Fラン大優等生の日記

いろいろと経験不足の20歳/元不登校/クィア(?)/sns音痴/日記代わりの雑記 「どうにかこうにか切り抜けている」

Fラン大優等生の日記

いろいろと経験不足の20歳/元不登校/クィア(?)/sns音痴/日記代わりの雑記 「どうにかこうにか切り抜けている」

最近の記事

人は悲しさや惨めさでつながるもの

交差する無数の針金のうえに、誰もがつま先をあずけている。 悲しさや惨めさが、張りつめている。 ときどき流星のような喜びが、白銀のそばを流れてゆく。 一つの属性では語りつくせないはずなのに、ものを言おうとすれば、「○○な私」と一つを選ばされる。 考えてみれば、それって当たり前のことだ。 だってもしも、 「Fラン大学生」で、「優等生」で、「元不登校」で、「日本国籍」で、「××区民」で、「片親家庭育ち」で、「高所恐怖症」で、「紅茶党」で、「AT免許」で、「性的少数者」で、「セックス

    • あるものはある、ないものはない。

      「形あるものはなくなる」。 ずっとそう思ってきたし、今も思っている。 小中学校は、みんなが「友達の大切さ」や「努力で乗り越えたこと」を作文に書かされる時期だ。 そんなことに興味がある人の方が少数だとは、まだ気づいていなかった。 私は、「人が死んだらなぜ悲しいのか」について考えていた。 もし学校へ行っていて、作文を書かされるとしたらそれについて書きたかった。 図書館で借りた分厚い本は、頭が足りなくて読めなかった。 いつかもう少し大人になってから読もう、と思って返却した

      • あの人は教えなかったので

        私には「師匠」と呼びたい相手が2人いる。 1人目は、中学の頃にある遊びの相手をしてくれていた先生。 2人目は、大学に入ってからある活動の相談にのってくれている先生。 偶然にも2人とも、ものを教える人だ。 そして偶然にも2人とも、いい大人の男性だ。 よく、優等生が教師に淡い恋心を抱く、というストーリーがある。 もしかすると、私のも、そういう類の感情なのかもしれない、と疑うときがある。 ただ「好き」なんて言うと幼稚な気がするから、「慕っている」と言葉を変えて、誤魔化して

        • 文章を人様に見せるのが怖い

          ものすごいメモ魔で、思い浮かんだこと、目にしたもの、なんでも文字にしないと気が済まない性質だ。 コンビニで買ったA6ノートに、自分の思い付きと偉人の名言をごっちゃにして書き込んでいる。 「全ての場合を通じて、恋愛は忍耐である」 という萩原朔太郎の言葉に続いて、 「今日は胸がムカムカする」 と、胸やけを訴える、20歳のFラン大学生。 萩原朔太郎の言ったことは、果たして正しいのか、間違いなのか。 恋愛経験が少なすぎて、ちっとも分からない。 昔、頭が混乱したとき、文

          超短編小説「ノート」

          ノートを小脇に抱えて、正門から入った。 そわそわして見えただろう。 掃除のおばあさんが挨拶をくれた。 私は、誰でもいいから自分のことを聞いてほしかった。 「このノートに、色々なことを書いているんです」 そう言うと、じゃあ読み上げてくれる、と言われた。目が悪くてよく見えないんだと。 その時、私はノートを開いてはっとした。 これは、かなり恥ずかしい。 私はノートを読み上げる代わりに、今朝、通学路で会った犬の話をはじめた。 おばあさんは少し不満そうだった。 「そ

          超短編小説「ノート」

          とあるFラン大優等生の頭のなか

          「鶏口牛後」 けいこうぎゅうご。 私がこの世で1番好きな四字熟語だ。 「牛みたいに大きな組織の後ろについて行くよりも、鳥みたいに小さなグループの先頭でいた方がいい」。 なんだか励まされる。 あまり上手く泳げなかった結果、井の中の蛙をやっている身としては、「一期一会」や「温故知新」よりも、こういう四字熟語がもっと有名になればいいのにと思う。 でも実際、自己紹介の場で好きな四字熟語を聞かれたら、ニッコニコの笑顔をして、 「一所懸命」 って言っちゃう気がする。 長

          とあるFラン大優等生の頭のなか