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中国思想史を想う(6)荘子
荘子の生きた戦乱時代、政治家を目指していた多くのエリートたちが職を失った。失業者となった彼らは、為政者に「このような政治をするといい」と進言するアドバイザーとして雇われ、収入を得ていたという。自分の主張が採用されるために、職にあぶれたインテリたちは各々の主義主張を唱えた。
荘子は、これらの自分が正しい自分が正しいと言い争う「政治コンサルタント」集団に加わらなかった。
老子と同じく、その目線は永遠的な「真」のものに向いていた。ただ、老子が、孔子への強い反発から政治的なことを積極的に云っているのに対し、荘子はどこまでも政治に背を向け、人間の内面に目を向けた。
荘子が「死の哲学者」と呼ばれていたのは、死は疎むものでなく、むしろ喜ばしいこと、死を受け容れずに生だけを受け容れようとすることは生命・存在に対する差別である、という見方からだ。
この「荘子」という書物には、妻が死んだとき、盆を叩いて歌っている荘子自身と思われる描写がある。
「長年連れ添った奥さんが死んだというのに、ちとひどいのではないか」
弔問に訪れた友達の非難へ、荘子はこう答えている。
「いや、違う、そりゃ、わしだって、悲しんでいなかったわけではないよ。だが、考えてみれば、妻は元の世界に還っていくのだよ。我々はあっちから来て、束の間のこの世にいるのだ。これからあっちへ戻ろうとするものを、引き止めるようなことはしたくない。」
美があるからには醜がある。優と言えば劣が生じ、善と言えば悪が生じる。しかし、そのような相対から成り立つものは、真ではない。真理は、相対対立を必要としない。つねに一つなのだと荘子は言う。
言い争いや諍い事は、「自分が正しい」と双方が主張することから始まる。それは対立する相手があって、初めて自分が正しいと言えるのであって、対立がなければ立てない正しさなど、正しいわけがない。
インドから仏教思想が入ってきたのは、老子と荘子の思想が中国に浸透していく頃だった。中国人は、この「輪廻思想」を大歓迎したという。
「何回も生まれ変われるとは、なんて素敵なことだ!」と。
インドには古来から「生きるのは苦である」とする考え方をする土壌があったから、生まれ変わることに対して、おそれる見方をする人々が一般的だった。だが、中国にはそのような思考の仕方が無く、「どんなに苦しくても生きることがイイのは当たり前」とする民族性があった。
かの国にあって荘子は異端すぎる存在であり、老荘思想も一時、歴史から消えかけたという。
それでも、地下水脈のように今も流れ続けているということは、人間にとって必要な、重要な何かがそこに描かれているからであって、忘れてはならないものがあるからだと考えざるを得ない。
それまでの思想家たちが人間限定の、人間にのみ向かった思想家であるとしたら、荘子は人間も自然のほんの一部であることをほんとうに知った、人間だけを見ることのできない、大きな人間であったはずだ。