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フリーライフ 第5話

 その夜、私はベランダで一人飲んでいた。たまには夜風のそよぐ中で飲むのもいいもんだ。ベランダの遠方に街明かりがポツポツ見える。瑠璃はどうしているんだろうか。あれから、数か月経った。私は電話番号もメールも変えたが、まだ、彼女の連絡先を覚えている。声が聴きたい。彼女のぬくもりが恋しい。遠くから見るだけでもだめだろうか。会いたい・・・

 翌朝のランで、また、桜井さんが追い付いてきた。

「おはようございます。」
「ああ、おはようございます。」
「いつも早くから走ってらっしゃるんですね。」
「日課ですから。」
「今度、お茶しません?ラン仲間もたくさんいますから。」
「いえ、一人ランが好きなので。」
「そうですか。」
「私はペースが遅いんで、どうぞ、先に行って下さい。」
「わかりました。」

そう言うと、結構なペースで走っていった。彼女は自分のランチームに私を引きずり込もうとしているだけなんだろう。でも、私はひとりがいい。

 マンションに帰ってくると、レッスン仲間の佐藤さんと会った。
「おはようございます。ランニングもしてるんですか。」
「はい、日課なもんで。」
「音楽も運動もいろいろやるんですね。」
「はい、ほどほどですけど。」
「では、またレッスンで。」
「はい。」

 なんか、だんだん交友関係が増えてきて、面倒臭くなってきた気がする。所詮、みんなでワイワイする方じゃない性格だから、ひとりの方がいい。あ、今日はクリーニングの日だ。早く、シャワー浴びてしまおう。

 時間通りにハウスクリーニングの方がやってきた。時に何も言わなくても、勝手に仕事をはじめてくれる。私は、ネットで資産運用の仕事をしている。と言っても、世界情勢とか、政治経済のこととか、所有している株式や投資信託の状況確認をしているだけだ。のんびり調べていると2,3時間なんてすぐに経ってしまう。

「終わりましたので、ご確認頂けますでしょうか?」
「あ、ありがとうございます。」

 いつものように掃除箇所を確認して、確認印を押すだけだ。相変わらず、きれいなもんだ。毎週ありがたく思う。あとは、5日分の食事を受け取るだけだ。それを冷凍庫に入れて、その都度解凍して頂く。これで、栄養バランスは万全のはずなのだ。

 あっ、忘れてた。今日は稲盛さんと居酒屋に行くんだった。まだ、時間は十分あるけど、忘れたら、えらいとこだった。今晩の食事は、明日の朝、食べよう。

 稲盛さんは伊藤さんという人も連れてきた。やはり、同じマンションの方だ。年代は30過ぎ。
「こんばんわ。」
「さ、さ、とりあえず、生中でいいよね。」
「はい。」

すぐにビールが運ばれてきた。

「それじゃ、カンパーイ。」
「伊藤さん、高木さんはサラリーマンじゃなく、ネットで自営しているんだって。」
「すごいですね。」
「いえ、私ももともとサラリーマンでしたよ。」
「つまり、脱サラして、ネットで自営ですか。」
「はい。」
「儲かるんですか?」
「ほどほどです。サラリーマンのように、安定していないですけど。」
「というのは?」
「例えば、先月の利益は6万ほどでしたけど、その前は40万くらいありました。」
「すごく動くんだね。」

まあ、決算の多い3月は、分配金が500万円を超えるけどね。

「その時によりますよ。」
「じゃ、不安なんじゃないの?」
「ですね。」
「よくやってるね。」
「なんとか生活できるくらいだから。それに自由時間が多いので。」
「1日どれくらい仕事してるの?」
「1日というより、週に4,5時間くらい・・・かな。」
「え~っ、そんなにちょっとでいいの?」
「はい。」
「いいねぇ。」
「時間についてだけは、そうですね。」
「うらやましいねぇ。」
「でも、税金とか社会保険とかは、サラリーマンのように半分会社持ちじゃなく、全部、自分で支払わないといけないし、確定申告では青色申告書とか作らないといけないし、たいへんですよ。」
「そっか、一長一短あるんだね。」

そんなに大変でもないけどね、慣れれば。

「高木さんは、まだ結婚してないんだろ?」
「はい。」
「するつもりはないの?」
「そんなことないですよ、相手がいないだけです。というか、しばらくは、いいです。」
「どういうこと?」
「今は失恋して、傷心状態ですから。」
「そっか。いらんこと聞いちゃったね。」

しかし、私のことばかり聞いてくるな。

「そういえば、近所の奥さんとサックス教室に行ってるんだって?」

なんで、そんなことまで?

