新月の次の日のひととき
遅目の朝食に食べた2個入り167円の小さ目おにぎりで昼食要らず、胃が満たされている。
お気に入りの焙煎所に上質な珈琲豆を買いに行く。
店内でパフェとブレンドをいただきながらゆっくりとしたひとり時間を楽しむ。 他人に丁寧に淹れてもらった珈琲、注文が入る度に店内に充満するフレッシュな珈琲の香り。 これ以上の時間の過ごし方ってあるのだろうか? 涙が出そうになる。
ご無沙汰だった凪のメンタル。
血肉沸き立つような激しい欲望は無く、感情の均衡。 ざわざわが全くないわけではないけれど、ただ今ここに在るというだけの自分。 この感覚が出現するためには、メンタルの凪が鍵に違いないと実感。
『自分次第』という当たり前過ぎる言葉を再確認する。
つい最近まで、私のメンタルは激しい時化の中に在った。 私自身が他者に自分の感情を脅かす事を許していたのだ。 私は身心疲弊していた。 身体のあちこちに痛みが出て、眠りも呼吸も浅く、ため息ばかりが出た。 どん底とまでは言わないが、かなり底の方に居たのだと思う。
ひょっこり地上に顔を出した今、凪で在る事が最高に幸せに感じるのだが、この凪の中に居続ける事が幸せであり続ける事だ、とは思えない。
時化の後の凪だからこその幸福感なのであって、凪に漂い続けていたらきっと私は、その凪をも不幸と感じるだろう。
ずっと同じではいられない。
変化し続ける事が生きているという事なのだと思う。
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