(連載小説:第21話)小さな世界の片隅で。
歩は、手洗い〜手指消毒を済ますと、急いで奥へ向かった。
杉山さんが意識したかどうかは分からないが、
その聴きなじみのあるやりとりは、歩が入職した時と同じ声掛けだった。
遠くから海野さんの視線を感じた。
振り返ると、お茶の配膳をしていた海野さんが、こっちを見て軽く微笑んでいた。歩と目があうと、そのまま小さく頷いた。
歩も小さく頷き、そのままリハビリへ入った。
起きた出来事を消化する時間もなく、慌ただしく、午前が終わっていった。
(X-3日)
慌ただしく昼食を済ませて、午後の業務に入る。リハビリ室のパソコンでカルテをチェックする。発熱や、大きな状態変化ある人はいなそうだ。N95、アイガードを装着し、病棟へ向かった。
歩は、病棟へ向かいながら、午前中の出来事を思い返していた。
海野さんと話した今朝のニュースの事や、ラジオDJのお便りコーナーの話、送迎途中で見かけた黒いシャツの若者。
別々の出来事が、何故か歩の頭の中で引っ掛かっていた。
何故引っかかるのかは、自分でも分からなかったが、その出来事のどこか遠くで、自分も関係している様な気がしていた。
当事者でないのに、当事者であるかのような不思議な気持ちがしていた。
そして、ふと、頭の片隅に、あの河原のいつもの散歩コースの風景が立ち上がってきたのだった。
”…。”
歩いていると、担当の石野さんの病室の前につき、中へ入った。
4人部屋の病室の左奥のベッドに、石野さんが寝ていた。
ベッドサイドで手指消毒をし、石野さんに声をかける。
”石野さん、こんにちは。体調どうですか?リハビリお願いします。”
”…。”
普段通り、寝たきりの状態の石野さんからの返事はなかった。
石野さんに軽く会釈し、バイタルを測定する。
ポジショニング枕をどけ、側臥位へ体交。頸部~肩甲帯のマッサージ、可動域訓練からリハビリを始めた。
拘縮と緊張で硬くなった筋肉~関節をほぐしながら、可動範囲を拡げる様にゆっくり動かしていく。
石野さんが寝ているベッド脇の窓は、空気の入れ替えの為か、軽く開けられていた。窓にかかる白いカーテンが、外から吹きこむ風を受けて、ゆらゆらと軽く揺れている。カーテンの隙間から、午後の穏やかで淡い日の光がこぼれ、ベッドの布団の上をチラチラと優しく照らしていた。
しばらくすると、部屋の入口の方から、”失礼します。”と声が聞こえ、
鈴川が部屋に入ってきた。
”米山さん、こんにちは。リハビリお願いします。”
”…。”
鈴川は、同室の隣の米山さんのリハビリに入ったようだった。
しばらくすると、カーテン越しに、鈴川が声をかけてきた。
”歩さん、います?”
"居るよ…。"
歩は返事をした。
”今、いいですか?”
”いいよ。何だい…?”。
少し考える間があって、鈴川が再び聞いた。
”歩さん、今朝のニュースなんですけど、見ました?”
”あぁ、みたよ。
さっき、通所の海野さんにも聞かれたんだけど、あの宗教団体の話かい?…。”
”そうです。その話なんですけど。あれ、地元の団体なの知ってます?
勝どき山の方に本部があるんですよ。”
”それもさっき、海野さんから聞いたよ。
鈴川君も何?あのニュース、詳しいのかい?”
”詳しいっていうか…、一時期、自分の友達があそこに通ってた事があって。友達が脱会する前に、色々と相談を受けていた事があって。話は聞いたことがあるんです。”
”その…教団の話?”
”はい。僕も詳しくないんですが、あそこは、一時期、団体を大きくしようとして、相当無理をしていた時期があったみたいなんですよ。”
”はぁ…。何をしてたんだい?”