「ああ、たまたま、一緒になっただけですよ。」
「なんか、先生が若くて綺麗なんだって。」
「いいじゃん。付き合っちゃえば?」

おいおい、そこいくか。

「だから、しばらくはそういう・・・」
「また、恋愛しちゃえば、昔のことなんか忘れるよ。」

こいつら・・・

 結局、私は酒のつまみになってしまった。もう二度と、こいつらといくもんか。私は、帰ってから、しばらくムカムカして寝れなかったけど、横になってたら、いつの間にか、寝てしまった。

 この町は地方都市といえ、田舎なんだろうな。嫌でも人付き合いをしないといけない。だけどまだ傷心を引きずっているから、そっとしておいてほしいのだ。やはり、言葉に出して言わないとだめなんだろう。先日もハウスクリーニングの方、と言ってもおばさんだが、聞いてほしくないことを言われた。

「お一人住まいなんですか?」
「はい。」
「早くご結婚された方がいいですよ。」
「ええ。」
「なんなら、ご紹介しましょうか?」
「大丈夫です。」
「こんな広い家にお一人だと、淋しいでしょう?」

ほっといてくれ。

「いえ、慣れてますから。」
「いつでも言って下さいね、お世話できますよ。」

早く帰れ。

「ありがとうございます。」

 もうこの人、代えてもらおう。私はハウスクリーニングへ電話して、作業員を変えてほしいと要望した。私の個人情報を根掘り葉掘り聞かないことを絶対条件とした。だが、どんな人でも興味本位で聞いてくる。私はいい加減、うっとおしかった。なんでほっておいてくれないんだろう。

 それからというもの、日常の挨拶はするけど、それ以上のことには答えないことにした。朝ランの桜井さんにも挨拶のみ。それ以外の質問には答えない。そのうち、この人は嫌がっていると気付くだろう。稲盛さんたちもそうだ。なにかにつけて、飲みに誘ってくる。そのたびに、仕事のことや彼女・結婚のことをあれこれ言われる。もううんざりだ。なんで、人の心をほじくってくるんだろう。もう、自治会の活動には出ないようにした。事あるごとに、新しい人が同じ質問をしてくる。こいつらはデリカシーがないのだろう。田舎はだめだ。多分、私には合わない。都会に出よう、そんな気持ちになってきた。多少、家賃が高くても、この煩わしさがなくなるなら、私はそう思った。引っ越ししよう。

 私は東京へ家探しに行った。東京はどこだって交通の便はいいだろうから、必要な店や病院などが徒歩圏にあればいい。あとは、セキュリティや防音のよいマンションで、最低2LDKくらいの部屋がいい。適当な不動屋さんへいくと、要望を聞かれたので、妥協できない項目を答えた。その日は4物件を見に行った。今の部屋はネットで適当に見つけたものだったが、今回はちゃんと下見をした。

 不動産屋さんは、物件の見せる順番とかあるようで、私には正直面倒臭い。最初から好物件を見せてくれれば、その場で契約するのに。家賃は特に要望しなかったから、私の見た目から20万円以内を選んでくれたようだった。

 その日、近所のホテルに泊まり、候補4件の周辺を散策した。東京というのは、ビルばっかりのイメージだったけど、案外緑地が多い場所がある。結局、自治会などない、管理会社がすべてをやってくれる物件で、近くに緑地の多いところを選ぶことにした。家賃と管理費いれて19万円。まあ、十分支払える。決まったら、引っ越しは早かった。

 このマンションは引っ越し挨拶は不要だそうで、誰に会っても知らん顔だ。まあ、変に詮索されるよりましだ。私は食事と掃除を早速お願いした。食事はやっぱり若い男の配達員が持ってきた。これはいつものことだ。で、掃除は30代くらいの主婦だそうだ。まあ、綺麗に掃除してくれたら、誰でもいい。仕事以外は詮索しないことが条件だったから、時間になったらさっさと帰って行った。それがいい。

 一人で飲んでいると、想い出すのは瑠璃のことだ。今頃、どうしているのだろう。あれから1年近くだから、もう落ち着いたかもしれないな。初めから妹として会っていれば、こんなことはなかったのに。ひとりで悶々とすることが多くなってしまった。もうちょっと、明るくならないと、どんどん暗くなってしまう。やっぱり、サックスを続けようと思った。

 しかし、さすがに東京だ。今のままでは、収支トントン、もしかするとマイナスになってしまう。もうちょっと、お金に働いてもらおう。私は貯蓄から、いくらか投資へ回した。これで十分お金を生んでくれるはずだ。

 あんまり、部屋に居過ぎると落ち込んでいってしまので、散策にでかけた。ネットのマップ上ではわかっているのだが、半日ほど歩くと、リアルな風景がわかってくる。店までの距離感もわかってくる。私は何日かに分けて、散策しまくった。朝ランコースは、3パターンほど見つけておいたので、もう走り始めている。音楽教室の場所もわかった。そんなに遠くない。私は受付に寄ってみた。

