49.【読書と私】➉ノルウェイの森(再読):30年越しの郷愁と検証
タイトルはサバ読んでます。30年以上経ってますが、何となく数字の切れが良いところにおさめました。
ベストセラーと聞いて、何気に読んだ高校生の私。感想は…え、これがベストセラーなの!?と、観光地で所謂ガッカリ名所に行ったような思いしかなかった気がします。どことなく空虚な空気感と病的なところは感じながら。以降、村上春樹作品は読まないまま大人になり、ハルキストという存在や、ノーベル文学賞の候補なることを、そーなんだ…と冷ややかに見て過ごしていました。自分の感性が足りないのか…遥かに年齢だけは大人になった今再読してみました。
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あらためて、この30年の変化ってすごいものがありますよね。まず本を読む時に、「ノルウェイの森…ビートルズかー…」と読書のイメージを作るのに、簡単に検索してその曲を聴けるようになりました。
そして、本を開いて読みすすむと、時代のギャップを感じる事柄の数々…
昭和の時代よろしく、固定電話が連絡の手段であること、学生課で簡単に個人情報を聞き出せること、寮の部屋の「ピンナップ」とかやら、煙草、ビール他酒がやたらと出てくるなど、「不適切にもほどがある」状態です。
映画のようにR指定つけてほしかったくらいに、性描写が多々出てきて、作品上無しでとは言わないけど、辟易してダメだったのもあったかな…若かりし頃。
その辺のことについては、併読していた平野啓一郎『本心』中に「これこれ!」と思う記述がありました。
滝を見たくなって、昔、『伊豆の踊子』を読んだのを思い出したと言った母に対して、息子の主人公の思い
30年後読んでみて思うのは、自分も悪酔いがひどくて、それ以外の部分が見えてなかったこと。今見ると、その他のノイズの部分…寮の生活だったり、私立公立の学生事情や、トー横を感じさせるようなところもあったり、登場人物にMBTIのタイプを感じるようなところもあったり、LGBTのことも一部あり、こんなことも書いてあったんだの発見が多くありました。大学生活の部分などは、もしかすると、あと1、2年遅い年齢で読んでいたら、もう少しわかって味わえていたところかもしれませんが。
あと、その時よりは、知っている音楽も増えたので、レイコさんが演奏した50曲のリストも多分、高校生の時は飛ばして読んでいたんでしょうが、丁寧に読んでいくことが出来ました。ラヴェルの「死せる王女のためのパヴァーヌ」「クロース・トゥ・ユー」ガーシュインのラインナップ良かったです。
性の部分は、今読んでも多いな…という気はしますが、「生」と「性」はつながるところがあり必然的にというのはあるんでしょう…ね。
キャラの良さ(ワタナベくんの何とも言えない味わいや、緑さん)と、へんに説教臭いところはない文章、風景のような描写に、何かお伽話でもあるような物語のような、だけどラストシーンに向かって、ぐっと涙が出てきそうになり、突然の空虚なエンディング。思わず、再び上巻のスタートに戻りたくなって、リピートしてCD聞くようなモードに入りました。
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そして、何より嬉しかったのは、私 村上春樹読めるわ、と思えたこと。今回もイマイチ感を感じたら、エッセイの方を試そうと思ったのですが、小説十分いけそうです。
さて、次には何を読もうかと思ったら、気になる文章がありました。
タイトルだけ見てですが『ねじまき鳥クロニクル』の予告編ですかのようでちょっと読んでみたいかも。
そして WAGNASオンダさんが挙げていたこの本の中の名言
(すいません、勝手ながら引用させていただきました。)
死後三十年を経ていない作家の本は原則として手にとろうとはしなかった。
そういう本しか俺は信用しない、と言う永沢のことばでした。
死後ではないですが(まだまだこれからもよろしくお願いします)初版から
36年の洗礼を受けて、十分に存在感ある作品ですね。
ノルウェイの森ならぬ、“ノスタルジーの森”かも
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余談ですが、なんとなく、平野啓一郎さんも影響受けてるかなって気がするんですよね。YouTubeで見た講演で、小さい時に亡くなられたお父さんのことを話していた際、「ノルウェイの森のワタナベ君の寮…」ということをサラッと言っていた。ギターの演奏、音楽が出てくる、その中にバッハがあったり、後半で、バイト先に出てきた「先生にはなりたくないという美術大生」というモチーフは、最近出た短編(詳細読んでないけどラジオで一部視聴)『鏡と自画像』の登場人物に重なるところがあるかなと思ったりです。
文章から受ける感じで、わたし的な勝手な対比で、村上春樹→ユーミン、平野啓一郎→中島みゆき みたいな感じもします。全くの個人の感想です。
村上春樹(1949- )
『ノルウェイの森』(1987)
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