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田舎のクソみたいな家で暮らしてるけどもう限界。後編

息子が生まれてから家族は何も変わらなかった。

三男にはずっと「子供が産まれたらお前の世話はしてやれない」と散々言っていたが三男は「その時は自分でやるから」とその場しのぎの言葉にこいつは仕方ないやつだなとしか思わなかった。
かと言って本当に自分の世話を自分でする訳ではないよなと思っていた。

産まれたての新生児を抱えて36歳児を世話するってなんやねんと笑っていた。

数時間おきの授乳。余り出てくれない母乳に悩んでいると言うのに追い打ちをかけるような母の言葉。変わらず家のことはしなくてはならない。新生児は泣くが何を言ってるのか分からない。
泣けば祖母が出てきてブチブチ文句。男どもは飯はまだか、俺の服はどこだ、と自分のことしか頭にないようで、必死に絞っていた母乳は産後一ヶ月で出なくなった。もう頑張って母乳を出すことを辞めた。粉ミルク様々だなと思った。
 
小さい哺乳瓶に粉ミルクを溶かし、泣き叫ぶ我が子をよそ目に水を当てて冷まして飲ませる日々。

あんなに産むことをやめろと言っていた父は初孫では無いが一人娘の子ということもあって、自分の言ったことも忘れてデレデレしている。
世話をしたいらしいが、自分の息子達の面倒をみてこなかった父の様子は酷かった。
ミルクの飲ませ方ひとつ何度教えてもできやしないのだ。
それどころがミルクを飲ませている途中で新生児が泣くと、ミルクを飲ませることを辞めてあやし始めていた。違う違うそうじゃない。鈴木雅之氏が何度も頭の中で歌ってくれた。

ちなみに半年経った今もミルクを飲ませるのは下手くそだし風呂を入れるのも下手くそだ。
それなのに何故やらせているのか。拗ねて面倒だからである。さすが面倒な祖母の息子である。我が父ながら本当に面倒なのだ。

何度も何度も、何日も何日も繰り返し言っているのに改善がみられないのは流石にこちらもお手上げで言うことを辞めると、それを諦めたんだと思わない父は調子に乗るのだ。本当にどうにかして欲しい。

何を言っても聞かないというのは本当に面倒だ。
人の話を聞いてないのにこちらが忘れて居ると怒る。いやいや、お前さんと言うと本当にあとが響くので素直にごめんなさいと言うと仕方ないな、となるらしい。我々は馬鹿な振りを強いられ、世話をし続ける。

そんな日常に飽き飽きしながら三ヶ月が経った。そろそろ仕事を、と言われ介護初任者研修を持っている私は拒むことをする前に介護職へと就職することを強いられる。
ぶっちゃけ老人の介護は自分が病むのでやりたくないと最初の3ヶ月ほどしかしていなかったのをうん年振りに使う時が来た。障害者施設に面接に行くと、赤ちゃんがいるからな、と言われ綺麗事を並べられたのであまり考えずに出た言葉はそれは綺麗事ですよねとポロッと口から出てしまった。気付いた時には遅かった。その偉い人はなんやコイツみたいな顔をしていた。綺麗事で生きていけるなら大いに結構だが、私はシングルマザー。そんなこと言っていられないと当時は反抗したのだと思う。結果はもちろん落選。次に見つけたのはやはり障害者施設だった。パートさんを探しているとの事で面接までこぎ着け、当日に試験を受けた。よく分からん作文を書かされて、随分といい言葉を並べた。だって仕事がしたかったから。仕事をしないと生きていけないからだ。
面接が終わり、数日後に結果を知らせますと言われてまぁ、落ちたろうなと思っているとその日の夕方に7月から来てほしいとの事でビックリしながらお願いして胸を張って色んな書類にパートと書けるようになった。

初出勤の日。
女性の明るいハキハキした人と話をした。凄くいい人に見えた。好き嫌いのハッキリした人だなと思う反面、こういう人には気をつけないとと気を張っていた。施設内を案内され、一通り入所者に挨拶をすると入所者は新しい職員さんというのが好きらしい。好奇な目で見られた。その日から色んな人について入所者を覚えていく。教わったことを思い出しながら出勤して、と繰り返し、家に帰れば子供の世話と家事に追われた。

一日ぶりに会う我が子はにたぁっと笑って私の帰宅を喜んでくれた。
三ヶ月、4ヶ月してくると産まれた頃の軽さなんてない。むっちりパツパツの息子が可愛くて可愛くて、毎日写真を撮り、一ヶ月分をまとめて印刷して気づけばいい物になりつつある。

そして息子のワクチン接種の日。その日は問題がなかったがその次の日に熱を出した。初めてのことに狼狽えたが、急いでアイスノンや冷えピタを買い込んで看病した。激しく泣いてはミルクを欲しがり、一緒に寝ると言うことを繰り返して仕事を休んだりした。

次の日には熱が下がり、何だったんだろうと思いながら元気に幼稚園へと登園した。
元気な様子だが、鼻水と咳が凄いのでお家でよく観察してください、と連絡帳にあった。その時は私だって仕事しないと幼稚園も通えなくなる、生活が立ちいかなくなると思っていた。そんな易々と仕事を休めるわけないと思いながら鼻を垂らした息子を登園させていると、全身にぶつぶつが現れた。熱も高い。これは、と思いながらその日は土曜日の夕方で病院は終わっている。38度の熱があるがアイスノンで様子を見ながら泣く息子にスポイトでミルクを飲ませてみたり、麦茶を与えた。すると口の中が痛かったらしくスポイトだと全量飲んだ。安心した。
それを繰り返し夜を超えた翌日また仕事を休んで病院に行った。その頃には湿疹は薄くなっていて、蕁麻疹かなと言われたが、蕁麻疹って、と不安が消えなかった。

