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文才なくても書きたい〜note生活を振り返る〜
なぜ1月から、こうも寒さが別次元になるのか。
フリック入力の手は震え、単純なスマホ操作が辛い。
あぁ、冬の気圧が恨めしい。
年始に昨年の下書きを推敲して投下したところ、思わぬスピードでスキ!を頂きびっくり仰天した。
コレです↓
noteを始めて
この一年、手探りでnoteを書いてきた。
ふと浮かんだテーマを書いて、誰かに読んで頂く繰り返し。
その原動力は、noteのスキ!通知と、母のリアクション。
時にはご褒美のように、noterさんからコメントを頂けたりもする。
私は文章を書くことが苦手だ。
どんな努力をしたら、より気持ちが伝わる文章が書けるようになるのか、全く分からないまま書いている。
良い文章を書く人は、本をたくさん読む人と言われるが、
生憎私はその人種に掠りもしない。
お金をあげると言われても、分厚い三国志やハリーポッターは読めない。
それくらい、文学やファンタジー小説が苦手だ。
国語も毎度酷い点数だったし、読むと言ったら歴史ノンフィクションばかり。
知識は増えるものの学ぶ方向が違うからか、文章力の肥やしになった実感は皆無。
そんな根性無し文才無しの私でも、この寒い部屋の中、冷たい手でスマホに向かい入力している所を見ると、書く作業は好きらしい。
今日勃発した、母とのうまい棒争奪戦のさなかも、頭の中は何をnoteにしようか考えていた。
初志貫徹の時効と日常エッセイの力
現在投稿しているnoteトピックはこんな感じ。
英語の先生の日常+鬱病のこと
語学のこと
日常生活のちょっとしたこと
タイとタイ語にハマった関連
実はタイ沼より深い皇室沼生活
もう一年経ち時効なので言うが、この中でも皇室沼を主軸にやって行こうと決めて、noteを始めた。
その思考自体、今となっては理解不能である。
実際蓋を開けてみると、皇室の事より日常や語学についてのnoteが圧倒的に多く、自分が全くわからない。
そこで、ちょっと考えた。
巧みな文章で書かれた日常エッセイに、この一年たくさん出会った。
ほっこりする秀逸なnoteにインスパイアされ、日常エッセイを書くのにハマった…らしい。
前出の当店人気記事(自称)は、なんの変哲もない日常生活を綴ったnoteだ。
普通の私の、普通の日。
それを評価してもらえることに驚いた。
刺激的なイベントで無くても、誰かの日常には「魅力」が存在するらしい。
タラレバロケット
noteで、様々なプロフィールや文章を目にした。
人様のグローバルな人生や多様な生活スタイルに触れて、急に思った。
自分がもし違う進路を選んでいたら、もっと今とは違う人生があったのかなあ、なんて。
そんな辺鄙な場所に、私のポンコツ思考ロケットは飛んだ。
今頃はもっと違う人生だったかもとか、
そもそも病気にならずに済んだかも、とか。
人生計画通りに行かない。
ずっと健康でいられて、いつか普通に結婚出来ると思っていたし、
ずっと県庁所在地に住んで、好きな時に好きな所へ出かけられると思っていた。
実際は、
普通にぽやんと出来る結婚なんてないし、
治療法の無い病気が3つはありますねと告げられるし、
運命のいたずらで元離島に住み始めたし、
お店がないので貯金は増えたが、田舎左遷感がどうにも解せないし。
車を走らせ15分で買えていた鳩居堂レターセットの、何と手に入りにくいことか。
太宰府に飛ばされた菅原道真の気分てこんな感じなのかな…
かく言うわけで、今年も私は冴えないスタートを切った。
けれど、諦め悪く書き続けるのも才能ならば、いつかきっと楽しいnoteが書けるようになるはず。
期待とポジティブ思考だけを糧に、今日も冷え性の指先をスマホ端末に滑らせる。