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“勝てば官軍”からの脱出 「十一人の賊軍」が示すもう一つの正しさ

絶望的な戦いの中で命が躍動する「十一人の賊軍」。刺激的なタイトルの本作が示すもの、それは“勝てば官軍”からの脱出である。


1.「勝てば官軍」に囚われた者達

時は幕末、戊辰戦争の只中の日本。新潟で人足を務めていた駕籠政はある日、妻を襲った新発田藩の侍を殺害してしまう。後は死罪を待つばかりと思われた彼にはしかし、意外な運命が待っていた。なんと決死隊に参加し砦への新政府軍の侵入を阻止すれば無罪放免になれるというのだ。集められたのは賭博で捕まった詐欺師の「赤丹」、子おろしをさせられた恨みで火付けをした「なつ」、政を死んだ兄と思い込んで逃がそうとした「ノロ」、坊主でありながら多くの女犯の罪を犯した「引導」、密航を企てた「おろしや」、一家心中に失敗した「三途」、侍の妻と姦通した「二枚目」、無差別殺人者の「辻斬り」、強盗殺人で捕まった「爺っつぁん」と政同様に死刑を待つばかりの囚人達。新政府軍と旧幕府軍、更には新発田藩の思惑も入り乱れる中、果たして彼らは生き延びることができるのか……?

「仁義なき戦い」等の脚本で知られる笠原和夫が遺したプロットを白石和彌が映画化した「十一人の賊軍」。新政府軍と旧幕府軍が争った戊辰戦争中の新発田藩を描いた本作は、多くの人間が入り乱れる集団抗争時代劇作品である。激闘が繰り広げられる砦や吊り橋には大掛かりなオープンセットが用意され、砲弾や爆発と共にそれらが壊れていく様や剣戟を始めとしたアクションシーンは迫力満点だ。ただ一方で単純な痛快娯楽時代劇かといえばそんなことはなく、必死で生き延びようとする人や組織の姿は一種血まみれの説得力を持ってもいる。まさに集団抗争と言えるが、注目したいのは本作のタイトルでもある賊軍、そして対する官軍の概念だ。官軍とは言わずと知れた天皇の軍勢であり、その錦の御旗に歯向かう者は賊軍の汚名を着せられる。新政府軍が官軍、旧幕府軍が賊軍となった戊辰戦争はその分かりやすい例だろう。ただ、世の中には官軍と賊軍を分けるもう1つの基準を示したことわざもある。そう、この戊辰戦争を語源とする「勝てば官軍負ければ賊軍」である。

「勝てば官軍負ければ賊軍」。戦いに勝てば正しかったことになり、逆に負ければ不義の烙印を押される。南北朝の例を挙げるまでもなく「官軍」の名誉は案外いい加減なものだ。新発田藩の若殿である溝口直政は「どうせ戦は官軍が勝つ。勝ち馬に乗ればよい」と劇中で語るが、この台詞には官軍の定義が実利で左右される事実がよくよく示されている。阿部サダヲ演じる新発田藩城代家老・溝口内匠が度々虚言を弄するのも藩を戦火に巻き込まないためなら許される=勝てば官軍になれると考えているためであり、すなわち本作には新政府軍と旧幕府軍とは別に官軍と賊軍の構図が存在するのだ。そして意外な話だが、この「勝てば官軍」を内匠同様に内面化していたのは主人公の1人・山田孝之演じる駕籠政であった。

政は決死隊の一員であるが、新政府軍から砦を守る戦いにまるで積極的でない。逃亡者が出れば他の隊員の無罪放免が取り消しになると知りながら脱走を企てるなど自分勝手とすら言えるほどだ。けれど彼からすれば妻を傷つけた新発田藩のために命をかけるなどまっぴらごめんだし、強大な新政府軍と戦うくらいなら1人逃げ出した方が生き残る可能性が高いのもまた事実だろう。

どれだけ見苦しかろうと、生き残りさえすれば「勝てば官軍」になれる。経歴も立場も全く違うが、官軍になるためには他人のことなどお構いなしな点で内匠と政は実はよく似た存在なのである。

2.“勝てば官軍”からの脱出

「勝てば官軍負ければ賊軍」という点では実は似通っている政と内匠。しかし物語は2人に同じ運命を与えていない。

砦を守る戦いで政が得ていくもの。それは「勝てば官軍」からの逸脱だ。彼は妻のところへ帰るため勝手な行動を繰り返すが、偶然や仲間たちに助けられ少しずつ思いやりを取り戻していく。他人のために負けられるようになっていく。これは決死隊の他の面々も同様で、本作の戦いは死罪を宣告された彼らが人間としての尊厳を自ら復活させていくプロセスと言ってもいいだろう。ある人物の生死に政が大きく感情を揺さぶられる場面などは象徴的だ。負けることで、賊軍になることで政たちは許されていく。

政達が賊軍になっていく一方、内匠が得ていくのは「勝てば官軍」へのますますの深入りである。彼は旧幕府軍の協力要請をかわしながら新政府軍を受け入れるため更に虚言を重ね、いっそう多くの人間を犠牲にしていく。劇中では死を覚悟するところまで追い詰められる場面もあるが、政と対比するならこれは内匠が死罪を宣告される=尊厳を喪失していくプロセスと見ることも可能だろう。しかし彼は負けないし、負けを許されないが故に賊軍になることができない。逆に言えば許されることがない。「官軍」になるため己の全てを捧げた彼は最後に大きな罪を背負うことになるが、それが本作冒頭で政が襲われた妻に駆け寄る場面によく似ているのはおそらく偶然ではあるまい。視点を変えて見てみるなら、身勝手な直政や旧幕府と新政府両軍に振り回され続けた彼が勝ったことなど本当は一度もなかったのかもしれない。

「勝てば官軍負ければ賊軍」。勝つことではその理屈からは抜け出せない。逃れられるのは負けてなお負けない者だけであり、賊軍たる政達の結末は私達の心に勝敗を超越した軌跡を残していく。この記事では政と内匠を中心に取り上げたが、仲野太賀演じる監督役の侍にしてもう一人の主人公である鷲尾兵士郎や他の罪人達を通して見ればまた違った「勝てば官軍負ければ賊軍」からの脱出を発見できることだろう。「十一人の賊軍」は、賊軍の正しさを見つける度に私達の視野を広げてくれる作品なのである。



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