084. 子育て十牛図|第四図 『得牛』|子ども牛に捕獲されて引きずり回される
一日一描。
今日は子育て十牛図・第四図を描きます。
十牛図って何?という方をこちらを合わせてご覧ください。
第二図と第三図はこちらを。
第四図は『得牛』とくぎゅう
(出典:Wikimedia Commons User:MichaelMaggs)
精神を竭尽して渠を獲得す
心強く力壮んにして 卒には除き難し
有る時は僅かに高原の上に到り
又煙雲深き処に入って居す
(訳)
大変な苦闘の末、私は彼を取り押さえる
彼の偉大な意志と力は無尽蔵だ
雲海のかなたの高原に突進し
あるいは、不可侵の峡谷に立つ
縄を見つけて牛を何とか捕まえました!しかし牛は荒々しく生命力に満ち、縄を持つ手を緩めるとまた逃げ出しどこかへ隠れてしまいそうです。
第四図の牛も、第三図の牛と同様に、まだ黒い色をしています。
すなわち、牛はまだ自分自身の本質の影にすぎないのです。
第三図
第四図
しかし、第三図と違い、第四図では牛と牧人は縄で繋がっており、お互いに引き合い、一進一退の攻防を繰り広げています。
第四図の段階で表されているのは、牛=影との対決です。
その牛=影の意味がポジティブなものであれ(こんな風になりたい、だけど近づけない、という像)、ネガティブなものであれ(こんな風にはなりたくない、だけど気になって近づいてしまう像)、牛=影が自分ではない外側にあるもの、と感じられなくなってきます。「あれ?この牛って、私に似ている?あれあれ?もしかして、私の中にも同じ様なものがあるのかも・・??」と気づき始めます。
そうなってくると、今までこれが自分だ、と認識していたアイデンティティがバリバリと割れ、現実が大きく揺らぎ始めます。
このプロセスにあるときには、勇気を出し、思い切って揺られてみる、間違ってもぶつかってみるのが良いようです。そして、本当に辛いときにはときには逃げたり距離をとったりしながら(でも縄は離さずに)、お互いの特性を掴んでゆくのです。
私の第四図は『子ども牛に捕獲されて引きずり回される』
自分で描いていて笑ってしまったのですが、本当にこんな感じ(笑)。
第三図で書いた様に、私は子どもにキラキラバイアスをかけて、彼女の欲求に全部とことん付き合っていたので、身体は常に悲鳴をあげていました。
でも、心の方は「この人、制約がなかったらどこまで何をやるんだろう?」という好奇心に満ち満ちており、身体や理性がその好奇心に引きずりまわされている状況でした。
この頃は、本当にしんどいしその理由もわからないので自分一人で何とかするのは無理だ、と感じていました。なので、心理学のワークやアートコミュニティなどに参加して、仲間といろんなワークをしました。
すると、荒々しかったりユニークだったりぶっ飛んだ側面がどんどん出てきて自分でも驚いてしまいました。
そして、あるときから「あなたはお子さんのことをアーティスティックだというけど、あなたがアーティスティックなんだよ?」「敏感なのはお子さんではなくお母さんの方ですよ」「お子さんのリクエストではなくて、自分で絵を描いてみたらどう?」「いや、あなたかなりパワフルですよ、お子さんではなくて」と言われる様になります。
そして、だんだんと自分に対する認識が変わっていきます。
そう、はじめに持っていた「私はパワフルな子ども牛さんに引きずりまわされている母親」という認識が、徐々に「自分の好奇心に引きずり回されている私」へと変わっていったのです。
なんだ、自分じゃん。
自作自演の一人舞台じゃん。
そう気づき始めてから、何だか気が抜けてきて、「こっちへ来い!」と思いっきり引いていた縄を少しずつ少しずつ緩めるようになってきて、牛も引っ張る力を緩めていき・・と、私と牛のやりとりが始まった気がします。
つづく。
娘の描いた十牛図
すごく楽しそうに、のびのびと横で描いていました。
何かが生まれる瞬間、なのだとか^^
そして今日はせっせとサンルームにつくっているアトリエの棚の色を塗っていました。
新しいものを生み出せる毎日は美しくて楽しい。