処方された薬を飲ませよく寝てよく飲む息子の回復力は凄まじかった。が、ぶり返しも凄かった。休んでは仕事に行き次の週にまた熱を出す。それが下がると今度は私が熱を出し、先月は4日ほどしか出勤していない。

それに気付いた母は「なんでそんなに体が弱いんだ」と言われた。私だって好きで熱を出している訳では無い。

「そのうちクビにされるぞ」
私の恐怖を煽るにはいい言葉だった。家のこともやり、合間に男たちの世話をして祖母からの文句を日々聞き、息子をみる。

正直いつまで続くんだろうかと思った。
さっさと祖母が他界すれば、と願った。
男たちが変わる事を願った。

全て叶わなかった。

現在私は仕事に行くのも怖くなった。
「このまま休まれると辞めてもらうことになる」
そう言われたし、そこで働いている人たちの目が「いつまで来るんだろう」「なんで今日居るんだろう」と言われている気がして足が遠のいている。

何より仕事が出来る人達が私を見てくすくす笑いコソコソと何やら話している。それを見ているのが精神的にしんどい。
教えてくれる人もその日その日で違う。いい人もいれば悪い人もいる。何をしていいのか戸惑う私を怒鳴りつけ笑う人、どこにいるか告げず姿を消す人、あの人は気をつけな、仕事が出来るってことはこういうことだよ、今のままじゃ一生無理だねと言う人。そう言うことを言う割にその人もできていないのになと言うのは心の中に留めた。偉いと思う。

針のむしろとはこれかと思った。でもこうなるのも自分が悪いんだと言い聞かせて今日まで仕事をしたが、もう限界である。

後ろ指さされ生きてきて、家では便利屋さん扱い。グーパン一つで全て言うことを聞くんだからあの優しかった三男は、ご飯を出さなかったりビールを持ってこない私にグーパンをする。その度にいつかこの男に酷いことが起こればいいと呪っている。
父もそうだ。あれが欲しい、これが欲しいというなら両足を動かし手を伸ばせば箸は取れるのに取らない。ポットにはお湯が入っているんだから押せばお茶が飲めるというのにやらない。
座ったら二度と立ち上がらず身の回りの事をさせて文句を言う。

こんな家、息子の環境にいいわけが無い。
クソ男になってしまうのを阻止すべく、小学校に上がる辺りで家を出ようと思っているが、今の状況ではとても無理だ。

何より明日が来ませんようにと願いながら引かない微熱に怯えているのだ。
今月に入ってからというもの、微熱が続いている。微熱だからなーと思いながら知らないフリをして、産後うつもろくに通院せずそのままの私は今とてつもないぐらい罪悪感に押し潰されている。

日本語がおかしいかもしれないが、罪悪感が私の上から退かない。退こうともしない。どれだけ自分を納得させても家族が責めてくることにより、自分なんか…と思っている。

なんでそんなに体が弱いんだ
可愛い息子がいるんだから頑張れ
なんでそんなことで休む
お母さんの時はそうじゃなかった

どれじーじがみてやる
じーじと居よう
じーじが良いのか?
ぽちゃ入ろう

お茶

ご飯、飯
ビールとって
煙草ちょうだい
お願いある

お前そんなんだから
馬鹿じゃねえの
お前鎮痛剤好きだな
ヤク中
アル中
いいな、休みで

そうやってチクチクチクチク、心のない言葉が刺さり続けた今、もう無理だなと思い、どこから落ちようかと通勤経路に高い建物を探している。

可愛い息子がいるのも知ってる
だけど生きていく元気も気力も体力もない
何より毎晩毎晩じーじとばーばが息子と寝てくれるおかげで親子の時間が無い。
ママ、と泣き叫ぶ息子の声を聞きながら夕飯を作り、風呂に入れてもらってる間に夕飯をつくった後片付けをしてミルクと離乳食を用意、オムツにシャツとシッカロールを用意して祖母にご飯を運ぶ。そんななか、風呂場からは両親の笑い声を聞き、虚しいなぁと換気扇の下で煙草を吸う。

出できた息子の体を拭きながら、何も傷や出来物が無いかを確認して離乳食やミルクを与えているうちに両親は温かい食事を食べる。
息子が食べ終わり父が食べ終わってから私は冷えたご飯を食べる。食欲がないと言っても「せっかく作ったのに」「ご飯食べないからそうなるんだ」と言われ、冷たいご飯やおかずを口に放り込んで、じーじに寝室に連れていかれる息子を見送る。

それからテレビに夢中になっていつまででも出ている夕飯に嫌気をさしながら母のケツを叩き片付けをして臭く汚い風呂に入る。

全ては家族のため。
クソ喰らえ。

今まで生活させて貰えてたのは有難いと思うし、申し訳ないと思っている。
だが私はもう限界だ。母の兄がそうしたように、祖父がそうしたように色んなものを残して逝ってしまいそうだ。

こういうと大抵の人は息子は?と言うが、それは熱心に両親が古い育児法で育ててくれるだろうから心配はないだろう。
仮に私がこの世から消えた時の為に、これが嫌だったと分からせるためにこれを残す。

この家の全てが嫌だ。
私1人、女が我慢して男どもは遊び呆け、嫌なことに目を背けている間、私たちはその嫌なものと対峙して精神的苦痛を浴びながらアルコールに逃げる。
いつまで続くんだろうか。本当に逃げたい。
子供を連れ、どこへ行こうかと何度も何度も何度も考えた。でも実行できないのはこの家が好きだからだ。

あーあ、嫌になるぜ
死ぬまできっと私は三男の世話をするんだろう。
なんて言う人生なんだろうか。

あーあ、死に体

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