”あそこ、最初は、信者さん達から、一切お金をとらずに運営していたみたいなんですけど、途中から、急にお金を集める様になったみたいです。月謝みたいな感じで月に数千円から始まって、いちばんとってたときは、月に数万円。月謝として信者さん達から徴収していたみたいです。”
”…。”
”本部は、あんな感じで閑散とした所にありますけど、全国に支部があって、出家信者(住み込みの人)が1500人、在家信者(通いの人)が14000人程度居たみたいですから、そうとうまとまったお金が入ったみたいですよ。”
”信者さんの数、1万5千人以上もいるの⁉︎
あんな辺鄙な所にある、民家みたいな本部で⁉︎”
”はい…。みたいですよ…。”
”すごいねぇ…。”
”それで…、あの教団は、集めたお金を元手に資産管理会社を設立して、資産の運用をしたり、フロント企業をいくつか立ち上げて、民間に進出してみたり、国の政治にも関わろうとして、教団の政党を作る為に、政治団体を作って、教団幹部の何人かを、(教団の存在は伏せた上で)国政選挙に出馬させたり。教団の存在は表に出さないようにしながら、多方面で色々活動をしてたみたいです。”
”…。”
”ただ、教団が大きくなってく中で、本来の趣旨とは異なる、色んな目的を持った人も入ってくる様になって。最初は、ゆるい健康サークルみたいな雰囲気だったらしいんですけど、そういう教団の色も、徐々に変わっていったみたいです。”
”詳しい事は分からないんですが、教団の中で、代表(教祖)の意思を純粋に受け継ぎたい人のグループと、教団を拡大させようとするグループとの間で対立が起こるようになって、内部分裂の様な状態がずっと続いていたみたいです。”
”友達は、その頃に何か色々面倒くさくなって脱会したみたいですけどね。”
”…。”
”海野さんにも聞いたんだけどさ、その本部に警察の家宅捜索が入ったらしいんだけど、彼らは一体、何を捜索されてるの?”
”いや…。それは、自分も分からないです。”
”でも…、何かその一気に大きくなった所とか、内部でもめてる所とかが関係あるんじゃないですかねぇ?…分からないです。自分の勝手な想像ですけど。”
"そう…。"
話を終えると、お互いリハビリ業務に戻った。
石野さんのリハビリを続けながら、話の続きを考えていた。
宗教団体…。形はどうであれ、同じ志を持って集った仲間や組織が大きくなっていく過程を共に経験していく事は、素直に楽しいだろう、夢があるだろうなと思った。ただ、同時にその過程で犠牲として差し出さなければならないものの存在や、徐々に組織に管理されていく息苦しさの様なものを、歩は、話の中から漠然と感じとったのだった。
”…。”
その時、病室の窓の外で鳥が一羽、空に向かって、すっと飛び立って行くのが見えた。
歩は鳥の姿を追う様に、目をやった。
病院は中庭を中心にして、四方を病棟が囲んでいる。
(病棟の内側にある)石野さんの病室の窓からは、反対側の病棟しか見えない。見下ろしても、閉塞的な中庭しか見えないが、ベッドから見上げる様に外をみると、閉鎖的な空間の先に、大きな青空が広がっていた。
飛び立った鳥は、その大きな制限のない空へ向かって、遠く遠く羽ばたき、見えなくなっていった。
窓から、一瞬、弱い風が入り、室内のカーテンを揺らして、部屋の中に溶け入った。エアコンで管理された無機質で乾燥した空気に、少し生を吹き込まれた様な気がした。
歩は、ふと思い出した。
鈴川にまだ聞けてない事があった。
それを歩が聞いておくことは、今の歩、鈴川にとって、必要な事のように思えた。
”鈴川君、まだいるかい?”
”はい、いますよ。”
”鈴川君、君は昇進するのかい…?”
歩は鈴川に唐突に聞いてみた。
”え?”
急に聞かれた鈴川は、少し戸惑ったようだった。
”…あ。はい…。”
”まだ、公になってませんが、来月に辞令が出て、受け取ったら一つ役が上がるみたいです。”
鈴川は申し訳なさそうに言った。
”そう…。良かったじゃない。”
鈴川は、何かを思い出すように、ゆっくりと話した。
”歩さん。自分、子供2人いるんですけど、上の子が来年小学校に上がるんですよ。”
”自分も、ここ、そこそこ長く勤めてきて、あの子らに特別何って事出来てこなかったんですけど、来月、昇進したら、どっか連れてってやろうと思うんです。”
”昇進祝いですかね。何か逆な様な気がしますけど。”
”いいじゃない。”
”すごくうるさいですけどね、あいつら。
でも、今の自分にできる事、これくらいですから。精一杯、一緒に楽しい思い出、作ってやろうと思うんです。”
”歩さんも、忙しい時、色々フォローして頂いてありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。”
鈴川がカーテンの向こうで一礼をしたのが、それとなく分かった。
歩は、鈴川と共に働いた日々を思い出していた。長い間に色んな事があった。
”いやいや、こちらこそ。またお願いね。
いや、お願いしますね。昇進おめでとう。”
歩は、そう返して、鈴川に向かって一礼した。
昼下がりの柔らかい陽ざし、部屋の中を心地よく抜けていく風、
心地の良い、晴れの日のだった。
(ほんの一瞬かもしれない。)この晴れの日がもう少し続けばいい。
歩は、鈴川に退職する事は言い出せなかった。
”じゃ、またね。”
石野さんのリハビリが終わり、歩は静かに病室を出た。
※本日もお疲れ様でした。
社会の片隅から、徒歩より。
(次号に続く)
第20話。
第1話はこちらから。
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