「サックスの初級コースはありますか?」
「はい、ございます。月3回で、基本は水曜の夕方5時から1時間となっています。」
「こちらへ引っ越してくる前に少しだけ習っていたんですが。」
「途中からでも大丈夫ですよ。」
「じゃ、お願いできますか?」
「こちらへご記入お願いします。」

来週の水曜から、始めることになった。

 私は毎朝ランニング10キロをすることによって、少しづつ自分のペースを取り戻していった。東京なら1年中、走れるだろうし、雨降りの日は室内トレーニングに置き換えればいい。だんだん、規則正しい生活を送れるようになった。

 初めてのレッスンでは、不思議とそんなに生徒さんがおらず、私と20代のOLさんだけだった。先生は40代くらいの男の先生で前田さんという。なんでも、オーケストラにも所属しているらしく、たまに演奏で出張することもあるようだった。もう一人の生徒のOL、木島さんもまったくの初心者で、私とレベルはかわらない。とにかく、J-POPを1曲演奏できるようになることを目標に進めることになった。二人とも楽器を持っていないので、レッスンとは別に、週1回、格安で練習する教室と楽器を貸してくれることになった。まあ、楽器を購入するまでの間、つまり、初級コースが終わるまでだ。

 スケジュールを確認すると、教室はもう少し早くから空いているし、楽器も使用されていないので、私は少々早めに練習に訪れた。なんとなく、吹けるようになっていたので、指の使い方をメインに練習した。ネットでもやり方の動画があったので、かなりイメージトレーニングしてたので、それなりにできるようになった。遅れて木島さんもやってきた。

「早いですね。」
「少々フライングですけどね。」
「私、会社終わって急いできてもこの時間なんですが、高木さんはもっと早くこれるんですか?」
「はい。」
「いいですね。」

私はニッコリ笑った。

「何のお仕事なんですか?」

また、これか。

「自営業です。」
「ああ、だから早く来れるんですね。」
「はい。」

私が課題曲を演奏し始めると、木島さんはびっくりしてた。

「そんなにできるようになったんですか?すごいです。」
「まだまだですよ。」
「先生と変わらないですよ。」
「そんなことないでです。」

でも、だいぶ演奏できるようになってきた手ごたえはある。私は自分のわかる範囲で、彼女に教えてあげた。

「私もこの1時間でだいぶ演奏できるようになった気がします。」

時間になったので、私たちは楽器をなおして、教室をあとにした。

「では、また。」

そう言って帰ろうとしたが・・・

「このあと時間あります?」
「特に用事はないですが。」
「今日は教えてもらったお礼に食事をごちそうしたいのですが、いいですか?」
「たいして、教えてないですよ。私も生徒なので。」
「いえいえ、私、今日1日でかなり成長しましたよ。」
「そうですか?」
「はい、だから、行きましょうよ。」

仕方がないか。今日の晩御飯も明日の朝飯だな。

「わかりました。」
「やったぁ。」

 木島さんはこの近くに美味しいイタリアンがあると言って、無理やり私を連れて行った。東京で初めて誰かと食事をすることになった。

「私ねぇ、ほんとにどんくさいんですよ。」

急に何言い出すんだ?

「今日だって、会議資料を間違えて、シュレッダーしちゃったんですよ。」
「慌てて、パソコンのファイルから印刷しようとしたら、そのファイル、削除しちゃったんです。」
「もう、先輩は激怒です。」
「だけど、ゴミ箱から復活できますよね?」
「それも間違えて、全部削除しちゃったんです。もう、自分が情けなくて・・・」
「あらら・・・」
「でね、聞いて下さいよ。」
「社内限定のメールを得意先に送っちゃったこと、あるんです。」
「そりゃ、まずいね。」
「でしょ、懲戒処分で1ヵ月5%減給されちゃいました。もう、泣きです。」
「ちょっと、やばいですね。」
「もう、私、OLなんか向いてないのかなって思って、ショックで・・・」
「で、サックス習うことにしたんです。」

どんな流れやねん?しかし、この子表情がすごい豊かだ。

「そしたら、高木さんに出会うし、いいことあるかなって思ったんです。」

そこかい。

「私、暗いですよ。」
「私と同じ性格だったら、無茶苦茶になっちゃいますから、バッチリですよ。」

もしかして酔ってる?

「でね、聞いて下さいよぉ。」

ここから延々と2時間以上、木島さんの独壇場だった。まあ、私のことを根掘り葉掘り聞いてくるより、ましだった。彼女はあまりにドンくさく、おっちょこちょいで、すぐ落ち込むし、すぐ立ち直るし、聞いていて、見ていて飽きない。なんか、楽しい時間だった。

(つづく)

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