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1986年のプログレ的風景:ジェネシスとピーター・ガブリエルの全米No.1そろい踏みにGTRのスマッシュヒット、そしてまさかのEL&なんとかの復活w

 1985年に始まったフィル・コリンズ祭りですが、実はこの年も続いています。前年11月にアメリカでリリースされたTake Me Homeがビルボードシングルチャートの最高位7位を記録するのが、86年5月なんですね。ここまでの売れ方にはさすがにジェネシスの残り2人のメンバーも驚いたようなんです。でも、このバカ売れが続いている85年の秋には、フィル・コリンズはきっちりとジェネシスに戻ってきて次のアルバムのレコーディングを開始するわけです。

 一方、この年の3月には、ピーター・ガブリエルが新譜をリリースします。ここまで自身のソロアルバムにはいずれもpeter gabrielとしかクレジットしていなかったのに、ここではじめて彼はアルバムに So というタイトルをつけたのです。このアルバムの売れ方にも驚かされました。フィル・コリンズが大ヒット連発して驚いていたら、今度はピーター・ガブリエルがヒットを飛ばすわけですから、永年のジェネシスウォッチャーとしては、86年早々に「何だこの状況は!」ということになっていたわけです。

So / Peter Gabriel

初めて公式にクレジットされたアルバムタイトルSoですが、本人曰く「レコード会社の圧力に屈した」のだそうです。これはドレミ音階の5番目の音「ソ」のことで、彼の5thアルバムを意味するということで、それ以外の意味は無いんだそうです。相変わらずですな(^^;)

 アルバムは、ビルボードアルバムチャート最高2位、93週連続チャートインという大ヒット。それまで、ピーター・ガブリエルは3rd以降かなり売れるようになってはいたのですが、それにしてもホントにこれはピーター・ガブリエルなのかと思うほどのヒットだったわけです。

Sledgehammer

4月25日にアメリカでシングルとしてリリースされ、7月26日付けのビルボードでNo.1を獲得します。凝ったMVも話題になりましたね。ちょうど、その前の週にNo.1となったのが、ジェネシスのInvisible Touchだったということで、ジェネシスと元ジェネシスがビルボードでNo.1リレーをするという珍事が起きたわけです。

In Your Eyes

こちらは86年10月に全米26位を記録。イギリスではシングルカットされなかったみたいですね。以前「ピーター・ガブリエルバンドはプログレ界のローリング・ストーンズだ」と書きましたが、この曲なんかスタジオとライブの違いが一番出ている曲ではないかと思います。87年のライブも貼っておきますので、ぜひ聞き比べてみてください。

Big Time

ここからは、翌87年のヒットになりますが、3月に全米8位、全英13位のヒット。Sledgehammerに続いてこちらも凝ったMVで、ピーター・ガブリエルワールド全開です。

Don't Give Up(featuring Kate Bush)

こちらは、87年4月に全米72位、全英9位を記録。アメリカではそれほどでもなかったですが、イギリスではBig Timeより売れました。今度は打って変わって、シンプルだけど結構インパクトのあるMVでしたね。


そしてピーター・ガブリエルのヒットが続いている、6月にリリースされたのが、ジェネシスの最大のヒット作となるこのアルバムだったわけです。

Invisible Touch /  Genesis

 このアルバムは、全英1位、全米3位という大ヒットとなるわけですが、何よりもすごかったのは、シングルカットされた曲の売れ方なんです。このアルバムからは全部で5曲がカットされ、いずれもが大ヒットを記録するのです。こうして、85年のフィル・コリンズのブレイクの続きが、今度はフィル・コリンズが元の鞘に戻ったジェネシスでも続くということになったわけです。

Invisible Touch

ジェネシス唯一の全米No.1ソングがこの曲です。1位にTouchしたのがたった1週だけで、翌週にはピーター・ガブリエルにこれを奪われるという1日天下みたいな曲ですが、1位は1位なんですよね(^^;)

Throwing It All Away

Land Of Confusion

In Too Deep

Tonight, Tonight, Tonight

最後のTonight, Tonight, Tonightだけが、87年3月のリリースで、ビルボード最高位獲得も87年ですが、それまでの4曲全部が86年のヒットです。

 確かに既に、ピンク・フロイドもイエスも全米No.1ソングを出した後でした。でも、このときのピーター・ガブリエルとジェネシスがすごかったのは、彼らはアルバムからカットした曲を何曲もヒットチャートに送り込んだという点なのです。そういう点は、それまでのプログレバンドとは次元の違う売れ方をしたのでした。

 特にジェネシスについては、1枚のアルバムからカットしたこの5曲は全部がビルボードシングルチャートのトップ5に入るのです。同様の記録をビルボードで達成したのは歴史上ジェネシスの他には、マイケル・ジャクソン、ジャネット・ジャクソン、マドンナしかおらず、グループとして達成したのは、いまだに彼らだけという、まさにポピュラー音楽界における歴史的偉業だったわけで、このアルバムは、全てのロックファンが、正座して聞くべきではないかと思うわけです(笑) 冗談はともかく、とにかくプログレ系の人たちから言わせると、このアルバムについては散々な評価しか聞かないわけですが、彼らがプログレの出身でなければそんなことも言われないのになあと思ったりするわけです。

