089. 子育て十牛図|第八図『人牛倶忘』|みんなで見ていた夢のそとへ|アナ雪って十牛図じゃん!
一日一描。
今日は子育て十牛図第八図を描きます。
十牛図(じゅうぎゅうず)は、悟りにいたる10の段階を10枚の図と詩で表したもの。子育て十牛図とは、それを子育ての段階に当てはめて描いてみたものです。
詳しく読みたいかたはこちらからどうぞ。
第八図 『人牛倶忘』 にんぎゅうぐぼう
(出典:Wikimedia Commons User:MichaelMaggs)
鞭索人牛尽く空に属す
碧天寥闊として信通じ難し
紅炉焰上争でか雪を容れん
此に到って方に能く祖宗に合う
(訳)
鞭、手綱、人、そして牛。全てが無のなかに溶け合う
この天の広大さには、どんなメッセージもかなわない
どうしてひとひらの雲片が荒れ狂う炎の中に存在できよう?
ここに祖師たちの足跡がある
第八図は解釈が難しいのですが、あくまで今自分がわかっている範囲で、自分の言葉で書いてみたいと思います。
第一図〜第七図までのプロセスを体験し尽くし、第八図では「空」の領域に入ります。
第七図では目標とし、願い求めていた境地に至り、追い求め、手なづけてきた牛のことをついに忘れてしまいます。空に輝く月を見上げ、それに呼応するかのように自分の中のビジョンが輝くことを感じていました。
この第八図は、第七図での月に自分が吸い込まれているという説があるのですが、それは空に輝く月と自分の中に輝く月とが一緒になりどちらがどちらかわからなくなるからでしょう。
第七図では外側にあった月が自分の内側にもあるのだと気付きましたが、第八図ではさらに外側と内側との区別がつかなくなっていきます。
ユング心理学的に述べれば、この第八図では個人的無意識の領域と集団的無意識(普遍的無意識)の領域(※)の境界線がなくなって、自分が全体であり全体が自分である、という領域に達したと言えるでしょう。
(Direct Communicationより引用)
(※)ユング心理学では、個人の無意識の領域のさらに深層には、全てのものが共有する集団的無意識(普遍的無意識)という領域があると考えます
私が見ていた夢は他の他の誰かが同時に見ている夢であり、また過去に自分の祖先たちが繰り返し繰り返し見てきた夢であるということに気づいていきます。集団的無意識の領域では、全てのものがつながり、個という概念も消えてしまいます。
この第八図では、「自分を条件づけるあらゆる役割や概念」を否定し、捨て去っていきます。
私は母親ではない。私は日本人ではない。私は女性ではない。私は地球人ではない。私は肉体ではない・・。
捨て去るごとに、自分が空っぽになり、集団的無意識の外側から俯瞰し始めます。個を脱し、集団を脱し、あらゆるものが繋がった、全ての生命の源へとかえっていくのです。
私の第八図 『みんなで見ていた夢のそとへ』
月を眺め、叶ってきたいろんな願い、たくさんの目標を甘美なる気持ちで味わっています。すると、「あれ?これって、もしかしたら私だけの夢じゃなくて、世の母親たちに共通する夢だったんじゃないだろうか」とか、「これってもしかしたら私の母もおばあちゃんも、同じことにつまづいて悩んでいたことだったんじゃないかしら?」と、自分を超えたところに思いを馳せるようになってゆきます。
すると、どちらが自分の夢でどちらが他人の夢なのか、わからなくなっていきます。そうするうちに、「みんな同じように悩んでいたんだなぁ」「はじめから一緒だったんだな」という思いがこみ上げてきます。
自分一人で頑張ってきたと思っていたけれど、自分一人で月を見上げていると思っているけれど、本当はいつもみんな一緒に歩んでいたのではないだろうか、という言葉にならない安心感が押し寄せてきます。
最初から私は一人ではなかったのです。
アナ雪って十牛図じゃん!
私が十牛図を描く横で一生懸命アナ雪のイラストを描いている娘を見ながら、「そっか、アナ雪と十牛図も似てるなぁ」なんて思いました。
エルサはどこからか自分を呼ぶ声に従い、本当の自分を探す冒険へと出かけていきます。自分が魔法を使えるのはなぜなのか。みんなと違うのはなぜなのか。この力はどこからやってきたのか。
そして、亡くなった両親も、エルサと同じようにエルサの魔法の秘密、生まれた理由を知るために旅に出ていたことを知ります。
全ての記憶が眠る、北の川にあるアートハランという場所へ向かおうとした途中、船が難破して両親はなくなってしまったのです。
様々な困難に打ち勝って、エルサはついにアートハランへとたどり着きます(ここ、第七図っぽい)。
上記の曲の冒頭でエルサは歌います。
なぜか懐かしい震えているの
不思議だけど 夢でここに来たような
わかるのよ あなたがいると 感じるのまるで我が家よ
( Show yourself 見せて、あなたを より)
ついに自分の家、アートハランにたどり着いたエルサは、ノック(水の精霊の馬)を降りると中へ向かって駆け出します。
そして、五大元素が統合し、頭上に全ての記憶(きっとエルサ個人の記憶でもあり、人類の記録でもあり)が映し出されると、自分を呼んでいた声の主はエルサの母親、イドゥナだということがわかります。
これはきっといろんな解釈があると思うのですが、エルサは母親であるイドゥナをここで見つけたというよりはエルサの中にあるイドゥナの想いに触れたのだと私は思います。(追記; 同時に、イドゥナ自身の記憶でもあって、エルサとイドゥナ双方の共有する集合的無意識に触れた、と再考察しました)。
エルサはそのことがわかり、今までは外側に理由があると思っていた「大きな力」・魔法の力が、自分の中にあったものだと気付いたのではないでしょうか。力は自分のものでもあった。だからこそ、受け入れるができたのだと思います。
そして最後にエルサは全ての記憶を煙に巻き、消していきます。
この時の描写がなんだか第八図っぽいなぁと感じました。
娘のアナ雪と十牛図
娘、放っておくと延々アナ雪を描き続ける。母、日々君の制作意欲に飲み込まれそうだよ(笑)。本当にアナ雪が好きなんですね。ここまで来てやっとアナ雪と十牛図がつながりました。やっと、娘と集団的無意識を共有できた?かしら??
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