子どものもってる可能性

ふと思い出したことがあります。これはおよそ5年前の10月、私は大学生で、こども食堂のボランティアスタッフをしていたときの話です。大学を卒業した現在もそこでボランティアスタッフをしています。日曜日のお昼の時間にこども食堂はしています。

話の舞台となる場所について

私がスタッフとして行っている子ども食堂は個人経営している喫茶店を使っています。見た目は大きい一軒家で、家と同じくらいの広さの庭があります。近くに空き地があり、そこを駐車スペースとして借りてます。そのこともあって、車で来られる人が多いです。

庭に遊べるスペースを用意してあるのが他の子ども食堂との違うところだと聞いてます。そのため、店の中で食事をしたあと、庭で遊んで帰る家族が多くいました。けん玉、オセロ、縄跳び、他にもいろんなものを用意していました。季節に合わせたものもできる範囲で用意していました。その日は前回の9月にも好評だった家庭用のプールも用意しました。正直な話、寒くなっているので誰もしないと思いましたし、実際誰も行きませんでした。ある子どもが興味を持つまでは。

子どもの可能性を感じた状況

子ども食堂の終了時刻の20分前、そこには3組ほどの家族がいました。この後の話を分かりやすくするため、各家庭をA、B、Cとします。どの家庭も母親はいましたが父親がいなかったのはなぜでしょう。その辺の事情は聞いていないので分かりません。

Aの子ども(当時3歳)がプールの水に興味を持ちました。少し触ることもしていました。他のスタッフさんが、入ってみるように促しました。母親は(多分)子どものためと思い、服を脱がせてプールに入れました。庭は壁で囲まれていますので、道路から見られる心配はありません。
Aの子どもは自閉症の診断がついたばかりで、他の子どもとの関わり合うことができるか、子どもがよくする遊び(おままごとなど)に興味を持たないことを母親が心配されていました。プールは初めて見たと思うのですが、不思議なものだと思っていたのでしょう。水に触れて遊んで、水になれた頃にプールの中に入れました。

自閉症のある子どもが1人、プールで遊ぶ。
バシャバシャ
キラキラ
ポタポタ

その様子を見ていたBの子ども(当時2歳)も、プールで遊びたいと母親に言ってました。「着替えがないから手だけね」と言ってプールで遊ばせてました。それでも入りたがっていたので、近くにいたスタッフさんが母親に「タオルありますので、服を脱がせて入らせてもいいと思いますよ」と伝えていました。そのことにより、子どもの服を脱がせてプールに入れました。各々で遊んでいるのですが、2人でプールを楽しんでいるようでした。

それを別の場所で遊んでいたCの兄妹(当時6歳と4歳)が見ており、遊んでいたおもちゃを置いてプールのほうに向かっていきました。そして、お兄ちゃんが服を着たままジャバーン。妹は控えめにザバーン。

それにびっくりしたAとBの子ども2人。でも、Bの子どもはCの兄妹に水をかけていきました。それを見てAの子どもも水をかける素振りをしました。

それを見ていた母親たち。Bの母親がCの母親に服をぶらしてしまったことを謝っていましたが、Cの母親は気にしないでと言っていました。そこで遊んでいる様子をスタッフも含め全員で眺めていました。

この状況から読み取れること

自閉症のある人は自分の世界に入りやすい傾向があります。この状況でAの子どもは、プールで遊ぶことで自分の世界に入っていました。それが、近くにいた子ども達が興味を持ち、一緒に同じことをする。いわいる平衡遊びという、同じ遊びをしているが一緒にではなく一人で遊んでいる状況にはありました。ここから同じ遊びをしている子ども達と一緒に水をかけ合って楽しむところまでいけは、子ども同士での関わりを持てるようになります。その前の段階までAの子どもは成長していました。年齢相当の発達はしていました。周りを見て真似をすることができるのです。その姿を見た母親は、他の子どもと一緒に遊べることに安心していました。

他の子ども達は時期外れなこともあってプールには興味を持っていなかったと思います。それを誰かが遊んでいるのを見て、「やってみたい」と思って同じことをしていく。周りのことに興味を持ち、自分でしたいと思うようになるのです。その思いを伝える方法を(大人から見て)間違えているとしても、できるだけ応えることで子どもは満足してくれます。Bの子どもは水の中に入りたかったので、最終的にCの子ども達のように服を着たままプールに入っていたかもしれません。

念のために…

Bの母親はCの母親に子どもの服を濡らしてしまったことを謝っていました。水をかけている場面のみを見ていたのでそう思うのも仕方ないです。Cの母親は「いいですよ」と許していましたし、その後に子どものことを話し合っていたのを覚えています。子育ての不安などを話していたのだと思います。その中にAの母親も入って楽しく会話していました。

Cの子ども達の服は思いっきり濡れていたので、母親が一度帰って新しい服を持ってきました。びしょ濡れのまま帰ることはしていません。
服の寄付もあって、自由に持ち帰れるようにしていました。その服を着て帰ることもできたのですが、子どもたちが嫌がっていたのでやめています。

ちなみにで言うことでもないけれど…

この話は大学の講義で「子どもの良いエピソードを話してください」という課題で発表したものです。ここまで詳しく話していないですが、子どもの持つ可能性を感じた出来事として発表しました。

ここから私の言いたいこと

子どもの持っている可能性はいろんなところにあります。親同士を結びつけることも可能です。障害の診断があってもしっかり成長します。私たちが勝手につくった限界を壊してくれます。

私たち大人から見たとき、何ができるのか分からないという不安はあります。しっかり向き合っていくことで、子どもの姿が見えていきます。そんなことも感じさせた出来事でした。

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