 もちろん、このジェネシスの大ヒットは、前年からのフィル・コリンズの勢いに負うところが多かったとは思います。でも、マイク・ラザフォードもメカニクスというバンドできっちりヒットを飛ばして、やはりソングライターとしての非凡さを証明してみせた直後のアルバムです。そして、ソロとしてはあまり売れてませんでしたが、ジェネシスの屋台骨トニー・バンクスも、貢献しているなんてもんじゃなくて、やはり彼がいなければ絶対にこんなサウンドにならないものなのです。よく、このアルバムを、フィル・コリンズのソロアルバムと揶揄する人がいるのですが、全く違うと思います。最後にヒットしたTonight, Tonight, Tonightもそうですが、アルバムには、Dominoという、ライブのハイライトになるような長尺曲もあり、まさにトニー・バンクスがいるからこその曲だと思うのです。もちろん、トニー・バンクスだけでなく、マイク・ラザフォードもきっちりと役割を果たしているわけで、やはりこれはこの3人が揃ったことで起きた奇跡だったのだと思うのです。

GTR / GTR

 実は、この年、ジェネシスのInvisible Touchが発売される直前の5月、突如GTRなるバンドのアルバムがリリースされるのです。これが、あの元イエスのスティーブ・ハウがエイジア脱退後に、元ジェネシスのスティーブ・ハケットと組んだバンドだったのです。当時これには本当に驚きました。なにせマイナーレーベル落ちしてしまって、しばらく音沙汰のなかったスティーブ・ハケットが、あろうことか、元イエス、元エイジアのスティーブ・ハウと組んだバンドだというわけですからね。そもそもこの2人は知り合いだったのか? とか、当時はそういう背景が全く分からなかったのですが、どうもこのバンドを仕組んだのはエイジアのマネージャーだったらしく、エイジアを脱退したスティーブ・ハウを新しいバンドで売り出そうと画策したものだったようですね。アルバムのプロデューサーは、ジェフ・ダウンズですしね。

 そして、このアルバムがビルボードアルバムチャートで最高11位、16週間チャートイン、さらにシングルカットされたWhen the Heart Rules the Mindがシングルチャート14位になるという、エイジアの3rdなんかよりずっと売れるわけなんです。エイジアの1stを経験したスティーブ・ハウにとってはたいしたことなかったかもしれないですが、ハケットにとってはこれは恐らく人生最大のヒットなんですよね。

When the Heart Rules the Mind(邦題:ハート・マインド) / GTR

MV見ると、ハケット先生の身のこなしが、全然らしくなく、相当無理してるのではないかと涙を誘います(笑) それにしても、邦題は意味不明…。

 当然わたしもこのGTRはすぐに入手して聴いたワケなのですが、このアルバムについては、当時は本当に?でした。というのも、シングルヒットしたこの曲などは、ちょっとあざといほどの売れ線狙いの感じであり、これを聴いて、一体どこにスティーブ・ハウがいるんだ? どこにスティーブ・ハケットがいるんだ??となってしまったのです。アルバムの他の曲を聞いてもなんか釈然としなかったんですよね。確かにSketches In The Sunと、Hackett To Bits という「いかにも」なそれぞれのソロ曲みたいなのは1曲づつ入っているんですが、やっぱり全体的にこれはプロデューサーのジェフ・ダウンズの仕業なのではないかと…。

英語版Wikiにはこう書いてあります。

GTR sought to create a contemporary band sound without using keyboards, which Howe felt had become too dominant in Asia.
GTRは、ハウがエイジアで支配的になりすぎたと感じたキーボード類を使わずに、現代的なバンドサウンドを創造することを目指した。

Wikipedia(日本語訳は筆者)

 まあ、最初のスティーブ・ハウの発想がそれならば、相棒にもう一人ギタリストをチョイスするというのは分からないでもないのですが、でも出来上がった音がなんか、2人ともかなり無理して売れ線のものを必死に作ろうとしてるけど、それが一部しか成功してないみたいな感じを受けてしまうのですよね。まあ、わたしがこういう印象を持つのは、どうしてもハウではなく、ハケット側から見てしまうからなんでしょうが、でもイエスやエイジアマニアの人でも、このバンドを評価してる人ってあんまり聞いたことなかったりするわけです。

 結局、セールス的にはかなりのヒットにはなるし、ツアーもそれなりに成功するのですが、金銭面のトラブルをいろいろ抱えた末に、ハケットが脱退してしまい、一発屋として終わってしまうのですね。そりゃそうだと思います。ジェネシスが耐えられなかった人に、これが耐えられるわけないですよね(笑)

