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「安曇野いろ」命の選択
『ナゲキバト』The Mourning Dove
ラリー・バークダル
わたしたちは、日々、無意識にあるいは意識的に様々な選択をしながら生きている。生きることは選択の連続だともいえる。選んだことで人生がひっくり返るような結果になることもあれば、どちらを選んでも人生に波風はたたないささやかな選択もある。たとえば、今日はパンを食べようかご飯を食べようかというような。たいていは、自分にとって心地のいい方を選びながら日々を過ごしている。
九歳の時、交通事故で両親を亡くしたハニバルは、祖父のポップに引き取られ二人で暮らし始める。モップやブラシを売って生計を立てる、無骨だが心のあったかい祖父。父母の死で心に傷を負ったハニバルを祖父のポップは愛とユーモアで包み込み、ハニバルの孤独を埋めてくれる。
やがて、ハニバルは隣に越してきた二歳上のチャーリーと友だちになる。酒飲みで粗暴なチャーリーの父親をハニバルは恐れるが、ポップは「気の毒な人だよ。なるべくそばに寄らないようにして、チャーリーと楽しく遊びなさい」と助言する。
銃を使うことをおぼえたチャーリーは、しきりに本物の狩りをしようとハニバルをそそのかす。ハニバルは畑を荒らすカラスを銃で追いはらおうともちかけ、とうとうポップに銃の使い方を教えてもらう。ポップの目を盗み、銃に弾を込め、ハニバルは一羽の鳥を撃つ。「やった。鳥を撃った」と得意になったのも束の間、ぐにゃりとした鳥の姿にハニバルは吐き気をおぼえる。かたわらには、祖父が静かに立っていた。
「ナゲキバトだよ。近くに巣があるんだろう」
茂みのそばには、たしかに巣があった。腹をすかせたヒナが二羽、狂ったように鳴いていた。「片親では二羽のヒナは育てられない。どちらか一羽を選びなさい」と、ポップはハニバルに言う。「一羽を生かすためには、もう一羽を殺すしかない」。
ハニバルはすすり泣きながら一羽を選ぶ。祖父は痛みを伴わない手早いやり方をハニバルに伝える。
母子鳥を並べて土に埋め、つれあいを亡くしたナゲキバトの声を背中で聞きながら、ハニバルは家へ戻る。ポップはよけいなことは何も言わなかったが、無言の教えはハニバルの心に残った。
ポップとハニバルは、父と母と暮らした家を見に行く。
ハニバルは、そこで両親との思い出の品を見つける。
薄いブルーのシャツ。
その新しいシャツを着た日、ハニバルは男の子ふたりにからまれた。シャツのボタンをむしられ、地面に転がったハニバルは、やり返すか、やられたままでいるか、ふたつにひとつの選択を迫られる。
ハニバルはそのとき父の言葉を思い出す。
「ピースメーカーって言葉を知ってるかい。喧嘩をするより平和を作り出す方がいいって考えるひとのことだよ。人間はあることをするかしないか、自分で選べるんだよ。ピースメーカーというのは、意気地なしじゃない。敵の気持ちも理解できるひとのことなんだ。ハニバル、相手がなければけんかにならないということを覚えておきなさい」
ハニバルは、「敵」の男の子たちをまっすぐに見て言う。
「フットボールやらない?」
不意を突かれた彼らは、まじまじとハニバルを見た。そして、肩をすくめて「いいよ」と言った。そのとき、ハニバルはピースメーカーになったのだ。
母との思い出の品は「銀の星」。幼いハニバルが描いた絵の隅に銀の星を張りつけて、母は大絶賛をしてくれた。「すばらしいわ」。「いい子ね」。母からの賞賛はいつでもどんな時でもハニバルを支えてくれた。
母が聖書から書き留めた言葉のメモも見つかった。
イザヤ書第49章15、16節「われは汝をわするることなし。われ、掌になんじを彫り刻めり」
この言葉の意味を問うハニバルにポップは、ある話をする。
昔ある男のところに二人の息子がいた。父親は鳥の形のきれいなネックレスを作り、それを半分に割って片方ずつ、兄弟に与える。兄は正直でよく働くが、弟は怠け者でひねくれていた。弟は父の金をそっくり盗んでどこかに行ってしまう。ところが持っていた金をあっという間に使い果たし、それどころか借金までこしらえ、牢屋にぶち込まれてしまう。その放蕩息子の噂を聞き、父と兄は家畜を売って金をこしらえ、弟を引き取りに行く。そして、弟は自分が悪かったこと、父と兄の深い愛に気づく。
どんなときにも自分のことを忘れないでいてくれる存在(神)がいることを、ポップはハニバルに例え話を通して教えたのだった。
だが、この例え話には続きがあった。
そしてその続きの話は、祖父ポップの人生と深く結びついていた。
改心した放蕩息子に、兄が優しく話しかける。
「これからは二人で仲良くやって行こう。おれたちは二人で一つだ。この鳥のペンダントのように」
弟は、兄のやさしさに耐えられず、顔を背ける
「やめてくれ、おれの顔を見ないでくれ。おれは恥ずかしい」
そのとき振り払った手が、ランプに当たり、ランプの火が納屋の藁に燃え移り、あっという間に、ふたりは炎の中に巻き込まれてしまう。
納屋の火事に驚いた父親は、水をかぶり納屋に飛び込むが、倒れているふたりを共に助け出すことはできない。どちらを助けるか……。父親は息子の一人を担ぎ上げ、炎の中から脱出する。
父親はどちらの息子を助けたのだろうか。
一方、友人のチャーリーは父親にそそのかされて盗みを働くようになり、ハニバルとの距離は離れていく。
ある日、チャーリーは父親といっしょに、ハニバルの家に盗みに入る。
暖炉の上に置いてあるポップの宝箱に目をつけたのだ。
ポップは留守だった。ハニバルは隠れていたが、チャーリーの父親に見つかり、危うく殺されかかる。そのとき、チャーリーが「逃げろ、ハニバル」と叫んで父親を殴りつける。ハニバルは助かり、チャーリー親子は警察に引き渡された。
ポップの宝箱に入っていたのは、一枚の写真。麦わら帽子をかぶったひとりの青年の写真だった。
その時、ハニバルは、ポップが半分に割れた鳥の形のネックレスをしているのに初めて気づく。
どちらも大事だから、どちらも、選べない。
そんな選択の前では、神さまにすべてをゆだねるしかないのだろう。
炎の中から父親が運び出したのは、弟の方だった。
なぜなら、弟の方はまだこの世で学ばなければならないことがたくさんあるからだった。
実際、このような選択を迫られたら、選ぶのは容易くないだろう。
あやまちを悔い改める人生は、たとえ神の愛に包まれてはいても、傷みと哀しみを伴うのではないか。この物語全体が例え話のようだ。信仰を持たない私は言葉を失う。