78.【読書と私】㉑君は永遠にそいつらより若い/津村記久子:地道な筆致が小説でみせたもの
読書生活の中で、自分にしっくりくる作家をみつけられればいいなーと思っている。もちろん、作品自体の面白さってあるから、あまり好みでない作家さんでも、この作品は好き!というのもあるし、決して「推し」を探したいわけではない。
そこに至るには、まだ数多出ている作家さんの中、読んでいない人が多い。noteの記事を読みながら、どの人を読もうか参考にしつつ思案する。
津村記久子さん、彼女のエッセイ他の作品をいくつか挙げていた記事を見て興味を持った。
名前から勝手に年上?と思ったが、年下だった。まぁ、だいたい年下の作家さんの方が多くなっているか。
まず、記事にあったエッセイ本などを2冊ほど読む。そう言えば、エッセイストでもない限り、エッセイから作家の本読むことなかったかも。
軽く読み始めると、エッセイよろしく軽く読み始められたが、真面目に丁寧に取り組む姿勢と(私がよくわからない分野で)マニアックな部分、生きるの大変そうだなーと思う不器用そうなところに、だんだん私の読み方もサクサクっとよりは、うんうんふむふむとスローペースになった。そういう風に考えさせてくれるのも有難いと思いつつ、文章の書き方についての部分は、私ごときも共通して思うような悩みだったのと、文章がだんだん下手になっていると宣う作家さんに、「この人大丈夫か…」と心配な気持ちさえなってきた。こんなにあけすけに書く人もそんなにいないのではと思ったくらい。
そこで気持ちを切り替え、小説を読み始めることにしました。
相変わらず本編まで長くてすいません。
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小説の方も丁寧な筆致で、じっくりと文字を追うことが求められるようだが、次第にぐんぐん読みすすめられました。一部、私がん?と掴みきれず戻りつ読むところはあったけど一気読み。面白かった。
大学生の登場人物たち。それぞれ個性はあるけど、格別特別な人でもない人々が成す物語の中に、看過できない出来事、過去が出てくる。さすが作家さん、小説となるとエッセイとはまた違って(いや、エッセイでもサラッと深いことを述べているところはもちろんあった)のほほんとした中に闇が描かれていて、流石と思った。
エッセイ(『二度寝とは遠くにありて想うもの』)の中には、一日の中のいろんな自分を書かれている文があって、文筆については、ゲラを見る係、書評係、随筆係と書かれていて、その中でいちばん持てあましているのは「小説を書く係の自分」とあった。「お茶やお菓子」をすぐ要求したり、真夜中でないと仕事しない… と。だけど、よくその係をなだめすかして作品を生み出してくれた!ありがとうございます!と思う。
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また、自分の読書嗜好については、この年代、学生時代の話が好きなんだということをあらためて思った。もう走り終わった人生のトラックだけど、外周から人生二週目のような気分で眺めるような感覚で。
どこか『ノルウェイの森』に重なるような感じもした。登場人物が漢字表記だったり、カタカナだったり。主人公は女子だけど、話やすいのか男子があけすけな話するいい相手になっていて、ワタナベくんのような感じ。永沢さんのような河北がいて、イノギさんは、緑さんかレイコさんか合わさっているような存在。部屋にピンナップならぬグラビアを貼ることが書かれてたり、性の葛藤と生の葛藤とあるところとか。私だって読んでる作品だから、作家にすると当然の通過点でオマージュとなるところはあるだろうか。
この小説タイトルは当初は
『マンイーター』(=「人食い」の意味だ)
「君は永遠にそいつらより若い」と映画化の際に変わって、洋画のタイトル変更のような感じだけど、元のタイトルは意味深い。
読むことは出来ても、自分は文字にすること書くことはなかなか出来ないなとも思う部分があった。世の中に問う大事な提言の部分にしっかりと向きあってるからこそ書けるのだろう。
最近の作品『水車小屋のネネ』など他の作品も興味出て読見たいと思っている。
<追記:小説から喚起されたこととして>
以前、近所の安全性を点検するような記事(地域安全マップ?)か、本の存在を見たことがあった。出先で子どもがトイレにいくのも危険要素がある世の中。公園一つでもこんな見るべき視点はあり。心残りなことが起きないように。
人通りの多少よりも、出入りできるところがあるかというのが大切な視点という記述もみかけました。ゴミの存在は人の目があるかの象徴でもあるようです。
津村記久子(1978- )
『君は永遠にそいつらより若い
(マンイーター)』2005
『二度寝とは遠くにありて想うもの』2015