 ただ、こうして1986年は、ピーター・ガブリエル、GTRに、トドメのジェネシスと、ジェネシス関係者と元イエスの人がずいぶん目立ったという、かつてのプログレ者としては、なんかキツネに鼻をつままれたような1年となったのでした。

 実はこの年の3月、ピーター・ガブリエルがSoを発売した同じ月に、トニー・バンクスのソロアルバムもひっそりと(笑)発売されていたのでした。これは、タイトルの通り、彼が担当した映画のサウンドトラックをまとめたものなんです。彼は1983年に、The Wicket Lady という映画のサントラをリリースしていたのですが、こちらがサントラ第2弾で、Quicksilver、Lorca and the Outlaws(後にスターシップと改題される)という2本の映画のサントラをまとめたものでした。前のThe Wicket Lady のときからずっとそうなのですが、まあトニー・バンクスは映画作品に恵まれないのですよね。何故かヒット映画に当たらない星の下に生まれてしまっていたようです。こうしてトニー・バンクスは、ジェネシスの未曾有のヒットの傍ら、またしても売れないソロアルバムを積み上げてしまっていたのでした。

Soundtracks / Tony Banks

だいぶ後ですが、この「スターシップ」なる映画がどんな映画か見てみようと思って、中古のVHSビデオを入手したことがあります。映画は絶対にヒットしないであろうB級SFでした。何よりも、このときビデオのパッケージに
音楽:トニー・バンコス」というクレジットを見て脱力しました(笑)

Shortcut To Somewhere / Tony Banks feat. Fish

映画クイックシルバーのテーマソングとしてシングルカットした曲で、この頃イギリスで人気となっていたプログレバンド、マリリオンのフィッシュをヴォーカルとして起用しています。サウンドもけっこうトニー・バンクス頑張ってるように思うんですが、全然売れなかったんですよねぇ〜。

 そしてこの年、もうひとつ。プログレ界の大物が復活するのです。それがエマーソン・レイク・アンド・パウエルなんですよね。

 このバンドも、ある日突然アルバムがリリースされたような印象が残っているのですが、EL&Pの復活とおもいきや、Pがカール・パーマーではなく、コージー・パウエルだったというのは、正直、誰も想像できなかった変化球だったのではないかと思うのです。これには、カール・パーマーは不愉快だったようで、結局このバンドのことを、ELPとかEL&Pと表記することを禁止するように法廷に訴えて、それが認められるというトラブルがあったそうです。でもねえ、そんなことするくらいなら、とっとと戻ってきてドラムたたけよと、思うのですが、この頃カール・パーマーはまだエイジアに未練があったんでしょうね。カール・パーマーが正式に復帰して、名実ともにEL&Pが復活するのは1992年まで待たないといけないわけで。

 サウンドについては、いろいろ言われていますが、80年代唯一のキース・エマーソンとグレッグ・レイクのオリジナル作品としては、けっこう上手く時代の雰囲気に合ったモノになっているように感じたんですよね。その証拠に、このアルバムの曲が、ずいぶんテレビ番組のバックに使われたり、プロレスのBGMに使われたりしたということなんですよね。これまたコテコテのプログレマニアに言わせると、かなり酷い評価が多いのですが、でもそういう使われ方をしたということが、彼らもきちんと時代に応じたサウンドメイクをしたし、それが成功しているということの表れなんじゃないかと思うのです。ただ、セールスには恵まれなかったようで、かつて一世を風靡したキーボードを中心としたトリオバンドスタイルは、ここでまたしばらく封印されてしまうことになるわけです。


PS.トニー・バンクスは「ジェネシスの曲でオレが関わっていない曲はない」と、このインタビューで語ってます(^^)

PS2. フィル・コリンズは、自伝 Not Dead Yet で、このときのジェネシスのレコーディングに際して、こう語っています。

If ever I was going to quit Genesis in favor of my solo career, in theory this would be the time, with the tailwind of No Jacket Required still blowing hard. But at the same time, I've missed the guys. Tony and Mike have become more lovable as time goes on, which is the reverse of the traditional rock-band narrative. Tony, formerly rather diffident and difficult to talk to, has become a great friend, funny and witty. He’s a different person, especially with a glass of wine in him. Mike, too, has loosened up.

もし僕がジェネシスを辞めてソロ・キャリアを選ぶとしたら、理屈としては、No Jacket Requiredの追い風がまだ強く吹いている今がそのタイミングなんだろう。でも同時に、メンバーにも会いたかったんだ。トニーとマイクは、時が経つにつれて、ロックバンドの伝統的な物語とは逆に、より愛すべき存在になってきたんだ。トニーは、以前はどちらかというと気むずかしくて話しかけにくかったんだが、今では大の仲良しさ。面白くてウィットに富んでいる。特にワインを飲むと別人のようになる。マイクもまた気が置けないんだ。

Not Dead Yet / Phil Collins 日本語訳は筆者

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