映画“トゥルーマン・ショー”を観て。
先日、Amazonプライムでジムキャリー主演のトゥルーマン・ショーを見ました。当時も見た事あって、すごくいい映画だなと思い、感動したのですが、今回改めて見てみて、また新たに感じた事等あったので書いていきたいと思います。
※映画好きで観てますが、語れるほど詳しくありません。本当にただの一般人の感想です。
あらすじは以下になります。
誰しもが、一度は疑問に思った事があるのではないでしょうか?
自分は自分の人生を、ちゃんと自分で選んで生きたのだろう(生きているのだろう)か?と。
ある日、その根幹を揺るがされるこの主人公。
人生の大半を、家庭環境、自らが抱えているトラウマさえも(無意識に街を出ようと思わないように)、周囲に誘導されて生きている事に気づきます。
自分の頭で考え、受け入れ難い事実を少しづつ受け入れ、自分のアイデンティティを揺さぶられながらも、前に進んでいく姿は、心を打たれるものがあります。
最初はコメディタッチで、要所要所でそのタッチは残しつつも、徐々にシリアスな雰囲気に変わっていきます。
主演のジムキャリーの奥深さが垣間見えます。
観終わって、改めて驚いたのが、この映画が公開された年が、1998年。今から26年も前なんですよ。
(冬季)長野オリンピックやフランスのワールドカップとかが開催されてた年です。
SNSはおろか、携帯電話の一般家庭への普及率も、PHSを含めて32.8%。携帯電話もこんなの。
パソコンもインターネットも(あったかもしれないけれど)一般家庭には、まだなかった時代。
そんな時代に、この発想、作品が作られた事にも驚かされましたし、一見、設定にかなり無理があるように思いますが、視点をかえてみると、2024年の現在に通ずる所が多いことにも驚かされます。
YouTubeの個人の生活の切り抜き動画(V log?)みたいなものや、そこに商品やスポンサーが入り込んでくる所なんかは、ほぼ今と同じじゃないの?と思いました。
そして、ふと、自分はどこまでコントロールされて生きているのか、考えさせられもしました。
個人的に特に印象に残ったのは、主人公が“壁”に触れるシーンとラストの対話のシーンです。
(※詳しく書くとネタバレしてしまうのでこのくらいの説明で)
この“壁”は、物理的な”壁“としてだけの意味なのか、もっと広い(精神的・心理的な?)意味も含んでいるのか、観る人によって、解釈が分かれる所ではないでしょうか?
ジーンときてしまいます。
その後の助演のエド・ハリスとのラストシーンも、グッと来るものがあります。どちらに感情移入できるのかは、観る方の立場によって変わってくるのではないでしょうか?
ストーリーそのものも面白いのですが、ストーリー上に置かれている色んなものに、比喩や風刺が含まれている様な気がして。なんかとても深いなぁと個人的に思いました。
生きてて、何か同じ所をグルグル回っているような感じを持たれている方、人生の停滞を感じているような方、(私もでしたけど…)
観てみると、ちょっと背中を押してもらえる、前向きさせてもらえるかもです。
感想になってますかね?
※本日もお疲れ様でした。
社会の片隅から。徒歩より。
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