『なんでもみつかる夜に、心だけが見つからない』を読んで

心の補助線を引く

この本の中で気持ちを整理する時に何かしらの基準で線引きをして、その中でどのような気持ちが出ているのかを見ていきました。

線を引いてから、こっち側ではこのように感じている、もう一方ではこのように感じている、というのが見えやすくなります。そのなかでどのように気持ちを整理していくのか、これを考えていくのだと思います。どちらか一方がいいものというわけではなく、線を引いて相反する2つの気持ちに向き合うこと方法を示してくれたと思っています。

心の補助線の引き方は7つあります。その中で私は「シェアとナイショ」の補助線の引き方に関心を持ちました。

シェアとナイショ

まず、シェアの関係とナイショの関係が「共同性」と「親密性」にあたることを抑えておきます。ざっくり言うと、シェアとはみんなで同じことを共有すること、ナイショとは特定の人とだけの何かを共有することだと思います。詳しい説明は本で見てもらうのがいいのですが、シェアが傷つけない関係、ナイショが傷つけ合う関係とされています。念のため言いますが、ここで言う傷は、物理的な怪我のようなものではないです。

特に関心を持ったこと

私にとってナイショの関係が必要であることは分かります。誰かと秘密を共有することで繋がりを感じることがあるからです。

しかし、私の持っている秘密は人には理解されないことが多いため、誰にも言えないこともあります。その秘密を打ち明けることで聞いた人は傷つき、関係に変化が起きます。それを避けているようにおもうのですね。

人は傷つけられ傷つける関係のなか、お互いに考え、共有し、認め合う関係になるのができます。それができないのが私なのですね。

自分の気持ちをしっかり伝える、それを相手がとのように受け止めたのかによってお互いが傷つき合う、それを修復すると深い関係になれる。このことも必要なこともあるのだというのです。私にはこのような傷つき合う関係になった人はいないような気がします。

この本で感じたこと

心の補助線を引くことは、人との関係や自分の気持ちがどのようになっているのかを把握する目安となるのだと思います。補助線を引くことで、どちらかが良いとか悪いとかではなく、両方の思いに揺さぶられているということにまず気づくことができるのです。そこから、どうしたいのかを考える。誰かに協力してもらいながら、最善でなくても良い方法をとれるようにしていくことができるといいなと思います。私にはナイショの関係を築くことを拒んでいるので少し難しいかな…

自分でも見えない今の気持ちを少しでも把握できるような仕組みとして、補助線を引くことができるのだろうと思うのです。

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