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洋楽フュージョンは、1976年のジョージ・ベンソンのヒットでブレイクした(と思うw)

 以前も書きましたが、1975年頃に、チックコリアのリターン・トゥー・フォーエバー(RTF)に衝撃を受けて、1976年にはチック・コリアのソロアルバム My Spanish Heart を買って、よく聞いていたのですよね。わたしにとっては、ロック以外の音楽を少し聴き始めた時期なんです。

 そして、この年に妙によく聴いたのが、この曲なのです。これがラジオの洋楽ベスト10の番組でチャートインしていたかどうかは、もう全く記憶にないのですが、なんかものすごくそこら中で流れていたような気がするのです。それくらい、この印象的なギターは耳にタコができるくらい聴いた覚えがあります。いわゆるフュージョン的な曲として、最初に大ヒットしたのがこの曲だったのではないかと思うんです。

Breezin' / George Benson 1976

 これは、この年の Breezin' というアルバムからシングルカットされた曲です。

 もちろん、当時ジョージ・ベンソンなんてミュージシャンはまったく聞いたことがありませんでした。ただ、チック・コリアと同じ、れっきとしたジャズミュージシャンなのに、伝統的なジャズとは異なるアプローチをはじめて、それが売れたわけですね。チック・コリアはどちらかというとロック、それも少しプログレ寄りのロックだったと思うのですが、ジョージ・ベンソンは、イージーリスニングや、ポップス要素をすこし混ぜたジャズとでも言えば良いのでしょうか。このアルバムの2曲目には、レオン・ラッセルの名曲、This Masquerede(邦題:マスカレード)のカバーが収録されていて、ジャズっぽい雰囲気のポップスという感じの曲で、この曲も大ヒットしたんですよね。まあ、これが時代の雰囲気にぴったりマッチしたと言うことなんでしょうね。

ジョージ・ベンソンといえば、ギターソロと自分のスキャットでユニゾンするという、あまり他の人がやらないワザがオハコですが、ここでも2:30頃〜堪能できます。この曲、On Broadwayは、もともと78年のライブアルバムに入ってた曲ではないかと思うのですが、これもかなりヒットしました。最初この曲を聴いたとき、ジェネシスのThe Lamb Lies Down On Broadway をパクったのではないかとか思ってしまったのですが、そもそもこの曲は60年代にドリフターズでヒットした曲で、ジェネシスの方もこの曲を自分たちの作品の下敷きにしていたということだったのですね。ところで、2011年のこの動画のジョージ・ベンソンの顔を見て、「誰かに似てるなあ〜」と思っていたのですけどね、これ、細川たかしだ!(笑)

 ただ、フュージョンという音楽が、76年に突然現れたのかというと、そうでもないわけです。その少し前から、クロスオーバーと言われていた音楽がだんだんと人気になってきていたと思います。で、その最初は、やっぱり1972年、73年のデオダートの2枚のアルバムあたりではないかと思うのです。

Prelude / Deodato 1973

Deodato 2 / Deodato 1974

 そしてこの流れを継いだのが、ボブ・ジェームスですね。彼は、1974年から毎年アルバムをリリースして、そのアルバムからそれぞれヒットを出していたのです。

Night On Bald Mountain(邦題:はげ山の一夜) / Bob James 1974

結構インパクトのあるジャケットはよく覚えてます。アルバム収録の「はげ山の一夜」は、ご存じムソルグスキーのクラシック作品で、ボブ・ジェームスも、最初はデオダートのようにクラシックのアレンジでちょっと注目されたのですね。この曲は、よくFMラジオなどでOAされてたのを聴いた覚えがあります。

Take Me To The Mardi Gras(邦題:夢のマルディ・グラ)/ Bob James 1975

次のアルバムでは、ポール・サイモンの曲のカバーです。この曲もよくラジオで聴いた覚えがあります。

Women Of Ireland(邦題:アイルランドの女) / Bob James 1976

今度はアイルランドのトラディショナルソングのカバーですね。このメロディは、ものすごく良く聴いた覚えがありまして、わたしにとってはボブ・ジェームスといえば、この曲ですね。後にマイク・オールドフィールドもカバーしてましたね。

 というわけで、こんな感じで徐々にフュージョンサウンドが、世の中に浸透しており、そこにジョージ・ベンソンのオリジナル曲のビッグヒットが生まれたということなんだと思います。

Those Southern Knights(邦題:南から来た十字軍) / The Crusaders 1976

 他にもこの年は、ザ・クルセイダーズのThose Southern Knights(邦題:南から来た十字軍)などもリリースされてまして、やはりアメリカのジャズミュージシャン中心に、いろんなフュージョンサウンドが生まれていたのでした。ザ・クルセイダーズのメンバーのラリー・カールトンやジョー・サンプルのソロがブレイクするのはもうちょっと先ですが。

 ところで、ジャズミュージシャンとして、チック・コリアとよく並び称されていたのが、ハービー・ハンコックなのですが、彼はこの時代は、ファンク系のサウンドとのフュージョンを指向しており、白人のロックやポップスを下敷きにしたような他多くのフュージョンサウンドとは一線を画していた感じがします。彼のファンク路線は、その後79年の Feets Don't Fail Me Now 、そして、あの「スクラッチ」サウンドを発明した83年の Future Shock へとつながっていくことになるわけで、やはり彼だけは一人で全く違うことをやっていたような感じですね。フュージョンというのは、いろいろな音楽を混ぜ合わせた音楽というような意味ですが、結局ミュージシャンによって、その配合比率はいろいろと異なってるわけなのですよね。

Feets Don't Fail Me Now / Herbie Hancock 1979

 一方、ロックミュージシャンの方では、ジェフ・ベックが1975年に、Blow By Blow(邦題:ギター殺人者の凱旋)、76年にWiredと、立てつづけにインストゥルメンタルの作品をリリースしてるんです。

Blow By Blow / Jeff Beck 1975

Wired / Jeff Beck 1976

 まあ「これはフュージョンなのか?」と言われると、ちょっと微妙な部分もありますが、従来のロックとはちょっと離れて、他の音楽の要素を「配合」したという意味ではやはりフュージョンのひとつの切り口だったと言ってもよいのではないかと思います。この頃は、ロックミュージシャンの側でも、こういうインストゥルメンタルへの意識がけっこう盛り上がっていたのではないかと思います。フィル・コリンズが在籍した Brand X が76年に発表したファーストアルバム、Unorthodox Behaviour(邦題:異常行為)も、この一連の流れなのでしょう。

 という感じで、洋楽のフュージョンは、デオダート、ボブ・ジェームスあたりの流れから、一部のロックミュージシャンまで巻きこみながら、アメリカのジャズミュージシャンが中心となって、世界的にブレイクしていったのだと思います。恐らく日本のミュージシャンも、これらのサウンドに影響を受けていたと思うのですよね。そうして翌年、1977年になると、日本人ミュージシャンによるジャパニーズフュージョンともいえるサウンドが登場するのです。


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