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この時代にルッキズムに抗ってみることにしました。

顔が良ければすべてよし?結局世の中顔?
そんな世の中ぶっ壊す!中身で生きてこやーーー!

なんて熱量はなく、ある程度そんな価値観は認めているつもりである。
特に女性は顔でジャッジされる場面は人生で何回か遭遇するし、
見た目をコンプレックスに思っていない子なんてクラスに1人か2人いるくらいだと思う。そのくらい見た目の問題に人生のかなりの割合を割いている。

私もその一人である。
私には右ほほに直径2㎝ほどのまあまあでかいほくろがあり、小学生の時はそのほくろについてやいのやいの言われた。(それマッキーで書いたんかー)泣いた記憶はないし、なんだかんだ私も言い返していた気がするけど(お前もでかいぶつぶつあるやんけー)
やっぱりおっきいコンプレックスになった。

高校生になったらそんな失礼なことをいう輩は周りにいなくなったけど、見た目で悩むことはなくならなかった。
高校生になったらスマホも自由に学校で使えるようになって、周りの友達にSNSをしている人も出始めた。写真を撮る機会が多くなった。
私服の学校だったので文化祭の時には「ここは竹下通か」といわんばかりにおしゃれをしまくった友達に囲まれた。

そんな流れに乗れない自分を責め・・・・・たわけではなかった。
幸い自分はまあまあとがっていたもんで、ダサい服をきていても、一限終わりに弁当を食べても、恥ずかしいとは思わなかった。
そんな私を友達は面白がってくれたし、別に悪い関係ではなかった。

だけど前にも言った通り女子には「ジャッジ」される時が来る。
(男性もありますよね。すいません。)
可愛い子にだけ話しかける男子。
可愛い子だけで身の回りを固めたい女子。
その子たちの視界に私が写っていない、または写そうとしていない様子は
空気というか、雰囲気でわかった。
その子たちだけじゃなくて私も、私をジャッジした
一カ月に一回くらい生理前で気分が沈んでいるとき、写真や廊下の大きい鏡をみて、悔しいけどブスだなぁって思っちゃった。

そんな自分を否定して可愛くなる努力を・・・始めたわけではなかった(笑)
私はいつかすばらしい才能を発揮して、見た目とか関係ない世界に行くから
て思ってた。
当時の私すごいよな。どこからそんな自信がわいてくるんだか。
今はそんな風には思えない。
だけど大学生になってある程度見た目を整えた際に思ったことがある。

私が「可愛い」と思うものってこの世の中で定義されているものたちなんだろうか?

長くなってしまったので次回に続く。。。。

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