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映画“トゥルーマン・ショー”を観て。

先日、Amazonプライムでジムキャリー主演のトゥルーマン・ショーを見ました。当時も見た事あって、すごくいい映画だなと思い、感動したのですが、今回改めて見てみて、また新たに感じた事等あったので書いていきたいと思います。

※映画好きで観てますが、語れるほど詳しくありません。本当にただの一般人の感想です。

1998年 アメリカ 
“トゥルーマン・ショー”
1時間43分

あらすじは以下になります。

(あらすじ)
人生のすべてをテレビのリアリティショーで生中継されていた男を描いたコメディドラマ。離島の町シーヘブンで生まれ育った男トゥルーマン。保険会社で働きながら、しっかり者の妻メリルと平穏な毎日を送る彼には、本人だけが知らない驚きの事実があった。実はトゥルーマンは生まれた時から毎日24時間すべてをテレビ番組「トゥルーマン・ショー」で生中継されており、彼が暮らす町は巨大なセット、住人も妻や親友に至るまで全員が俳優なのだ。自分が生きる世界に違和感を抱き始めた彼は、真実を突き止めようと奔走するが……。主人公トゥルーマンをジム・キャリー、番組プロデューサーをエド・ハリスが演じ、第56回ゴールデングローブ賞で主演男優賞と助演男優賞をそれぞれ受賞。「刑事ジョン・ブック 目撃者」のピーター・ウィアーが監督を務め、「ガタカ」のアンドリュー・ニコルが脚本を手がけた。

映画.comより

誰しもが、一度は疑問に思った事があるのではないでしょうか?

自分は自分の人生を、ちゃんと自分で選んで生きたのだろう(生きているのだろう)か?と。

ある日、その根幹を揺るがされるこの主人公。
人生の大半を、家庭環境、自らが抱えているトラウマさえも(無意識に街を出ようと思わないように)、周囲に誘導されて生きている事に気づきます。

自分の頭で考え、受け入れ難い事実を少しづつ受け入れ、自分のアイデンティティを揺さぶられながらも、前に進んでいく姿は、心を打たれるものがあります。

最初はコメディタッチで、要所要所でそのタッチは残しつつも、徐々にシリアスな雰囲気に変わっていきます。

主演のジムキャリーの奥深さが垣間見えます。

観終わって、改めて驚いたのが、この映画が公開された年が、1998年。今から26年も前なんですよ。

(冬季)長野オリンピックやフランスのワールドカップとかが開催されてた年です。

SNSはおろか、携帯電話の一般家庭への普及率も、PHSを含めて32.8%。携帯電話もこんなの。

電話帳の機能すら怪しい…

パソコンもインターネットも(あったかもしれないけれど)一般家庭には、まだなかった時代。

そんな時代に、この発想、作品が作られた事にも驚かされましたし、一見、設定にかなり無理があるように思いますが、視点をかえてみると、2024年の現在に通ずる所が多いことにも驚かされます。

YouTubeの個人の生活の切り抜き動画(V log?)みたいなものや、そこに商品やスポンサーが入り込んでくる所なんかは、ほぼ今と同じじゃないの?と思いました。

そして、ふと、自分はどこまでコントロールされて生きているのか、考えさせられもしました。

個人的に特に印象に残ったのは、主人公が“壁”に触れるシーンとラストの対話のシーンです。
(※詳しく書くとネタバレしてしまうのでこのくらいの説明で)

この“壁”は、物理的な”壁“としてだけの意味なのか、もっと広い(精神的・心理的な?)意味も含んでいるのか、観る人によって、解釈が分かれる所ではないでしょうか?

ジーンときてしまいます。

その後の助演のエド・ハリスとのラストシーンも、グッと来るものがあります。どちらに感情移入できるのかは、観る方の立場によって変わってくるのではないでしょうか?

ストーリーそのものも面白いのですが、ストーリー上に置かれている色んなものに、比喩や風刺が含まれている様な気がして。なんかとても深いなぁと個人的に思いました。

生きてて、何か同じ所をグルグル回っているような感じを持たれている方、人生の停滞を感じているような方、(私もでしたけど…)

観てみると、ちょっと背中を押してもらえる、前向きさせてもらえるかもです。

感想になってますかね?

※本日もお疲れ様でした。
社会の片隅から。徒歩より。

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