自由自在の才能暴れる
中平卓馬の写真展を竹橋の近代美術館で観ました。自由自在の才気が溢れていた。森山大道、篠山紀信らがシャッターをきりまくっていた1960年代、1970年代は街に貼り紙がパタパタ貼られ、大学には立看がバリケードのように林立していた。混沌、チグハグが街そのものの氣を放っていたのだということに、当時の写真や雑誌、その表紙が叫んでいた、その気配は霊気が漂う自由自在な才気が放つものなのか。中平は写真史にレボリューショナルな足跡を残したが、おいおい、あんたたちは、いいのかい?と問い詰める。日本版プレイボーイには中平と中上健次と海外を飛びまわる。朝日ジャーナルも、そう。中平はさまざまな雑誌に寄稿しており、時代を切り取る凄みがある。雑誌はタイムマシン、まさに時代の鑑。新聞社系のグラフ誌、いわゆるジャーナル誌も姿を消した。ケータイからスマホそしてAI時代は、街はどんどん画一化している。テントで芝居をうっていた集団もない。ニュースではネット空間ではさまざまな意見が飛び交う、と報じる。匿名化が個性を削り取る。表面、コスパだのなんたかんだ便利になるが、なんだか面白くない。それにしても東京はにょきにょき高いビルばかりになったな。もっとごちゃごちゃ、グチャグチャが居場所になるのになあ。