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ドラゴンボールに何を求める

いや、批判覚悟で言うとね、
ドラゴンボールってストーリーはそこまで
売りじゃないと思うのよ。
いや、面白いんだけどね、
ドラゴンボールよりもストーリーが良い
漫画ってたくさんあると思うのよ。

自分はドラゴンボールがこの世の漫画の中で
1番好きだけど、別にストーリーにハマってるわけじゃないんだよね。

じゃあ、自分はドラゴンボールの何が好きなのか、ドラゴンボールに何を求めているのか、
と言えば、それはやはり世界観になるんだ。

ドラゴンボールって、そもそもスタートが
鳥山明が「自分の好きなもの全部詰め込んで
やりたい」っていう漫画だったのね。

旅をさせたり、カンフーバトルやったり、スーパーメカ出したりね。

だから初期、特に一巻二巻あたりの
鳥山明のウキウキっぷりがめちゃくちゃ
わかりやすく伝わってくる。

鳥山明がそれまで頭の中に詰め込んできた
「これが好き!こんなの面白くない?!」
っていうアイデアたちをバーッと展開していく、
それが最初期のドラゴンボール。

もうね、これがたまらなく面白いのよ。

なんかさ、ストーリーがどうこう以前に、
アイデア見て、率直に「これ面白いじゃん!」
って思うものあるじゃない。
初期のドラゴンボールってもうそういう面白さの宝庫なのよ。

以前、鳥山明は漫画を描くときに
「あまり細かくストーリーを考えずに描いてる」
みたいな事を言ってた。
つまり、ドラゴンボールのワールドが鳥山明の
想像を超えて、一人歩きしてたみたいなんだよね。
「悟空サイヤ人に勝てるのかな」って思いながら描いてたらしい。ほんまかいな。

ドラゴンボール超悟空伝より

やっぱりこういう事からも、
ドラゴンボールって鳥山明のアイデア帳に
近いんじゃないのかなあ、思うわけ。
ある漫画家の頭の中にある大量のアイデアを
覗き込む、そういう面白味がある。

そして、やっぱりそれを支えたのは
圧倒的な画力。
動物人間が存在する理由について細かな設定はないけれど、絵の書き込みが凄すぎて
そんなこと気づかないくらい世界観に飲み込まれちゃうんだよ。
世界観が鮮明すぎる。
鳥山明が、イメージしている風景が
すべて鮮明に読者の心に届く。
絵にどこまでも奥行きがある、説得力がある。
細かな考証とか設定とか無しでも
成り立ってしまうんだよね。

これはね、ドラゴンボールダイマにしても
同じ。
自分がドラゴンボールダイマに期待してたのってそこ。純粋にまた鳥山明が好き放題やってる
アイデア帳のようなドラゴンボールがみれるんじゃないかな、と告知映像みて思ったんだよね。

たしかに細かな設定にも求める部分はある。
けど、やっぱり自分がドラゴンボールに
求めるのはストーリーとか細かな設定とか
ではなくて、
「読者を置いてけぼりにするような
鳥山ワールドの爆発」
なんだなあ、とドラゴンボールダイマ観て
激しくそう思っています。

あと、最後に触れておくと鳥山明の
キャラクターはやっぱりちびっ子が
1番いいのよ。
ちびっ子にもどって、ストーリー原案も全部鳥山明がやる、っていう時点で自分はダイマすごく楽しみにしてた。

鳥山明のちびっ子キャラクターはね、
普遍の可愛さを持ってる。

「可愛さ」って言ってもセクシャルな方じゃなくて、ユニセクシャルな方だよね。

っていうのは、例えば人が赤ちゃん見て
「可愛い」って思うのって、別に女か男かなんて
のには関係してないでしょ?
性別に留まらない可愛さっていうのがあるじゃない。

鳥山明の描くちびっ子にはそれがある。

確かに背が高くて筋骨隆々な悟空もいいよ?
タッチも鋭く固いモノに変えてさ。
むしろそうした事でバトルの表現の幅は
圧倒的に広くなってた。
あと、戦士としての存在感が増した分
ヒロイックさも強くなったことによって
少年の正しき憧れのキャラクターとして
成立しているのだと思う。

ただ、それが全くもって正解だったかというと
やっぱり自分は疑問を感じるな。

絵がうますぎたから成り立っているけど、
そもそも1番の売りはやっぱり繊細で柔らかい線で紡ぐ事だったと私は思う。
だから悟空の背を伸ばしたのは
ある意味、それを捨てたと言える変化だったと思う。

そういうことも念頭に置いた上で、
ドラゴンボールダイマを観てみてほしい。

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