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狂った世界を元気に生きる | 矢作直樹さんと死生観
矢作直樹さんが好きです。
東京大学名誉教授で救急医療に携わっていた方で、医者でありながら『人は死なない』という書籍を出したり、縄文文明の精神性をお話しされるなど、まぁとにかく素敵なのです。
今回は、矢作さんのお話しから感じたことを書きます。
大正生まれくらいまでの日本人は、今とは死生観も違い、死を恐れる感覚も少ない人が多かったようです。近年は、死は恐ろしいもので、死ぬことは忌避すべきことという風潮があります。そのため、延命治療が当たり前になり、より良く死ぬ医療、生きているあいだの質をあげる医療はあまり人気がありません。これは患者やその家族の死生観の変化でもあります。
戦前は介護保険なんてものはなく、人は老いたら介護されないといけない状態になるという、状況の洗脳がおこなわれていると矢作さんは言います。お医者さんは患者さんを増やしてお金をむしり取りたいのだそうです。
最たるものが抗がん剤。医者はその毒性を知っているので、自分には抗がん剤は使わないと言っています。お医者さんは、患者さんのためを思って治療しているわけではないということですね。税金もそうで、政府は国民のために税金を増やして使っているわけではない。狂った世界になっています。
この「世界は狂っている」という理解がまず大事だと、私は考えます。何も知らない人をお花畑と揶揄したりしますが、言い得て妙。知っておくことは重要です。
この狂った世界をどう見るか、自分はどう生きるかが大切です。狂った世界であると理解したとしても、嘆く必要はありません。
ひとつは楽しむこと。狂った世界をすぐに変えることはできませんが、この世界で自分の心の安寧を築けたら良いですね。自分の外側にあるものは幻想なので、自分の心がどうあるかに焦点をあてます。客観性ですね。面白がれば良いのです。
よく考えれば、自分ならこんな狂った世界は作らないですよね。それを誰かがやってくれているから、こんなコントな世界を体験できるんですよね。矢作さんは、「今日も元気に狂っている」と笑っていました。
狂っているのも善悪ではなく、ニュートラルに存在するものと考えたら良いのかもしれません。狂っていることにも気がつかない人、狂っていることに嘆き悲しむ人、狂っていることから学び自分ができることをする人、というようにその状況からどうするかは各人に委ねられています。
また狂った世界を作っているほうも、ある意味その役を演じてくれているわけで、カルマには何らか刻まれるのでしょうが、善悪ではないと一度咀嚼すると違った見方ができます。
かなりカオスで過渡期な世の中ですが、どっぷり浸からずに楽しみましょう。