毒親である実母の老後のこと~ざっくりと~

私は、高齢の母親の面倒を見る気はさらさらない。
今は結婚したが、私のかつての毒家族を紹介する。
父、母、長女、次女、三女(私)の5人家族だった。

《人物紹介》

【名字】ドクダミ

【父】ジャガイモ

【母】メロンパン

【長女】長芋

【次女】里芋

【三女・私】かぼちゃ


長芋(長女)と次女(里芋)は、地元を離れた遠い場所で暮らしている。
長芋は独身、里芋は結婚した。
私は地元から離れたが、同じ県には住んでいる。
メロンパン(母親)から1番近いのは私。
本来(?)なら、現実的(?)に言えば、メロンパンの老後の面倒を見るのは私の役割かもしれない。
けれど、私は見ないことを決意した。
独身時代は、「私が母親の面倒を見るんだ!」と思っていた。
けれど、メロンパンと長芋と里芋から散々な目に遭った。
長芋は「なんで、私(長芋)がお母さんの面倒を見なきゃいけないの!かぼちゃが面倒を見ればいいでしょ!」と押し付けられたこともあった。
その時すでに社会人となっていた私は毒家族からひどい目に遭わされ続けていて、心身ともにクタクタな状態だった。

今、母親は被災したが元々の家がかろうじて住める状態なので、そこで変わらず暮らしている。
独身の長芋が、母親を引き取ればいいのだが、長芋は生来自分勝手で思いやりに欠けるためその気は一切ないそうだ。
里芋は、マザコンなのだが既婚者(子どもはいない)で遠くに暮らしているからか、引き取る気はないそうだ。

私?
私は、もう母親を捨てた。
世間的に見たら、“捨てた”という風に見られるだろう。
実際は、苦悩の末、母親から離れただけ。
ようやく解放されただけなのだが。

最初こそ罪悪感はあったものの、我が子を出産した今はあまりない。罪悪感皆無とは言えないが。
なぜか?
私が、「我が子に私達の老後を見てもらうんだ!」なんて思わないからだ。
「私と夫の老後は、私達夫婦で準備しておく。我が子は、我が子だけの家庭を築いて幸せに暮らしてほしい」というのが夫婦共通の想いだ。
メロンパンの希望はきっと違う(自分の老後を見てほしい)だろうけど、私は私なら子どもにしてほしいということを、メロンパンにする。
メロンパンが私を嫌いでも憎くても、メロンパンの子どもである私は、私の幸せを優先する。
それが“母親”にとっての幸せであると信じて。
メロンパンには恨まれているだろうけど。


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