チック・コリアはプログレだと感じた、フージョンミュージックとの出会い
高校1年生になった1975年、私の通っていた東京の私立中高では、中学3年間にくらべて割と大きなクラス替えがありました。そのため、いままであまり話したことがない同級生と知り合うことになりました。そのとき友達になったT君は、ちょっと違う音楽が好きだったようで、わたしに1枚のアルバムを貸してくれたのでした。それが、これなんです。
Where Have I Known You Before(邦題:銀河の輝映) / Return To Forever 1974
チック・コリア率いるリターン・トゥー・フォーエバー(RTF)、アル・ディ・メオラが加入した最初のアルバムですね。
このアルバムを聴いたとき、まだジャズという音楽はほとんど聞いたことがなく、チック・コリアという人も初耳だったのです。で、聴いてみてたまげました。そもそもがジャズピアニストですから、チック・コリアの弾くキーボードもそれまでのロックミュージシャンとはかなり違った印象を受けたのですが、それ以上にギターのアル・ディ・メオラとベースのスタンリー・クラークの凄さにすっかりやられてしまいまして、「これ、もしかしてイエスよりすごい?」と思ってしまったというわけです。それに、ずっとプログレになじんできたわたしとしては、この音はジャズと言うより、完全にプログレに聞こえたのですね。実はそれまで、わたしはプログレ好きといいながらも、ジャズっぽいアプローチをしていたカンタベリー系、つまりソフト・マシーンとか、ゴングとか、そういうバンドはわりと苦手にしていたのですが、何故かこのRTFには、それまで聴いたカンタベリー系には感じなかった心地よさを感じてしまったのです。
この頃から、わたしはジェネシスを追っかけつつ、ちょっとずつ「フュージョン」「ジャズ」方面に足を突っ込んでいくことになるのです。その後、このアルバムも同じT君に貸してもらいました(^^)
No Mystery / Return To Forever 1975
これも、わたしにとっては「プログレ」そのものでしたね。そういう切り口でハマっていたというわけです。
My Spanish Heart / Chick Corea 1976
その後リリースされた、チック・コリアのこのソロアルバムは、自分で買いました。このアルバムの音はプログレと言うよりもっとフュージョンっぽい音だったと思うのですが、こちらはメロディの良さがすごく気に入って、これはこれでヘビロテしたものです。これは、後にチック・コリアのファンタジー3部作と呼ばれるアルバムのうちの1枚なのですが、その中ではなんといってもこれが一番好きでした。とにかく、わたしにとってチック・コリアは、プログレ以外の音楽への道筋をつけてくれた最初のミュージシャンなのです。
Elegant Gypsy / Al Di Meola 1977
RTFの2枚のアルバムでアル・ディ・メオラに受けた衝撃は本当にすごかったのです。後に彼のソロアルバムを買ってしまったほどでしたので。それにしても、このソロアルバムで披露していた、正確無比な超高速ピッキングは、のけぞるほどすごいものでしたね。後にパコ・デ・ルシアというギタリストに出会ったとき(実は、スーパーギタートリオのちょっと前に、チック・コリアの絡みで知ることになるのです)も、かなりの衝撃を受けたのですが、衝撃度からいうと、やっぱりアル・ディ・メオラの方が上だったかもしれません。
ところで、このジャンルといえば、やっぱり触れておかないといけないのは、デオダートではないかと思います。
Also Sprach Zarathustra(邦題: ツァラトゥストラはかく語りき)/ Deodato 1972
Deodato 2 / Deodato 1973
この2枚のアルバムは、日本でも大ヒットしたと思います。特に、ファーストアルバムのタイトル曲、Also Sprach Zarathustra(邦題: ツァラトゥストラはかく語りき)は、1973年に行われたエルビス・プレスリーの復活コンサートのオープニングに使われたとかで結構有名になり、日本のラジオでもよく聞いた覚えがあります。当時「かく語りき」という日本語の意味がわからなくて、「なんだそれ?」と思ったのは案外よく覚えていたりします。
そして、このアルバムは、わたしも両方聴いていたのです。これは、先ほどのRTFより前に耳にしていたと思います。つまり、デオダートで、ちょっとジャズっぽい音楽を初めて聴き、その後、RTFで、さらにフュージョンぽい音楽に目覚めていったということなのだと思います。(ちなみに、デオダートの頃は、こういう音楽は「クロスオーバー」と言われていたと思います)
ただ、実際1975年にRTFやその後チック・コリアのソロアルバムを聴いたとき、これらを「クロスオーバー」もしくは「フュージョン」というカテゴリの音楽だと認識して聴いていたわけでは無かったと思います。自分的には、この時期のRTFはほぼプログレという認識でしたし、チック・コリアのソロは、「聴きやすいジャズ」と感じてたと思います。なので、当時は、「自分にも心地よく感じるジャズがあるんだ」という意識の方が強かったような気がします。まあ、これも正統派ジャズ出身のミュージシャンでありながら、積極的に他のジャンルに越境してきたチック・コリアという天才ミュージシャンによるところが大きかったのだと思うのですけどね。
ちなみに日本でフュージョンブームが盛り上がっていくのは、この少し後のことですが、わたしの個人的な印象では、日本で流行ったフュージョンは、渡部貞夫、カシオペア、プリズム、ネイティブ・サン、スクエア等の日本人ミュージシャンが中心で、チック・コリアはその盛り上がりの中からは、ちょっと外れていたような感じがします。
こうして、ロック方面では全く仲間が増えない状態のまま、ほぼ一人でジェネシスを聴き続けるという茨の道を進みながらも(笑)、一方では何となく世の中の流れに乗って、高校時代にはそれなりに流行りの音楽も聴はじめていたわけです。
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