「お手本になれ」の勘違い | 他人にあれこれ求めない
「君は後輩の手本になれ」と言われて違和感を覚えました。
母に「お手本になれって言われたよ」と話したら、瞬間的に私と同じ感想を述べていたので、これはわかる人にはしかわからないタイプのテーマなのだと思い、記事にします。
私は『踊る大捜査線』の青島くん(織田裕二)と同じ、係長です。係長って、しがないサラリーマン感があって嬉しくない響きです。
それはさておき、「後輩のお手本になれ」と言われますが、お手本って自分からなれるものではないですよね。私の母もそう言いました。
自分で「よし、お手本になれる人になろう!」と思うのは良いし、「あの人をお手本にしよう」と思うのも自由です。なぜ、お手本になろうと思ってなれるものではないのか。
何を目指しているかが人によって違うからです。
エリートコースを歩みたい人。
これまでの組織の慣習を変えたい人。
このふたりがいた場合、お手本にしたい人は異なるということです。
「お手本になろう」と思うところまでは自分の意思なので良いのですが、なれるかは別の話で結果論です。
まずは、「お手本になれ」という人がお手本になれているのか、自分に日々問うというのも大事ですね。謙虚さがないと、他人はその人をお手本にしようとは思いません。
これは、厳しい指摘ですね〜。人にあれこれ求めるものではないということですね。
上司は部下を教育できるのかという記事は、こちらからご覧ください。