業界人の恥ずかしさ | 2025年問題と未来へのわくわく
業界人の恥ずかしさ
デザイン業界に20年います。リラクゼーション業界にもいました。アルバイトは、テレアポとか飲食とかアパレルとかいろいろやりました。
業界には専門用語がありますが、略語もあります。「美術手帖」は「びてちょう」、「デザイン専門学校」は「でせん」、「プロダクト」は「だくと」など。きっと短く言う方が楽だから、省略語があるんですよね。
私はこれが恥ずかしくて恥ずかしくて。聞いてても恥ずかしい。
でも、「自己推薦入試」を「じこすい」と言うのに慣れてきている自分に焦っています。「じこすい」って「肝吸い」みたいでしょ。いつも肝吸いを思い出します。
業界人としてカッコいいと思って使っている人もいれば、何度も聞いているうちに耳馴染んで自然に使う場合もあると思います。
業界に馴染むということ自体、私にはなんだか恥ずかしく思えるのです。どこかで客観的にいたいのでしょうか。どっぷり浸かると、周りが見えていない感じがするからかもしれません。
仕事をしていれば、やらなくてはいけないこと、やるべきことがありますが、地球規模や宇宙レベルで考えればどちらでも良いことばかりです。そのときの自分がそれをやっているだけです。
2025年問題
2025年問題というのがあります。
2025年の7月5日に、隕石が地球に落ちるとか、地震が起きて日本の陸地が3分の1になるとか、とにかく天変地異が起きて多くの人が亡くなるというあれです。ネットではだいぶ賑わっていますね。
ナオキマンの対談に出てくる方も、何かは起きそうと言う方が多い。でも、集合想念でプラスに働きかければ、被害を小さくしたり、平和なパラレルに行けるのではと考えているようでした。
私もそれに賛成で、多少の備蓄はしつつ、恐れながらそのときを待つという心境ではありません。それよりも、そのあとの地球のほうが楽しみです。
地球のアセンション(次元上昇)にも関わっていると思うからです。
死んだら死んだで、元いた大きな意識に戻れるので、安らぎでオッケー。食いしん坊の私は、今のうちに美味しいものを食べておこうとは思っています。
そのような、世界を良くする考え方や生き方のほうが断然大事なので、この世的な仕事にどっぷり浸かるのは、なんか違うとなってしまうのです。
でも、略語を使う人を見下しているわけではないです。言葉なんて好きに使えば良いですね。
「じこすい」→「肝吸い」、うふふと思っているだけです。
ナオキマンのイベントに行くよと言う記事は、こちらからご覧ください。
次元上昇と地球はエンタメ修学旅行だよの話は、こちらからご覧ください。