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この世で一番おいしいものは塩。そして一番まずいものは塩。その真意は?

雲の暗を楽しむとは

ビジネスにとどまらず、深い考察をした投稿をさえているのが、経営・人材育成コンサルタントの藤本正雄さんです。平日はかかさず長文の投稿をされていいて、そこから多くの学びをいただいます。

「雲」を手がかりに、内省する。

この題の投稿を拝読したときに、わからないことがあって、コメント欄で問い合わせをしました。それに対して、藤本様には誠実に対応をしていただきました。そのやりとりを通して、私なりに気づきがあったので、メモがわりに記しておきたいと思います。

問い合わせ内容の前に、とても参考になった雲の効用の話。
藤本様は雲に関する講話をこう紹介しています。

雲は陰りであり 時・場を超えて訪れるもの。
人の邪魔をし 商いの妨げになり 生きる妨げにもなる。
只 雲は一時の事象と心得よ。
その雲は間も無く消え去るものなり。
その雲は又 水をもたらし潤いをもたらすと知るべし。
その雲の暗を楽しむべきもの。

「雲」は、流れていく一時の事象であり、ずっとかかり続けるわけではない。そして仕事や生活の妨げになるやっかいなものだが、恵みを持たしてくれるものでもある。そんな雲と自分なりにしっかり向き合うべしというのが、その本質だというわけです。

このように講話をレヴューしたうえで、藤本様の考察が展開されています。

生きていくうえでの何らかの志や、長期的にこうなりたいというビジョン、それらに向かうための目標などを持っていれば、障害になる妨げというのが出てくる。
志もビジョンも目標も何もないなら、なんとなく邪魔されて、うっとうしい程度のもの。
それは、自分の思い通りになっていないだけで、妨げとは呼ばない。

自然界の現象について、あれこれと思いを巡らせることありますが、雲のことについて考えたことがなかったので、とても参考になりました。

この世で一番美昧いものは何か

それに関連して、講師が理解の一助にと引用していたのが、徳川家康の側室・英勝院(お梶の方)が塩の逸話でした。英勝院は、家康の五女市姫の母で、水戸徳川家の祖・頼房の養母です。
この内容に関しては、藤本様の引用文ではなく、逸話の状況がよりわかるように、と私が調べた内容を転載さえていただきます。大意はかわりません。

英勝院がお梶の方と呼ばれていた時代の逸話はこんな内容です。

徳川家康が大久保忠世や本多正信・鳥居元忠・平岩親吉ら家臣と昔の合戦を語っていたところ、突然家康が「この世で一番美昧いものは何か」と尋ねました。
家臣たちがいろいろと答える中、家康が側で笑っていたお梶の方にも尋ねたところ、「それは塩です。塩がなければどのような料理も昧を調えられず、おいしくできません」と答えます。
さらに家康は「では一番まずいものは何か」とお梶の方に尋ねたところ、「それも塩です。どんなに美味しいものでも、塩を入れすぎたら、食べることができません」と答えました。

家康はお梶の方の答えを聞き、「男子であれば良い大将として活躍するのに惜しいことだ」と嘆いたと、というエピソードで知られています。

藤本様は、雲のことに関連づけて、英勝院の塩のおいしさに関する逸話を次のように考察されています。

同じ塩でも、おいしいと感じるか、まずいと感じるかは、自分次第だということです。暑い日に汗をかいて塩分が不足気味なら、塩は体に染み込むようにおいしく感じる。逆に、塩分に満たされていれば塩辛くてまずく感じる。塩というもの自体は変わっていなくて、自分のとらえ方次第だというわけです。

藤本様の見解も含めて、英勝院の逸話は、塩の効用などについて、深く考えるいい機会となりました。

塩は生命維持に不可欠な要素で、それが不足しているとおいしいと感じる。
ところが、過剰に摂取すると、生命維持に悪影響を及ぼすリスク(高血圧、肝硬変や腎臓病、心臓病など)が高まるので、まずいと感じる。
つまり、自分の身体がどういう状態にあるのかを、日常的に知らせてくれるもの、だということです。

私たちには、自分の身体の状態を知り、生命を維持するように修正する力が生来、備わっています。その状態を、外部から知らせてくれるひとつが塩。塩は日常の調理で使うものです。特別な手段でないと入手できないものでも、貴重で高価なものでもありません。
ところが、一緒に摂る食材、調味料などに影響されて、あるいは、食べることに集中せずほかのことに関心が向いていて、そのメッセージをうまく感じとれないことがあります。

塩以外にも、日常的に接していているもののなかに、そういうメッセージを発しているものもあることでしょう。

藤本様はコメントで次のように述べています。

「仏教は道理に基づいているので、これを学べば物事の正邪がよく分かる。また、世の中には、毒にもなれば薬にもなるものがあるが、仏教はこれを使いこなす力を与えてくれる。その例え話で引用されていたのが、英勝院によるエピソード」。

仏教の力の効用。

そのことも参考にしながら、外部から知らせてくるメッセージを認識し、判断する力を衰退させないように心がけたいです。



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