描きたい身体
ちょっと時間が経ってしまいましたが、リビング・アトリエに、さめじまみおちゃんが遊びにきてくれました。
公園でシート広げてサンドウィッチをかじったり、のんびりした里山にあるカフェでおやつを食べたり。普段、ついついおひとりさま行動に偏りがちなわたしにとってはとてもとても貴重な「お友達との楽しい時間」なのでした。
そんなみおちゃんに、「ねぇねぇ、何して遊びたいですか?」と聞いてみたときに、返ってきたのが「絵を描きたい」だった。そうだ、みおちゃんとリビング・アトリエで一緒に絵を描こう。何を描こうかな。
わたしは自宅のリビングを「リビング・アトリエ」と呼んでいる。そして家族やここを訪れる人たちが「何かを思いついた瞬間にすぐ一緒に形にできる」そんな場にしたいと思っている。
だから、絵の具も筆も、画板も紙も、全てすぐに取り出しやすい場所に置いてある。我が家のリビングで「わたしも絵を描いてみたいな」と一言いうと、たちまち「じゃあ・・」という展開になってしまう(笑)。
みおちゃんと楽しいお昼ごはんを囲んでから、食器を下げるや否や、着々と絵の具やら筆やら準備を始める。すると、ほのかにみおちゃんが緊張していくのがわかった。これが絵以外の状況だったら「ちょっと急だよねー。また今度にしようか」と引いてしまうところだ。
例えば、「もういっぱいお茶いかがですか?」とか、「もう一つおすすめのお店があるから行きませんか?」とか、絵以外のことを勧めている状況だったら、反応を見て「これ以上言ったらしつこいよね、引いておこう」となる。
しかし、絵はダメなのである。だって、みおちゃんの体全体が「描きたい!」と訴える声が聞こえたから。
水彩で、三原色をつかったとてもシンプルなモチーフを描いた。真っ赤な太陽から始まって、そこに黄色の風が吹いてきてオレンジ色のあたたかみを作りだす。画面の一番下に青色を置くと、「なんかホッとした」とみおちゃん。うんうん、わかるよ、青色置くとホッとするよね。わたしと一緒だ。
そして、青色はやがて黄色と混じり合って緑色をつくる。風の色(黄色)が多ければ若い緑色、青色が多ければどっしりと水分を含んだ緑色。
やがて、緑色は一番はじめに置いた赤色と出会って、深い茶色をつくる。茶色はけっして濁った色ではない。全ての色を含んだとても多様性に富んだ色だ。わたしたちが降り立つ大地の色そのものなのだ。
絵の全体像が見えてくると、そこにはみおちゃんにしか絶対出せない色というものが生まれていた。色と色が出会うたび、その間に無数のグラデーションが生まれるのだが、その色々を目にするたびに「え?この色は一体どうやって出したの?」「わたし、こんな色出したことないよ!」と驚いてしまった。
「これ、お化粧に似ているね」
とみおちゃんがいった。
そうか、平筆のさばきが異様にいいなとは思ったけれど、普段お化粧をしているからなのだね。丁寧に丁寧に、水と色との対話をしていく、みおちゃん。
今回、みおちゃんと絵を描くまでにいっぱいいっぱい色んなことをお喋りしたけれど、その時々に感じた彼女の魅力や、ほとばしる女性らしいやさしい論理性みたいなものが、全て一枚の絵の中に表現されていたように思えて、絵を通じて「さめじまみお」という存在に改めて出逢い直したような気持ちになった。
色をつくり、なじませ、筆を置いたとき、みおちゃんの体はキラキラと輝いていた。今まさにつくり出された無数のグラデーションに、細胞一つ一つが照らされているようで、ほんとうにほんとうに綺麗だった。みおちゃんの言葉を借りれば、そこにあったのは「甘くうるおった」女性の体、そのものだった。
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