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40歳を前にして思う事。(後編)

こんにちは。徒歩です。
前回は、40歳をこれから迎えるにあたり、僕の今までの人生の総括として、自分で良かったと思う事や人間関係を通して学んだ事等を書きました。

後編では、主に良くなかったと思う事、また、それを踏まえた上で僕が考える幸せについて書いて行こうと思います。

※やや長文ですが、お暇な方は、最後まで読んでいただけたらありがたいです。

良くなかったと思う点は、これにつきます。

女性とのお付き合いや婚活等、もっと積極的にやっておけば良かったなぁ。という事です。

自分は、いわゆるモテないタイプの人間です。なので、そういったものに参加しても、辛い思いをするだけじゃないのか。相手方の女性にも悪いんじゃないのかと思い、今まで遠ざけていました。

しかし、ここ数年で、種々の出来事があり、(祖父の死や、友人の死等)、思う所がありました。

友人の死に関しては、友人は、小さい頃、僕の近所に住んでおり、(僕の世代は同じ地域に子供が沢山いた世代でした。) 歳は、僕よりちょっと年上(5個位上だったかな。)で、僕たちから見ると、近所のお兄ちゃん的な人でした。楽しい事が好きな人で、小学生〜中学生の終わり位まで、多感な時期を一緒に過ごし、良く遊んでもらったからものです。
(当時)お金なんてほとんど持っていませんでしたが、毎日が本当に楽しかったのです。
大きくなってからは、それぞれのコミュニティができ、疎遠になってしまいましたが、子供時代の記憶の多くがその友人との思い出で彩られていました。

その友人が人知れず闘病をしていた事、結婚をしていた事を、亡くなる直前に友人からの電話で、初めて知りました。その時は、突然のことで驚き、狼狽えるばかりでした。

しかし、通夜が終わって、一人、後で振り返ると、そうだよな。と。それだけの時間が過ぎているのだし、僕を含めて周りの人も、いつ何が起こってもおかしくはない年齢になったんだなと。しんみり思いました。

祖父の死に関しては、僕はいわゆる、外孫なんですが、初孫だったという事もあり、祖父母によく、可愛がられていました。(自分ではそう思っています。)

僕は、幼い頃から人見知りで、そんな僕を祖父母はとても心配してくれいた様です。祖父母の家に泊まりに行った際には、近所を一緒に散歩して、近所の人に引き合わせてくれたり、川へ釣りに行ったり、山へ山菜を取りに行ったりと、よく面倒を見てもらった事を今でも良く覚えています。

“徒歩は、優しい子だから大丈夫。大丈夫だよ。”
と、悟すように言ってくれた事を、今でも覚えています。

恥ずかしい事に、僕は、いい歳になっても、おじいちゃん、おばあちゃん子でした。

※話がそれそうなのと、祖父の死に関しては、少し思い入れがある為、後日また、記載したいと思います。

そんな祖父母は、いい歳をして、まだ一人でいる僕の事をずっと気にかけていてくれた様です。

自分達が元気でいる内に、徒歩が、誰かいい人と一緒になってくれたら。とずっと願ってくれていた様です。

そんな祖父が、3年前の冬の朝に、自宅で息を引き取りました。

この時も、突然の事で、気持ちの整理が付かず、もう会う事も、出来ないし、声を聞く事もできない。

そばで付き添っている、ばあちゃんの背中越しに、情けない声をかける事位しか出来ませんでした。

そして、じいちゃん、ばあちゃんが望んでいた事を何も出来なかった。安心させてあげられなかった。

悔しさと、情けなさと、やりきれない思いが、切なさと悲しい、さみしい気持ちとごっちゃになって、

葬儀の際に、じいちゃん、ばあちゃんの顔を見るたび、涙が止まりませんでした。

こんな、どうしようもない中途半端な孫でごめんね。

祖父が亡くなる前の、僕は(今でもですが)、女性とのコミュニケーション能力ゼロ。モテないし、これといって取り柄もない。付き合う事すらできないのに、これはもう、しょうがなんじゃないか。と思っていました。

しかし一方では、若さゆえの余裕というか何というか。いずれは何とかなるんじゃないか。という何の根拠もない、淡い期待もありました。

しかし、自分からは何も行動する事はせず‥。自分の事なのに、他人事の様な感じで事の深刻さを、正面から受け止めようとせず、見て見ぬふりをしていました。

自分を、日常の中に埋没させる事で、問題から逃げていたんだと思います。

閉じられた、日常というダメな安心できる箱の中に自分を押し込めていたのだと思います。

自分が傷つく事、嫌な思い(自分を受け入れてもらえない、嫌われてしまうかもしれない。まだ少しだけ残っている自尊心をへし折られてしまうかもしれない、関わった相手方に嫌な思いをさせてしまうかも知れない。またそう思う事への恐怖等)をする事から逃げていたんだと思います。

