発達障がい|学校の先生との関わりで嬉しかったこと
高校に合格して、すぐ、母が高校の先生に連絡を取ってくれて、入学式の前に面談をした。
そこで、私が発達障がいであること、その特性、お願いしたい配慮、などいろんなことを話した。
学校という組織に対しては「発達障がいである」ということをフルオープンにして関わっていた。
だから、先生がたも私が発達障がいだ、ということについてすごく理解しようとしてくれたし、できる限りのサポートをしていただいた
ほんとうに恵まれていると思う。
その中で、特別に思い出に残っている先生の関わり方がある。
私は二年生、三年生、と担任の先生が同じだった。このK先生は熱血タイプで、一見すれば私が一番苦手なタイプなのだが(実際、一年生の最初の頃は苦手だった)、関わっていくうち、K先生のすごさ、魅力に気づいていった。
彼は空気の読める熱血とでもいおうか、相手の状態や性格をきちんと把握して、そのときのその人にあった対応ができる先生で、ただの押しが強い先生とは全然違った。
「何も聞くな」と思っているときに必要最低限以外の言葉をかけてくることがなかったのが、私にとってはとっても好きなところだった。
だからといって腫れ物扱いするわけではなくて、私が元気なときは平気で愛あるいじりをしてきたりする、バランス感覚の優れている人だった。
彼の関わり方は、いろんな面で私を成長させてくれたし、ほんとうに好きだったが、その中でも一番うれしかったのは、高校二年生が終わった春休みの彼の提案だった。
私は毎年、一年が終わったあとの春休みに担任と一年の振り返りと来年についてを話すための面談をしてもらっていた。
二年次を担当し、三年次も担当してくれることが決定したあとも例にもれず面談をした。
そこで、「新学期の自己紹介で発達障がいのことを自分の口から言ってみないか?」という提案をしてもらった。
私はこれがめちゃくちゃ嬉しかった。
まず、私に期待してくれることがうれしかった。
学校側からすれば、私は明らかに問題児だ。「これができません」「これはしないでください」「こうしてもらえませんか」とできないことばかり言い、要求ばかりする相手だ。
それなのに、その生徒に向かって「あなたはこれができるんじゃないだろうか」と持ち掛けてくれたのは、とてもとても嬉しかった。
先生方はいろんな配慮をしてくれていたし、それに感謝しかないが、「しんどくないか?」「できるか?」と心配ばかりされている中で、期待されるってこれほど嬉しいんだなと自分でも驚いた。
次に、先生がきちんと私のことみて、私にはそれができる、と判断してくれたのがうれしかった。
私は、自分の発達障がいを全く後ろ暗いことだとは思っていない。自分の中の一つの特徴としてかなり前向きにとらえている方だと思う。
その思考を理解してくれて、「それならこれはできるんじゃないか?」と言ってくれることが嬉しかった。
これはなにより、発達障がい児がどれほど期待されず、信頼されず社会で生きているかを表すことだと思う。
学生の中でも、発達障がい児は自分ができないことばっかりを見て、できないことをどうすればできるかばかり考えがちだと思う。
苦手がはっきりしているから仕方ないし、それはありがたいことでもあるのだけど、そればっかりだけじゃ寂しい。
人はついつい、できないことばかりに目が行くし、それは人間として当たり前なのだけど、ときどきでいいから、できそうなことを見つけて期待してほしい。それがどれほど私たちの力になることか。
結局、このときの提案は微妙に違うものになり、「発達障がいです」ということはなかったのだが、それは次に投稿したいと思う。