わたしはどんな風に離別を受け入れるのだろう?|裏の畑美術部・バイオグラフィーワーク【木星期49-56歳】
ちょっと期間があいてしまいましたが、先月8月3日は月に一度開催の、シュタイナー教育の絵の教室「裏の畑美術部」でした。水彩の課題では、2月からバイオグラフィーワークに取り組んでいます。
古代では人間の発達は7の倍数で進んでいき、それが惑星のならびに対応しているという考えがありました。バイオグラフィーとは、伝記という意味。バイオグラフィーワークでは、7の倍数の年齢ごとに月(は正しくは衛星ですが)から土星までの惑星を当てはめて自分の人生を振り返っていくということを行って行きます。
第七回目のこの日は、「木星期」について。
まずは、木星期を考える前に、前回の火星期に描いた絵を改めて見返して、言葉にしてみます。
時間をおいてみると、より客観的に絵を眺めることができ、そして、この絵が今後どんな風に展開していくんだろう?というイマジネーションが豊かに広がります。そんなところで、間々田さんから今日の木星の質問が読み上げられました。
この頃になると、娘は成人して、親はもう90歳くらいでしょうか。子どもは巣立ち、もしかしたら親とはお別れを経験しているかもしれません。
心も体が大きく変化して、それに伴い住まいも変えたくなるのだろうな。
娘はどんな風に親であるわたしから巣立っていくだろう?
最後に大きく反抗して力強く羽ばたこうとするのだろうか?それとも、すでにあっさりといなくなっているのだろうか?
親の死をわたしはどんな風に受け入れるのだろう?
そう考えていると、親たちの背後にある「家系」という存在が生々しく迫ってくる気がしました・・。土星期の香りかな。
また木星期というのは、太陽期を挟んで水星期と鏡の関係にあります。
なので、前回同様、まずは水星期に自分が描いた絵を模写して、そこに新たに筆を入れることで木星期を描いていきました。
精神的にも物理的にも、あらゆる形で「離別」というものがやってきて、その経験はわたしをある境地にいざなっていくのだろう。そんなことをぼんやりと考えていると、寂しいような温かいような不思議な心持ちになった。今回は、隣に娘がいたのも大きかったかな。
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続いてはフォルメンです。
軸があるから自由になれる。それが少しずつ実感できてきたのはわたしにとって大きな一歩です。
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後半はわたしが担当するボディワーク部。
十牛図のワーク。いよいよラスト回です!