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どうしても着たい振り袖なのに、あと2年しか時間がない!


スベスベのうすもも色の繻子地(しゅすじ)に、立涌紋。
大胆な尾羽根の鳳凰の意匠。

これは私のタンスに眠る振り袖である。

白地に草花模様の佐賀錦の帯、紫の平組帯締めも買い、あとは着付けてもらうだけだ。


6年前、伯母が亡くなった。
存命率の極めて低いタイプの白血病だった。

当時私は、30代になったばかり。
今より自分のうつが桁違いに悪かったが、看病のために10ヶ月間病院に通い、残暑厳しい9月に亡くなった伯母を、葬儀屋さんと家に連れて帰り、親戚の対応をした。

亡くなるまでの10ヶ月、ほぼすべての四季を味わいながら病院に通ったことを、鮮明に思い出す。

駐車場から病院までが遠く、物理的にも、心理的にも下を向いて通った。
特に最後の暑い夏、汗だくで病室の扉まで来ると、もうそれだけで重く疲れていた。

果ての見えない看病のなか、そのうち余命が一ヶ月単位と言われた。
毎度伯母から余命に関する質問もされ始め、私はその度答えに窮し悶絶した。

まだコロナ前で少し自由度があったが、伯母は無菌室にいて見舞いは気を使う。

大変だったのは、押し寄せる伯母のリクエスト。
これを貰ったからお返しを買え、
これを受け取りに行ってから遠方知人に送れ、
あのときの御礼品を買ってこい、
手紙の返事を代筆しろ、
髪を洗え、
お茶を変えてきて、
体を拭いて、
看護師に百貨店のハンカチを買ってきて、など。

病院内外を駆けずり回り、一つ一つこなす。
これが10ヶ月。
亡くなる直前、私は私で限界が近くなり、栄養点滴とカリウム注射を受けてなんとか凌いでいた。

そもそも、この伯母とは昔から難しい関係だった。
猫可愛がりされた記憶は皆無だ。

気にしすぎる性格、血液型、HSP傾向、その全てが丸かぶりしているためか、伯母とは喧嘩していた記憶のほうが圧倒的に多い。

そんな伯母のところへ、なぜ私が毎日看病に通い続けられたのか、不思議なくらい当時の自分は頑張っていた。

伯母には家族がいない。
未婚なため、昔から大病で入退院するたびに私と母とで支えてきた。

そんな伯母と私にも、共通の趣味があった。
着物だ。

伯母は着付けができないが、買うことだけはよくしていた。
お気に入りの作家物の手描き友禅の付下げを染め替えたり、
江戸小紋を気まぐれに買ったり、
ぴょんと清水の舞台から飛び降りてすごい値段の着物を買ったりしては、タンスに入れていた。

かたや私は貧乏なので、リサイクルショップで裄(ゆき、首から手首までの長さ)の合う着物を買ってきては、ひとり着付けの練習に明け暮れた。

そして、ちょうど私が一人で着付けできるようになった頃。
伯母が数万の腫瘍マーカー(癌の数値)を叩き出して入院した。


紫の江戸小紋もタンスの中でしつけ糸がついたまま、
年齢に合わせて染め替えしたあの付下げも、
ほかのたくさんの着物もそのままに、10ヶ月の闘病を経て亡くなった。

生前、気に入らないはずの私によく言っていたものだ。
この着物を残せる女の子は私だけ。
あのタンスのものは、すべて私のものだと。

そんな未来、当時は一生来ないと思って聞いていた。
だって口を開けば喧嘩ばかり、怒られてばかりで、そんな施しなんて欲しくもない、とさえ思って悪態ついていた。

まだ温かい遺体を家に戻し安置すると、布団の上からあの付下げをかけたが、
伯母のセンスはさすがだった。
後ろ身頃を中心に、一面に広がる手描き友禅の風景が、あけぼの地に浮かんで、それは美しかった。

結局、あの付下げは遺体に着せず、残すことになった。
形見にふさわしいのは、この付下げを置いて他になかったからだ。
着せて燃やして失うのは、その面影まで燃やしてしまうようで、あまりに惜しかった。

葬儀から少しして、形見分けとして現金をもらった時のこと。

貯金、
美味しいものを食べる、
色々使い道を考えた。
そして結局、あの冒頭の振り袖と帯を買うことに決めた。

着物が届いてからも、果てのない残務処理の6年を過ごしている。
私はもう40近くになり、未婚とはいえ、そろそろあのピンクの振り袖が着にくい年齢になってきた。

せめて30代のうちに着て、写真でも撮りたい。

そして、出来るのならば訪問着に仕立て直す。

口を開けば小言ばかり、
いつも口喧嘩でうまく行かない私達だった。

そんな伯母の写真を見て、今は何故か涙も出ないほどに悲しくなる自分を見つける。

納棺した夜。
真夜中に一人棺桶のフタを開けて、そっと彼女の袖に忍び込ませた手紙。
そこに書いた約束は、まだ果たせてないけれど。

早くあの着物を着た写真を、仏前にお供えしたい。

着物が好きなんだもの。
間違いなく、伯母は今度こそ私の着物姿に喜んでくれると思いたい。


最近見つけた一枚の写真。

生後2ヶ月の私を抱っこして笑う、伯母の写真を見つけて、久しぶりにやっと涙が出た。

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