結婚については、外部の人等からも、職場に、これだけ女の人(女性の職員の事)がいるんだから、(僕の職場は平均年齢が30歳前半位で、男女比が半々位です。)いい人いくらでもいるじゃない!と言われますが、

そういう事じゃないんです。もとから、そのカテゴリーに入ってないんですよ‥。問題は僕にあります‥。
(※モテない人は、この気持ち分かっていただけると思います。あえて深くは書きません‥。)

この様な膠着した状態で、時が経ち‥。

当然ながら、自分と同じように、周りも歳をとっていくわけで。

周りは、順調に結婚したり、所帯を持ったりしているのに、自分だけ全く変化無く、一人年老いて行く。

そして、そこで、初めて気づくのです。これまで、変化しなかった自分に加え、更に老いが加わり、変化する可能性がほぼ無くなりつつある自分に。

現状維持するのだけで手一杯で、頭や身体、あらゆる部分が劣化していくし、その自覚もある。ものに対する考え方等もどんどん凝り固まっていく自分に。

他の人が、家庭中心に生活をシフトさせていく中で、未だに自分中心の生活を送っており、その生活さえも、どんどん空虚なものなっていく、情けない自分に。

自分には、何も無い‥。一体、自分はこの長い時間をかけて何をやっていたのだろうと‥。

仕事は、生きていく上で、もちろん大事な事です。
しかし、仕事以外で、もっとやっておくべき事が他にあったのではないかと。

それが、僕にとっては、最も苦手であり、避けて通ってきた女性との付き合いではないのかと。

他の事(趣味等)をして、一時的な楽しみで、ごまかしてきたけれど、満たされるはずがありません。ごまかしきれない現実が目の前に来ています。

もちろん、お付き合いは、相手があっての事です。そういう場(婚活等)に自分を置いみて、本当に向いていなければ、それはしょうがない事です。

今までそんな浮いた話が一つ無かった事からも、お釣りが来る位モテない事は承知の上です。

しかし、何もせずに、そのまま終わってしまうのは、違うんじゃないか。自分と関わってくれた人に対しても、何より、自分に対して、とても無責任な事をしているんじゃないかと思いました。

最低でも、”やってみたけど、ダメだった。”と思って、終われるよう、とても遅くなってしまいましたが、婚活というものをやってみようと。決心した次第です。

“じいちゃん、ばあちゃん、徒歩は、頑張ってみるよ。”

30代以降、特に30代半ば過ぎになると、それまで当たり前であったもの、自分の身体の健康(持病等、治らない病気を抱えたり)や、大切な人を亡くしたり、といった。

それまでの人生で経験しなかった事、得る事よりも、失っていく事の方が多くなっていくという感覚、経験をする様になるんです。

そして、大切な何かが損なわれた時、今まで当たり前であった事が、とても尊いものであったと、その時、改めて、実感するんです。

そして、それがもう戻らないことも。

そして、幸せにも感じ方の種類があり、渦中に感じる幸せもあれば、幸せを通り過ぎた時に、

あぁ、あの時が、幸せだったな。と感じる、幸せの感じ方もあるんじゃないのかなと。

話を戻すと、僕にとっての幸せとは、その時期に、経験しうるはずの事を、(向き、不向きにとらわれず)ちゃんと経験する事で、周りの人と、年齢に応じた共感を、お互いに持つ事ができ、人と人との間で、繋がりを感じていられる事だと思いました。

そして、重要な事は、日常の生活の中で、渦中(現状の今ある)の幸せを見失わない事。

それを、実感出来る感度を落とさないようにしていく事。

その上で、その時、幸せだった。精一杯やったという”過去“を、“現時点”で、作っていく努力をしていく事。

これが大事ではないかと、40歳を前にした今、しみじみと、感じているわけでございます。

そして、同時に、失う事への感度も落とさないように、(慣れてしまわまように)悲しい事や悔しい、やりきれない思い、感情をそのままの形で、逃げずに、正面から受け止めていく勇気を持つこと。強さを持つことを僕の小さな心に決めた次第でございます。

話が長くなりましたが、こんな駄文を、最後まで、読んで頂きありがとうございました。

それでは、今日も皆さんの一日が、良い一日であるよう、社会の片隅から、ひっそりと応援しております。

徒歩より。

※youtubeも不定期で、更新しております。(5分程度の軽い読み物動画です)お暇な方はどうぞ。

訂正:2022年子供がなりたい職業ランキングです。





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