがあります。その種類は人によってさまざまですが、わたしの場合、責任という責任を片っぱしから拾いまくってムシャムシャと食す、大飯食らいな鬼。責任って消化に時間がかかりますよね。いつも胃のあたりが・・お、重いです。
【この鬼への豆のまき方】
その1:「案外好きなんだね。それが」と言ってみる
その2:食べないものを決めていく
意識の上で、わたしって人間は、責任を負うことが苦手。責任を伴うことへのストレス耐性は過度に低く、責任なんてものは人生から徹底的に遠ざけてきたし、それが=自分をわかっていること。そう思い込んできた。
が、しかし。
腹の中には今まで食べたたくさんの「責任」がたらふく詰まっているわけで、なんだか言ってることとやっていることのチグハグ感が否めない。
それで、豆その1。
「案外好きなんだね、それが」を繰り出す。
一度こう言ってみると、肩の力が抜けてきて、自分が滑稽になり、笑えてくるのです。
責任なんてまっぴらごめんだ。(でも、案外好きなんだね、それが)。
任されるなんて面倒くさいこと、まっぴらごめんだ。(でも、案外好きなんだね、それが)。
その度、違うだなんだと言ってきますが、そう、案外好きなのです。それが。
【この鬼が福に転じると】
面白いのが、豆その1「案外好きなんだね」を繰り返していくと、わたしの中にいた鬼はあんなに好物だった「責任」ってものをムシャムシャと貪るように食べなくなる。
「あの。責任ならなんでも食べるとは思わないでください。とっておきの、いいものをちょっと食べたいって感じなんですよ」なんて、まるで食通みたいな言い方をするようになります(笑)。
そうなってきたら、豆その2。
「食べないものを決めていく」を繰り出す。
案外好きなんだね、目線で日常を過ごしてみると、逐一自分が責任というものを見つけては食そうとしていることがわかります。そしたら、すっかり食通になった鬼と「食べなくてもいい責任」をその都度選んでいく。すると、大方のものは食べなくていい責任で、自分にとっての責任というものは、ここぞという時のハレの食事だったんだなと気がついたのです。
この時、責任大好物な鬼は、強すぎる責任感でその人をつぶす働きではなく、その人に適した責任感を選びとってその人を育てる福へと転じるのです。
▪️鬼は自分の中の生々しいまでの生命力、そのもの
大きな鬼であればあるほど、冒頭に書いた【👹鬼がいる時のサイン】が激烈に出やすい。周りを忘れて暴走してしまうようなことの背景には大体鬼がいます。
埼玉県に鬼鎮神社という鬼になった若者を弔うために建てられた神社があるのですが、こんな伝説が残されています。
ある刀鍛冶の元に若者が弟子入りした。そして大いに働きだし、ある時、親方の娘を嫁に欲しいと言ってきた。
鍛冶屋は「1日に刀を100本打てたら嫁にやろう」と約束する。
すると若者は一心不乱に刀を打ち始めた。その勢いは凄まじく、親方は気になって様子を覗いた。すると若者の姿はいつしか変じて鬼となっていたのである。
おののいた親方は、無理やり鶏を啼かして夜が明けたことにして、作業を中断させた。そして夜が本当に明けた頃に仕事場に行くと、最後の1本を作るところで若者は槌を握ったまま死んでいた。哀れに思った親方は「鬼鎮様」として宮を建てて祀ったという。
鬼とは、何かに一心不乱に打ち込む激しい情熱。
時にそれは自分が生身の肉体であって、周りの人と一緒に生きているということを忘れさせてしまう。そんな時、「あぁ今自分は鬼になっているなぁ・・」と痛感するのです。
けれど、鬼は排除するものではない。
だって、自分の中の生々しいまでの生命力、そのもの、なのですから。
これが自分の中でビビッと繋がった瞬間、無意識の中で猛威を振るっていた鬼は、福としてわたしの生活を生き生きと輝かせてくれる存在となるはず。
そんなことを感じた節分前の季節。
ちなみに・・わたしは今自分の中にいる「無駄に説教くさい鬼」に辟易としていて(笑)、やたらと説教くさい文章を書いたのちに「だから?なんなの?」と言いながら推敲するのがブーム。すると、わたしの中にいる眉間に皺寄せて難しそうな本を抱えた初老の老人が、シュルシュルと飲み屋にいるただの親父ギャグと話好きなおじさんに変わっていくように感じられて、とても面白い(笑)。
もうすぐ立春。新しい一年は楽しくいきたいですね。
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