2023年前半のハイライト
今回は裏庭をお借りして表のはなし、今年前半の出来事を駆け足でお話ししたいと思います。
なんでかっていうと、1月末にクラウドファンディングを無事に走り終えて、走っている間も実に大忙しだったのですが、走り終えた後がさらに怒涛の日々でした。
まさに、怒涛。
早朝、急いでお茶漬けをかき込み、-20℃を下回る寒さの中、雪除けから始まって餌やり水やり、昼食は座る間も無くコカコーラとスナック菓子を詰め込んでそのまま仕事再開、そこからヘッドライトをつけて日没後までノンストップ。なんて感じです。
一瞬の隙間を見つけては写真を撮ったりして、SNSなんかを更新しようと記録はしていたものの、落ち着いてこういうことに割くためのまとまった時間が取れないまますぎてしまったわけです。
春まで
厳冬といって良い厳しい寒さが続いた年明けから2月は、フライング気味で昨年亡くなった種羊のYashaの子供たちが産まれました。
極寒がただ延々と続く過酷な冬の終わりまで、John Deere様(トラクター ね。)が何度かの心停止を繰り返しながらも力強く頑張ってくれたおかげで、人間たちはなんとかやりすごせたのです。(ヤ○マーさんありがとう!)
地獄の雪解けシーズン
そのJohn様もついに動けなくなる事象が発生したのは、ゆっくりとける暇が無いほどの大雨による雪解けで一気に通路がぬかるみ、50cm以上の深さの轍ができはじめた春の初めのことでした。
片方の車輪が深みにはまって、反対側の車輪が浮いてしまい万事休す。
泣く泣く給水タンクの水を捨て、餌のバケツを下ろしてなんとか抜け出したのでした。
放牧地へと繋がる全ての通路が深い轍とぬかるみのために車が入れないという初めての事態です。
人間たちは手分けして、なんとか立ち入れる場所からバケツを手にして歩いて放牧地に餌とポリタンクの水を配りました。
寒かったよね。
そしてぬかるみに足を取られたり、残っていた氷で滑って転んだりしたよね。
雨と極寒が交互に来るえげつない天候のなか、すっかり浸水した豚ちゃんヤギちゃんたちの住まいに、とにかく籾殻や温かい敷き藁を入れてやるため、ブルーシートに山盛り載せて毎日何キロも歩いて引きずり往復してくれた 75歳の鉄人には、まさに頭が下がる思いでした。
全ての水が引いて晴れの天気が続き、ようやく通路が乾いたのはずっとずっと後のこと、5月の終わりに差し掛かった頃でした。
鶏始乳
「にわとりはじめてとやにつく」
七十二候の最後、春になり鶏が卵を産み始めるころのことです。
この言葉がネットニュースに出ていたまさにその日、CURLY FLATS FARMの鶏もひとつ、またひとつと卵を産み始めました。
春の初めての卵は、体の中でゆっくり出来上がってくるために最も滋養味があるという話を聞いたことがあります。
3月
まだまだ気温が上がりきらない中、豚と羊の出産ラッシュ。
生まれる命と亡くなっていく命。
群れの中でも体が小さい豚や弱いものは、連日の厳しい寒さに耐えきれないものがいました。
そして、母親が育児放棄したために人工哺乳で育てていたかわいいかわいい子羊の寅ちゃん。
羊一族のママでファームの始まりから群れをまとめ上げてきた母羊の233(にいさんさん)も今年の春、亡くなりました。
人間たちはこういうことがあるたびに、まだ何かできることがあったのではないか、という気持ちと、生き物だからこういうこともあるのだし、という考えとの間を行ったり来たりしながら何日も過ごします。
新しい出会い
寂しい別れのあとには、出会いの数々がありました。
75歳になるプロの仕事人、そしてはるか南米から来られた力持ち君、不思議な縁でここに来ることになったSunny さんという強力な3人の登場によって、「やろうやろうと思っていてできなかったこと」や「こんなふうに出来たらいいのになーと思っていて出来なかったこと」の数々がみるみるうちに片付いていきます。
オーナーとスタッフ1名、2頭の犬でずっとチームを組んでやってきたところへ新しい風を入れるのは思い切りも必要でしたが、良かったことの方がその戸惑いを吹き飛ばしてくれました。
そして、彼らのおかげでいよいよ、豚の出荷と加工品の製造に漕ぎ着けることができた!というのが今年前半のハイライト最後の出来事でした。